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「トランプ」で遊ぼう

2016年11月09日 | 雑記帳
 トランプという言葉を一度でも辞書で調べたことがある人は知っているだろう。トランプのもともとの意味は「切り札」であることを。アメリカ国民が選んだ大統領がはたして切り札になるのか、その時どんな札をきってくるのか、まともに影響をうけるこの国の庶民としては、いささか心配だけれど…あっ言語編です。



 「トランプ」とは小さい辞書には載っていないが、英国では「てくてく歩くこと。徒歩旅行」の意味を指すらしい。また「切り札」に近い「最後の手段」という意味も持つ。その派生なのか「口語」と断って「頼もしい人」もある。もう一つ「トランペット」に通ずる「らっぱ」もある。さて大統領、どちらが近いか。


 カードのトランプはそもそも4種類13枚ずつの52枚だったらしく、ジョーカーは後から付け足されたようだ。切り札になるのは後からだったのか。歴史事典によると、起源は様々で世界的な統一は19世紀のようだ。日本へは江戸後期。なお国産トランプは1903年あの任天堂製が最初。任天堂もかの国で頑張っています。


 それにしても、和英辞典に挙げられている例は、冒頭の「トランプで勝つ」はまだしも「トランプで賭博をやる」「トランプで運を占う」「トランプを切る」「トランプの手品」といったものばかり。良き未来を想像できる人はいいが、何やら不安定な例文に緊張する。影響はあるだろうが、ゲームに惑わされないことかな。

道を行くか、路を行くか

2016年11月09日 | 読書
 『路(ルウ)』(吉田修一  文藝春秋)

 447ページある結構な長編。読み終えたのが昨朝で、たまたま朝刊に「吉田修一が芥川賞選考委員に」の記事が載っていた。もはや大御所だなと思う。この作品は、台湾高速鉄道開設に関わる女性を主人公にしたストーリーで、いわゆる「事件」に該当する事はなく淡々とした流れで、最初は面白みに欠ける気がした。


 台湾が舞台になる小説は、去年の直木賞作品「流」もそうだが、読み通すうえで人物氏名が一つの壁になると改めて感じた。漢字使用国民としてはいささか恥ずかしい話だが、知っている漢字を発音を変えて読む(イメージをつくる)のは難しい。そういえば、例のキラキラネームに対する見方も似ているかと連想した。



 全編を通して背景を作っている一つの流れに、日本と台湾との国民性の違いがある。それが様々な表現で描写されていて、興味深い。高速鉄道に関わる仕事上のスケジュール変更が典型的に描かれるが、日本人の思う「予定」という意味のとらえ方が根本的に違っている。それは、見方を変えれば生き方そのものだ。


 つまり、予定に縛られるのか、予定はあくまで予定なのか。誰しも後者が本質だとは知りながら、現実として多くの予定に縛られている。そう「自分勝手なことをすれば他人に迷惑がかかる」という、染み付いた道徳的感情に支配されている。その支配へどう対応し変貌していくかが、この話の人物の一つの読み方だ。


 時間感覚の違いを「出かけるまで3時間あるとすれば東京では1時間、台湾では5時間に感じられる」とある人物に言わせていた。そんな地に新幹線という構造的な矛盾にも思いが及ぶ。題名の「路」は台湾の通りの名として多用される。「道」とは異なる意味で、「路」にも「すじみち・行き方」がある。象徴的だ。