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選択の力を取り戻す

2014年06月25日 | 読書
 「2014読了」63冊目 ★★★

 『ポーカー・フェース』(沢木耕太郎  新潮文庫)

 相変わらず上手いなあ、読ませるなあと思いながら、味わうことができた。
 一つの話題を、自他の経験と結びつけながら、何層にも重ね合わせて考えていくようなイメージだ。

 これは当然、著者が単に文章上手ということではなく「体験」に裏打ちされた深い認識を持っているからだ。
 年頭の書き初めに「動」と書いたものの、あまりの経験の狭さに今頃怖気づいている自分なぞには、けして手の届かない世界観なのだろうなあ。


 さて、今回収められた13篇はどれも興味深いが、最終の「沖行く船を見送って」にある「選択」に関する実験や文献の紹介が心に残った。
 そもそもは表題のように「無人島に持っていく一冊」から始まって「博打の必勝法」につながり、そこから「選択の科学」というふうに進んだものだ。

 そこで紹介されているラットを使った実験では、「経験」と「意志」の関係について述べられていた。シーナ・アイエンガ―という学者はこう書いている。

 わたしたちが「選択」と呼んでいるものは、自分自身や、自分の置かれた環境を、自分の力で変える能力のことだ。選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。


 ここに「しない」選択の形がどう位置づけられるのか検討に値するが、例えば現状維持は不変的ではないし、何かは絶えず変わっていることを考えると、いずれにしろ納得できる。
 選択を「能力」と考えると、そこでの判断は常に現実を変える力の一部として積み重なっていくと見るべきなのだろう。

 学習していないラットは早く溺れるという実験結果は、当然とはいえ、選択の機会を全ての子に保障するという教育の根本を支えるものだ。
 ただし、選択にある諸相は現実社会で大きな幅を持って存在している。その内実を凝視してみると、逆に飼い馴らされている自分に気づいたりするから怖ろしい。


 さて「選択の自由度と満足度の相関関係」は、単純に予想もできるし、理解もできる。

 そして自らの仕事に照らし合わせれば、その自由度は明らかに狭まってきていることは間違いない。狭める側の片棒をかつぎたくなくとも、そんな状態に陥っているのかもしれない。
 もう一度、身近なところから「これは選択できるんだよ」と数え始める姿勢が必要だ。

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