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人の姿に懐きたい

2012年02月23日 | 読書
 この頃はあまり見ることはなくなったが,以前はよく「ゴミ屋敷」のことがテレビなどで取り上げられていた。
 興味本位で見たけれど,どうしてあんなふうになるものなのか,その神経がどうにもわからなかった。

 それがこの小説を手にとった一つの大きな理由。

 もう一つは,やはり作者への興味。たぶん読むことはないだろうと思ってはいたのだが,先日の対談集を読み,その全然わからないということに惹かれて?チャレンジしてみた。

 『巡礼』(橋本治  新潮文庫)


 これを「純文学」と呼ぶのかどうかはわからない。
 表紙裏に「橋本治 初の純文学長編」と書いているので,そうなのかもしれない。
 でもきっと作者はそんなことは関心ないのだろうなと思う。

 何か今までにあまり読んだことのない文体,文脈のような気がして,例の対談集で「橋本さんの小説って,よく読むと『あらすじ』なんですよね」という内田氏の言葉が思い出された。
 それから橋本氏自身がいう「ぜんぶ説明していく」ということもわかるような気がした。
 その意味では新鮮であった。

 そして,何より「ゴミ屋敷」が造り上げられる訳が,ほんの少し分かったような気がする。

 この小説で語られる場面から,「懐かしさ」という言葉に象徴されると感じた。

 一つ一つのモノには思いがくっつくときがある。
 どんなに大量生産されたものであっても,想像してみれば必ず発生する。
 それがポイと投げ捨てられたモノであっても,投げ捨てられたという思いがくっついてしまう。

 「ゴミ」を貯めてしまう心は,それを想像してしまうということではないか。
 モノにまとわりつく思いを見てしまう。
 見なければそれで済むのだが,何故か呼んでいるように聞こえてしまう。

 それは結局人が恋しい,モノの陰にいる人の姿に懐きたいのではないか。
 だから,際限なく自分の心を,その行為に傾けてしまう。

 これが今のところの自分の結論。
 整理下手な自分への警告。

 そして,この小説が何故「巡礼」なのか。このあたりの解読は楽しみ。
 深い意味がありそうで,なさそうで。

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