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もどらなかった三人の存在

2013年12月04日 | 読書
 昼休みの20分ほどで一冊の児童向けの本を読んだ。

 『トレモスのパン屋』(小倉明  くもん出版)

 ネットを見ていたときに何かの拍子に表示され、「第一回小川未明賞優秀賞受賞作」という表記にちょっと心が動き、たまには…と思って購入したものだった。

 こういうジャンルは読み慣れてはいないが、いい評価をうける本だと思った。大人の読者でも惹きつけられる展開だ。

 トレモスという町にボルトという名前のパン焼き職人がいて、パン焼きコンクールで優勝するほどの腕を持ち、店は繁盛していたが、向かいに同じようなパン屋ができて…という筋立てである。

 この物語には、悪人は一人として出てこない。
 子ども向けだろうから頷けることだが、他に対して意地の悪い考えや思いを抱く場面もほとんどない。
 結局、自分に向ける、自分の中にわき上がる思い、それも迷いや嫉みやこだわりなどが、多くの時間を支配するものだということに気づかされたりする。

 登場する人物の中で、印象深いのは「もどらなかった三人」(実際に語られるのはその中の一人だが)だ。
 それは、向かいのパン屋に流れた客の中で、結局ボルトの店にもどってこなかった三人である。

 結果的には、自分の舌を信じた三人である。

 これらの存在がボルトを不安にさせ、「事件」を引き起こすきっかけを作っていく。


 人は、まず自分を信じていかなければならない。
 では、まるごと自分の思うままに行動すればいいかというと、それは難しい。

 自分の根底にあるものを常に見続けていく必要がある。
 この話においては,主人公ボルトの「うまいパンを作りたい」という願いである。
 それが、様々なことを纏うなかで、だんだんと見えなくなっていくことがある。

 その願いを覆ったり、願いにつながったりする事柄は、注意深く見ていないとその力を強め、本質を見えなくするものだ。

 自分を信じるとは、根底にある思いや願いを貫くことか。

 もどらなかった三人、ボルトの思いに振り回されながら人として信義を忘れかった弟子のカルル、そして何よりパン好きな子供たち、そういう存在によってボルトは再びパン作りへ向う。

 私たちの教育の仕事もさもありなん。
 よけいな情報で重くなっている日常を振りかえさせられる。

 自分にも「もどらなかった三人」はいるのかもしれない。

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