すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

意味のない一コマを思い出す

2013年03月13日 | 雑記帳
 今年も卒業を控える六年生に、ちょっとひねった思い出(自分では「思い出のB面」と称している)を書いてもらった。

 「好きな場所」「給食メニュー」「苦手な時間」などに交えて「一番の『ドジ』」も内容に加えているが、質問選択制であり選んだ子も少なく、あまりパッとした、まあ読んでいて面白いドジがない。

 失敗しなくなっているのか、思いだせないだけなのか…。

 小学校時代は、みんなの前で間違ったり、何か失敗をやらかしたりすると、結構素早く反応があり、いつまでもその話題を持ち出されたり、あだ名をつけられたりするものだった。

 この傾向、最近はどうだろう。
 もしかしたら、行き届く「指導」で、未然に防止されているのだろうか。
 間違いや失敗をあまり気にしなくなった、抵抗性の強い子どもができているのだろうか。

 いや小学生は案外残酷で、いつまでもネチネチしている奴もいるから気をつけなくては…。

 本当に些細なことでも、ずっと覚えている出来事はあるもので、私も確か小学校6年の国語のある時間を妙に記憶している。

 音読をするよう指名されたSくんが、ある漢字の前で立ち止まった。

 「花園」

 ほんの少し間をおいて言ったのが「ハナエン」。

 昔の教師はすぐに教えたりしないから「ちがう!」という一言を発し、待ち続けた。

 「ハナ…」「ええーっと、ハナ…」

 Sくんと席が近かった心優しき学級委員長(自分のことだが)は小声でその読みを囁いた。

 「ゾノ、ゾ、ノ」

 ちらっとこちらを見たSくんはにやりと笑い、自信ありげにこう言ったのである。

 「ハナゾエン」


 爆笑が起きた。
 そこまでは覚えている。

 そしてそれからSくんは、悪たれ共から「ハナゾエン」というあだ名で呼ばれるようになった(わけではない)。
 責任の一端を担う私にとって、ホッともしたこともあり、こんな大した意味のない一コマを覚えているのかもしれない。

 今、卒業していく子供たちは、こんな小さな一コマを、数十年後に思い出すだろうか。
 大した意味のない一コマがたくさん集まって、六年間を作っていたとわかるのは、もうしばらくしてからかもしれないね。