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手に残る兎はどれほどか

2020年06月22日 | 雑記帳
 ある冊子に姜尚中の連載エッセイがあり、その回は「『あれもこれも』ではなく『あれかこれか』」と題されていた。コロナ禍の中で制限される暮らしのなかで、今までを振り返り、今後どうあるべきかを述べている。「一得一失(トレードオフ)」や「リトリート(retreat)」というキーワードが示され、深く考えさせられた。


 「これまでの経緯を見る限り、私たちはどこかで、『オリンピックも安全も、そして景気も』と考えてこなかっただろうか。」…この認識はここ数年の傾向として否定できないように思う。自分はへそ曲がり要素が強いから、安易に同調してはこなかったけれど、時流に掉さす踏ん張りもなく、内面の深まりも半端だった。


 ところで文中に同様の意味で「二兎追う者は一兎をも得ず」の喩えが使われていて、懐かしい気がした。その感覚こそが現状を語るにふさわしい。これは社会や周囲批判ではなく自分そのものだ。久しぶりにその格言を見て、昔になるがそれを逆手にとったような拙句を作り、賀状に載せた記憶がよみがえってきた。


 2階の書棚の奥を当たってみたら、一つ印刷したものが残っていた。平成11年兎年。1999年の賀状である。ただ、このデザインで出したかどうかは不明だ。



 月冴ゆる今年も追うか二兎三兎

 教頭になって数年が経ち「何でも屋」がだいぶ板についた頃。まだまだやれることがあるのではと考えていた。この年に読書99冊宣言をしたことは覚えている。


 この駄句は仕事上の要素が大きかったろう。しかし例えば家族状況をみれば、難しさが募ってきた時期とも重なる。うまくこなした思いは全く残っていないが、様々な良い方向を追い求める頑張りに疑いは持っていなかった。時が流れて今、手に残る「兎」はどれほどか。一番大切な兎を失わない生き方が見えてくる。


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