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肯て、物事に関わり合う

2020年01月04日 | 雑記帳
 自宅書初めで書く「今年の一字」は「」にしようと、師走に『街場の平成論』を読了した後になんとなく考えていた。

 「小さな肯定」がこれからの心がけだと思ったからだ。
 それを忘れないための「肯」ではあるが、そもそもその一字の意味とは?

 「うなずく」という読み方をすることは知っている。しかし「頷く」という漢字の方が一般的だろう。
 漢字の達者な方ならご存知かもしれないが、訓読みでは「がえんずる」と読むらしい。

 そして、なんと「がえん・ずる【肯ずる】」とは、もともとは「…することを肯定しない。…することを承知しない」が本義ということだ。
 その本来の「否定の意味が失われて肯定の意味に転じた」とあるではないか。
 にわかに思い出させないが、そんな語はいくつかあったと思う。



 「肯」は象形文字で「骨に接続している肉」を表わす。
 『字解』によると、その部分の肉を料理人が見事な包丁さばきで取っていくことが故事にある。そこから「困難な状況をおしきってすること」を「あえて(肯て)」というと書かれてある。

 これもふつうは「敢えて」が当てられているが、大辞典だと「肯て」もあり、後者の方が肯定の用法に結びつくようだ。
 そして「あえてする」⇒「同意する」⇒「認める、許す」という流れで、現在多く使われる「肯定」の意味として成り立っている。

 
 「うなずく」ことを、大らかな気持ちで接するというイメージでとらえてみたのだが、どうやら実際は厳しい場面でも「うなずく」ことを要求されている意味が重なってきた。

 いずれにしろ、どこを見ても困難な状況ということに変わりはないのだから、気持ちとしては「あえて」つまり、心から進んでという意思を持ち(心ならずもという否定用法ではなく)物事に関わり合っていくことだ。

 それが「小さな肯定」そのものにつながっていると信じよう。


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