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「自在」であったかと問うライフ

2008年11月11日 | 雑記帳
 筑紫哲也が亡くなった。
 TBS系列の放送局がない地域にいるので、そんなに思い入れがあるわけではないが、メディアに登場する人物のなかではなんとなく良心的なイメージで見ていたと思う。
 一昨年に「スローライフ」という新書を出していたはずと、どんなことメモしていたんだろと自分のブログを検索してみた。
 あれっ、ない。もうネット上にない以前のブログの方かなと思いインポートしたデータにもあたったが見当たらない。ホームページの「読書記録」には確かに載っていたが、そうかあ書いていなかったんだあ、星印4をつけてあることは結構いい本だったのになあ、と惜しい気になった。

 改めて、書棚からその新書を引き出してみる。

 『スローライフ 緩急自在のすすめ』(岩波新書)
 
 あれっと思う。
 一昨年の発刊であり、確かに「スローフード」なの「ロハス」なのそういう類の言葉が目につきだした頃だから、「スローライフ」もかなり象徴的なことばだが、肝心なのはもしかしたらこの副題「緩急自在のすすめ」ではないか。

 つまり、緩であっても急であっても、自在に生きるということではないか。
 仕事でもプライベートでも、能率よくスマートもあり、効率だけを追い求めずのんびりもあり、という考えで、つまりどちらかに固まらずやってみようよ、ということではないのか。

 確かに社会全体を見ればファストな世の中であり、バランスをとるためにはスローを意識して実行したい。
 ただ現実にはいつもスローでいられるわけがないし、そこまで徹底できないことなどわかりきっているはず…。
 そんな軽い感覚でいいんじゃないかと思う。肝心なのは「自在」であること。
 改めて本文にあたったら、筑紫はこんなことを書いている。

 自(おの)れが在る~自分が緩急のペースを選び取るということでしょう。

 それは「自在」であったか。

 立ち止まり、そのことを考えられるのはスローという感覚が必要になるだろう。
 この本ももう一度、読み直してみようと思う。
 合掌。

2 コメント

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見えない障害と闘いながら (智太郎)
2008-11-11 15:43:26
読書するには、その読み方が三通りあると聞く。 一つは、ただストーリーだけを追って読む。 二つには、時代的背景、社会情勢を考えながら読む。 三には、作者の思想、意図など、作者自身の人間を、洞察して読む。なかでも、とくに大事なのは三番目で、そうでないと、作品を十分に理解することはできない。 すべての著作は、これを読む人との対話であり、著者と読者との共同作品でもあると、自分は思う。

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Unknown (spring)
2008-11-11 18:54:56
コメントありがとうございます。
たぶん読書をしようとする時そんなに意識してはいないと思うのだけれど、読み進むにつれて、読者を引き込んでいく、対話を促すのが、作者・著者の力なのでしょう。もちろん、そういう出会いのためには読者の「自在」が必要だということ。
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