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問い尽くし,問い疲れ

2013年03月12日 | 雑記帳
 初めて教頭職として赴任した職場で、四月が終わった頃だったろうか、職員の一人にこんなことを言われた記憶がある。

 「先生が来てから、なんだか目的とか本質的なことを考えるようになったけど…」

 半分は誉め言葉のつもりで言ってくれたのだろうが、「ああそうか」と思いあたり、少し恥ずかしいような思いにとらわれたことを覚えている。

 新しく着任した学校では誰しもいろいろなことに戸惑うものだが、そんな勢いに任せて「どうしてこれをやるの?」「これって何のためにあることなのかなあ」などと連発していたからだろう。
 当然もう若くもない年齢に達していたのに、そんな問いを繰り返して,仕事を滞らせたのだろう。
 全く無駄だったとは言わないが、年度初めのスムーズな進行には支障をきたしただろうな…もう15年も前の話になってしまった。

 そんな昔のやや苦い思いがふとよみがえってきたのは、つい最近の職員会議でのこと。

 年度末反省の場でいろいろな意見が出て、ある生徒指導上の案件で今までやっていた方法を変えようということになった。
 細かい運営上の方法や問題等には原則的に口を挟まないようにしているので、うんうんと頷き、そして口から出たのは、次のような言葉だった。

 「これは~~~だから、こういうふうに変えて、そして~~~~ということを目指して、~~~するんだよね。」

 いわば、意味づける言葉が自然に出ていた。

 そういえば、最近こんなパターンが多いなあ…これでいいんだよね。

 と、そんなふうに自分自身を納得させようとしたときに思い出した。

 はたしてこの今の自分は、問いを言い尽くした姿なのか、はたまた問いに疲れただけの姿か。