すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

連休鑑賞記

2013年05月05日 | 雑記帳
 映像編である。

 天気の良くないこの連休,録りためておいたドラマなどじっくり観た。

 
 「さらば向田邦子 風立ちぬ」

 戦争前の東京を舞台にした,ある一家族のドラマ。向田邦子は,人の心に棲む本性や多種の感情を見逃さない。それが生い立ちや時代によって翻弄されていく姿を的確に描く。「生」が振れる幅が,喜びであり悲しみである。みんなその振り子を抱えて生きることが伝わってくる。特に母親役の加藤治子の表情。懐かしい。


 「お日柄もよくご愁傷さま」

 監督があの「相棒」の和泉聖治であることにちょっと驚く。結婚式の仲人をする当日に父親が急死する設定はいかにもという感じで,少し端折りのある展開だが,芸達者なキャストと漂う生活感に惹きこまれてしまう。橋爪功と吉行和子の夫婦役は,昨年話題の「東京家族」もそうだったし,鉄板コンビのように見える。


 「まほろ駅前多田便利軒」

 瑛太に髭は似合わないというのは家族揃っての評価だが,多彩な演技の幅があり好きな俳優だ。松田龍平という絶妙の相手役によって,ぐっと存在感が際立つ作品になった。それにしても「便利屋」という職業?そのものが持つ象徴性は深いような気がする。その対象はレベルの高低差はあるが見事に「困っている人」だ。

「教室読み聞かせ」を続けるということ

2013年05月02日 | 読書
 連休読書2冊目。

 『「教室読み聞かせ」読書活動アイデア38』(石川晋 明治図書)

 「教室読み聞かせ」という題名をどうとらえたらいいだろう。
 それは「教室」という「場所」で行われることのみを示しているだけか。もっと重層的な響きがあるように思う。

 似た言葉として「教室音読」がある。
 野口芳宏先生の言である。野口先生は『教室音読で鍛える』という著でこう書かれている。

 担任こそが音読指導の最適任者でなければならない

 そう当てはめてみると「担任こそが読み聞かせの最適任者でなければならない」という,「人」の要素が強く押し込まれている気がする。

 もちろんこの本に書かれているアイデアには,生徒同士の読み聞かせやゲストによるそれもあるわけだが,根本を成しているのは,教師が自ら気にいった本を,子どもたちに向けて継続的に読み聞かせる姿に間違いない。


 なんといっても第一章が心に迫る。

 そのわけは自分自身に劣等感や悔いの念があるからだろうか。

 一応,国語科をメインとして教職を続けてきたが,担任として読み聞かせをきちんと続けたと公言できるのは,わずかに一年ぽっきり。
 それが学級を受け持った最後の年度であった。

 その後,例えばこの本の内容と共通点を見いだせる,全校を巻き込んだ「図書フェスティバル」,国語専科の折に六年生と単元を組んだ「紙芝居」など印象深い実践もあるにはあるが,所詮単発だ。

 自らの底の浅さが見えて少し心がざわめきながらも,身体の芯のごとく展開される著者の「読み聞かせ」が,一つの物語として伝わってくるようで,ある意味惹きこまれてしまった。

 二章は,いわば思想だ。子どもたちとの距離をどう取るのか,手続き,空間,時間についての基本的な考えが述べられている。そこに教育としての位置づけの確かさを見る。

 三章以降にある38のアイデアの範囲の広さ,関わる活動との結びつきは,もちろん一朝一夕にできるものではない。
 無理せず実践可能なことから取り組むべきだろう。ただ,複数取り上げて組み合わせていくことが有効に働くことは全編を読み終えてみればわかるはずだ。

 日課表であったり,単元作成であったり,行事計画であったり,と広範囲に読書を取り入れるという目配せが必要だとわかる。
 前著の2冊と重なる箇所もあるし,それを丁寧に読み込みたい。

 つまり,アイデア集とは言いながら,単発で行うというよりほとんど全てが重ならざるをえないトータル感が強いことが大きな魅力であり,同時に難関さにも見えてくる。

赤ペンという思考ツール

2013年05月01日 | 雑記帳
 全国学力の小国語B、最後の問題。「二人の書いたすいせん文」を読み比べる内容だった。挑戦してみたらちょっと難しい箇所があった。しかし、普通の感想文よりは目的や方法意識が明確なので、わかりやすいのだろう。ただ相手意識はどうか。経験のない人対象という設定は、応用的のようでかなり散漫な気もする。


 数年ぶりにアルコールで記憶を失くす。「風呂に入って」と言われ、悪酔い気味なのでそのままベッド直行は覚えているが、その前が…。店から出る頃から自宅居間までがすっぽりと空白だ。飲み放題なので、フローズン生、そして生ビール、ワイン2種、梅酒、またビールしかもフローズン…これじゃ記憶も凍るか。



 ある教育雑誌の表紙裏にあったエッセイ。「駅の表情」と題されたその文章を読み、正直「だから、何?」と思った。普通列車の一風景を題材に「ぬくもりのある会話が耳に優しい」とは書いてはいるが、言葉の一片もなく、珍しくもない歳末の帰省風景が描かれただけ。ありふれた郷愁だけで成り立つコーナーなのか。


 新年度開始からひと月経過。仕事面ではスタートダッシュとまではいかなくとも、まずまず順調に進んでいる。教育計画作成に関わって、昨年度原稿をもとに「赤ペン修正」して原案提出してくれるよう頼んだ。ほぼ良と評価するならば、現状を見直し、補正、強化、レベルアップするという思考のツールが赤ペンだ。