T先生の訃報を新聞で見つけた。
同職したり所属団体が同じだったりすることはなかったが、私にとっては印象に残る先輩教師の一人である。
指導主事をなさっていたときに何度か授業を見ていただいたことがある。
その後の協議会での、理路整然とした助言が記憶にある。
学究肌ともいうべき先生だったので、当時仲間と共にサークルを立ち上げ、様々なことを試みていた生意気盛りの私にとっては耳の痛い指導もあった。
そのT先生が、参観した私の授業を取り上げ誉めてくださった文章をある冊子に載せたことがあった。
官からも組合からもあまり評判のよくなかった私にとって、正直その評価はとても嬉しかった。悩んで作り上げたオリジナルの発想だっただけに余計に印象深い。
おかげで専門とは言えない算数の授業まで、興味本位の?参観者が増えたのには正直まいったが…。
T先生は、教育方法学者として著名な故吉本均氏の信奉者であった。
「まなざし」「タクト」そういったキーワードが、お話のところどころに出てきたように思う。
校長として学校経営する立場になっても、この遠方の地に吉本先生を招き開いた学習会なども先頭に立って企画されていたはずである。バイタリティのある方だった。
昨秋、退職者の方々との合同の会があり、久しぶりにそのT先生とお会いできた。退職後10年が経過していたが、授業について語る姿はまだ熱があった。
ああやはりT先生だなあと思いつつ、同時に何故にそこまで意志を持続できているのかうらやましく感じながら、語り合ったことが思い出される。
過日読み終えた『下流志向』の中で、内田樹氏は「教育者に必要な条件」を問われて、ただ一言こう言いきっている。
「師を持っている」ということだけでいい
おそらくT先生は、吉本均という生涯の師を持ち、ものの見方の基準としながら自らの考えを深めてきた。だからこそぶれずに、教育という道を進み通すことができたのだろう。
むろん、私にも師と呼びたい方はいるのだが、改めて、師と呼べるほどに学びきっているかと思うと、最近の我が体たらくを恥じるばかりである。
「師を持っている強さ」をはっきりと体現してくれたT先生。
先生は、最後にその大事なことを私に気づかせてくれました。
ありがとうございました。合掌
同職したり所属団体が同じだったりすることはなかったが、私にとっては印象に残る先輩教師の一人である。
指導主事をなさっていたときに何度か授業を見ていただいたことがある。
その後の協議会での、理路整然とした助言が記憶にある。
学究肌ともいうべき先生だったので、当時仲間と共にサークルを立ち上げ、様々なことを試みていた生意気盛りの私にとっては耳の痛い指導もあった。
そのT先生が、参観した私の授業を取り上げ誉めてくださった文章をある冊子に載せたことがあった。
官からも組合からもあまり評判のよくなかった私にとって、正直その評価はとても嬉しかった。悩んで作り上げたオリジナルの発想だっただけに余計に印象深い。
おかげで専門とは言えない算数の授業まで、興味本位の?参観者が増えたのには正直まいったが…。
T先生は、教育方法学者として著名な故吉本均氏の信奉者であった。
「まなざし」「タクト」そういったキーワードが、お話のところどころに出てきたように思う。
校長として学校経営する立場になっても、この遠方の地に吉本先生を招き開いた学習会なども先頭に立って企画されていたはずである。バイタリティのある方だった。
昨秋、退職者の方々との合同の会があり、久しぶりにそのT先生とお会いできた。退職後10年が経過していたが、授業について語る姿はまだ熱があった。
ああやはりT先生だなあと思いつつ、同時に何故にそこまで意志を持続できているのかうらやましく感じながら、語り合ったことが思い出される。
過日読み終えた『下流志向』の中で、内田樹氏は「教育者に必要な条件」を問われて、ただ一言こう言いきっている。
「師を持っている」ということだけでいい
おそらくT先生は、吉本均という生涯の師を持ち、ものの見方の基準としながら自らの考えを深めてきた。だからこそぶれずに、教育という道を進み通すことができたのだろう。
むろん、私にも師と呼びたい方はいるのだが、改めて、師と呼べるほどに学びきっているかと思うと、最近の我が体たらくを恥じるばかりである。
「師を持っている強さ」をはっきりと体現してくれたT先生。
先生は、最後にその大事なことを私に気づかせてくれました。
ありがとうございました。合掌