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フィーリング世代の適当さ

2020年06月28日 | 雑記帳
 『ちくま』7月号で穂村弘連載の「絶叫委員会」に、「フィーリング」という言葉が取り上げられていた。穂村は、五十代くらいの男女の会話からその語を耳にして「同世代の私としては妙に懐かしく、同時にちょっと恥ずかしい」と書く。頷く人も多いだろう。同名の曲をHi-Fi Setが歌っていたことも思い出す。



 今「フィーリングだな」などと使ったら失笑されそうだ。流行ったのは、もはや半世紀近くなる。ちなみに電子辞書に収められている三つの辞典にはいずれも見出し語として載っていた。興味深いのはシソーラス(類語)だ。五つに区分されている。「気配」「技能」「感性」「心地」「骨(こつ)・秘訣」。結構、万能語だ。


 例えば「私たちはフィーリングが合う」と言えば「相性」を指すし、「フィーリングで動く」となれば「」と言っていいだろう。この頃使われなくなったのは、~~ingという安易?な名詞形が古い印象になるからかもしれない。映画「燃えよドラゴン」の名台詞「Don’t think, feel!」は、今もって通用する気がする。


 フィーリングの代替や類語として使われそうな横文字(古っ)を並べてみよう。「トーン」「ニュアンス」「スキル」「ノウハウ」「テクニック」「センス」「ムード」「シークレット」が挙げられよう。つまり、英語への慣れとともに世の中が細分化されてきたので、場や状況に当てはまる語の選択肢が増えたということか。


 曲を聴いてみたくなってyoutubeを開いたら、「日本語歌詞 なかにし礼」とある。ああそうだった。原曲はモーリス・アルバードという南米の歌手で「愛のフィーリング」という題名だ。そうすれば、単なる輸入流行語ということだったか。フィーリングで適当な推測を書いてしまった、フィーリング世代でした。


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