『我が村』を改めてめくって、いくつかメモしておきたい。
方言・訛語には以前から興味があったので、結構その類の本、冊子は集めているが、これほど古いのは初めてである。
もう70年以上も経つので、かなり死語になりかけているはずだが、わあっ懐かしいと感じるということは、やはり自分の齢を考えると自然だろう。
ただ、翻訳されたことば(標準語)の方に、意味不明の言葉が出てきて、それを広辞苑で調べる有様だ。
たとえば、このページにある「御幣カツギ」「イザリ」は私の語彙にはなかった。
意味を調べて考えてみると、やはりそういう行動、習慣がなくなっていることに改めて気づく。方言にあったということはかなり生活に密着したものだったろうと思うが、それがあっという間になくなっていったことは、同時に失われたものも多い。
「圖」も「ブロック・ダイヤグラム」と称された土地利用区分図から「気候圖」「肥沃土分布圖」と豊富だ。
最後に載っている、「生活改善圖」と称されたこれにはちょっと考えさせられた。
今の自分に当てはめてみると「其他」がほとんどを占める暮らしには、なんともはや…
方言・訛語には以前から興味があったので、結構その類の本、冊子は集めているが、これほど古いのは初めてである。
もう70年以上も経つので、かなり死語になりかけているはずだが、わあっ懐かしいと感じるということは、やはり自分の齢を考えると自然だろう。
ただ、翻訳されたことば(標準語)の方に、意味不明の言葉が出てきて、それを広辞苑で調べる有様だ。
たとえば、このページにある「御幣カツギ」「イザリ」は私の語彙にはなかった。
意味を調べて考えてみると、やはりそういう行動、習慣がなくなっていることに改めて気づく。方言にあったということはかなり生活に密着したものだったろうと思うが、それがあっという間になくなっていったことは、同時に失われたものも多い。
「圖」も「ブロック・ダイヤグラム」と称された土地利用区分図から「気候圖」「肥沃土分布圖」と豊富だ。
最後に載っている、「生活改善圖」と称されたこれにはちょっと考えさせられた。
今の自分に当てはめてみると「其他」がほとんどを占める暮らしには、なんともはや…