詩人である長田弘氏の『読書からはじまる』(NHKライブラリー)という本を読んだ。
平易な言葉遣いなのだが、意味がよくつかめないところもあって
自分の読解力の足りなさを痛感させられた。
しかし、長田氏の言いたいことは、表紙にも書かれている次の一文に込められている。
人は、読書する生き物である。
拙い読み取りながらも、心に響くいくつかのことがある。
例えば、情報と読書の違いである。
新書好きで、いわば情報のための読書?が多い自分にとっては
なんとも考えさせられることだった。
簡単に言ってしまえば、読書というのは「育てる」文化なのです。
対して、情報というのは本質的に「分ける」文化です。
この論に即して言えば、「分ける」ことに力を入れてきた自分の
「育てる」部分の未熟さが指摘されているようだし、
感覚的にもあてはまるような気がしている。
振替の休みがあったので四連休。
最初の二日で、読みかけの5冊を読了した。
本の背表紙を改めてみると、「情報」率80パーセントか…。
三日目に、書店で購入した7冊。
読み始めているが、タイトルから内容を予想してみると
「情報」率はこれも7割は超えているなあ…。
読書による反省がない。
というより、「読書」していないということか。
平易な言葉遣いなのだが、意味がよくつかめないところもあって
自分の読解力の足りなさを痛感させられた。
しかし、長田氏の言いたいことは、表紙にも書かれている次の一文に込められている。
人は、読書する生き物である。
拙い読み取りながらも、心に響くいくつかのことがある。
例えば、情報と読書の違いである。
新書好きで、いわば情報のための読書?が多い自分にとっては
なんとも考えさせられることだった。
簡単に言ってしまえば、読書というのは「育てる」文化なのです。
対して、情報というのは本質的に「分ける」文化です。
この論に即して言えば、「分ける」ことに力を入れてきた自分の
「育てる」部分の未熟さが指摘されているようだし、
感覚的にもあてはまるような気がしている。
振替の休みがあったので四連休。
最初の二日で、読みかけの5冊を読了した。
本の背表紙を改めてみると、「情報」率80パーセントか…。
三日目に、書店で購入した7冊。
読み始めているが、タイトルから内容を予想してみると
「情報」率はこれも7割は超えているなあ…。
読書による反省がない。
というより、「読書」していないということか。
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