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リョウケンがセメェ男の独り言

2013年05月27日 | 雑記帳
 「おまえさんは,いったいどういうリョウケンなんだい」

 なんていう言葉を,よく落語に出てくるおかみさんが使う。

 このリョウケンは「了見」で,了解の了,見識の見だろうぐらいの予測はしていた。
 改めて調べてみたが,それも間違いではないようだ。
 しかし,辞書の初めには「料簡」の文字が。

 ネットで調べたら,日本国語大辞典の出典ということで,こんな注が書かれてある。

 「料」は、はかる、かんがえるの意。「簡」は、えらぶ、しらべるの意

 なるほどね。
 落語(時代劇でもある)の話のなかではよく「リョウケンがせまい」とか「くだらねえリョウケンだねえ」なんて否定的な場面での使われ方をするので,単なる「考え・思慮」と思っていたが,どっこいそれでは「そんなリョウケンじゃあ困るよ」その通りだった。


 立川談春の落語CDを聞いていて,そのボーナストラックに談志が談春を誉めている高座の声が入っていて,盛んに「そのリョウケンがいいね」といったことを口にしていた。

 その言葉遣いが今一つ呑み込めなかったが,リョウケンの意味をたどってみると「はかって,えらぶ」「かんがえて,しらべる」と,どちらとどちらの組み合わせでもいいが,単なる思考だけではなく行動に表していることが強調される。

 談春であれば,それは古典落語への追求を指していることは明らかで,それが彼の佇まいを決しているのだと思う。

 談志が自然に口にしている「料簡」は,まさしく実行を伴う思慮以外の何物でもない。

 考えているばかりいる者も,走っているばかりの者も「料簡がせめぇなぁ」ということである。