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繰り返しに身を委ねよう

2022年12月06日 | 読書
 「マンネリ」は多くの場合、否定的に捉えられる。「一定の技法や形式を反復慣用し、固定した型にはまって独創性や新鮮さを失うようになる傾向」(広辞苑)という意味を読めば、ついそう判断しがちだ。しかし居直りではなく、それで何が悪いか、とも言える。「独創性や新鮮さ」の価値はいかほどか、と考え直す著だ。


『マンネリズムのすすめ』(丘沢静也  平凡社新書)




 「バッハはなぜ偉いか」から始まる文章は、よく聴く音楽やジョギング、水泳など毎日著者自身が続けている運動のことを例に出しながら、いわば「繰り返し」の美学的な面を強調していると言える。そして「『がんばって』が挨拶として通用」する現況を、痛烈な一言で批判する。「がんばらないことが、教養なのだ。


 「からだ」に対して「競争社会の競争原理」を当てはめる異常さを指摘し、近代産業社会の代表的なモラルのガンバリズムこそ否定されるべきと述べる。その意味で第三章「すぐれた猟師はしっかり日和見をする」は象徴的である。「日和見」も否定的な見方の強い表現だが、それは自己認識と状況判断に基づいている。


 多様な事例、文献が紹介されているが、野口三千三氏の野口体操が取り上げられて、大学での学びから多少関連する活動をかじった身としては、懐かしく思い出された。技や回数を競わない縄跳びや、身体のイメージを重視したマット運動などいくつか実践を重ねた。身体感覚を常に問いかけた「からだ育て」だった。


 「自己実現」という語がもてはやされているが、やはり他者との差異や新しさが強調される。そうではなく、型にはまったことを続け、無駄なエネルギーを使わない自己表現ぐらいがちょうどよく気持ちいいのではないか。マンネリは「小さな快適や幸福のための技術なのだ」に共感できる。繰り返しに身を委ねよう。


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