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桜と絵本と豆乳と

かつてあった時代への憧憬

2009年08月29日 | 読書
 心の中で、「ああ、そうそう」と何度つぶやいたことか。

 『秋田 遊びの風景』(男鹿和雄著 徳間書店) 
 
 懐かしさにどっぷりと浸ることができた画文集だった。

 ジブリの絵職人といわれる著者が60年代の「遊びの風景」「食の風景」を書き、描いている。著者は私より三つ年上であり、まさしく同じ時代を生きた。
 しかし、肝心なのは同じ場所(地域)にいたということである。

 東京タワーが建てられ、オリンピックが開かれる、あの「三丁目の夕日」の時代に私たちは秋田でこんな暮らしをしていた、ということがまざまざと甦る。
 映画を見て、何か均一な体験をしてきたかのように感じた部分もあったのだが、実は大きく違っていたのでは、ということを改めて思う。

 それはやはり「自然との関わり」の色濃さと言っていいだろう。
 山や川であり、田んぼであり、雪であり…それが家族の暮らしに及ぼす強さ、大きさは、都会の生活と比較できるものではなかったろう。
 食だけ取り上げても、夏にはナス、キュウリ、トマトの毎日。秋には柿だ、干し柿だ。ハタハタを何日も続けて食べる冬を越して、重箱を持って運動会に出かけられる春が来る…

 著者の文章は淡々と書かれているが、強く残る心象を表しただろう絵のタッチがなんとも言われない。ジブリ作品に惹かれる要素が、そうした時代への憧憬であったことを今さらながらに気づく。

 聞き書き職人として知られる塩野米松が解説を書いている。その題名がまさしく言いえている。

 子どもが子どもであった時代
 
 絵の中にある暖かさや温もりを感じられるとすれば、それはまだ自分のどこかにあるはずであり、自分なりに何かの形として残しておかなければ、そんな気にさせられた。

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