『人間集団における人望の研究』(山本七平 祥伝社黄金文庫)
この文庫本に懐かしい名称が載っている。
革自連
単行本の発刊が昭和58年であるから、なるほどである。
もちろんその団体に入っていたわけではないが、支持?はしていた。
学生だった頃から雑誌「話の特集」を愛読していた自分にとっては、その時期の一つの指針のようにも思えたからである。
この本では革自連のゴタゴタを巡る批判が具体例として出され、「徳」「人望」ということが語られる。そのいちいちを理解できたわけではないが、ふりかえると結局自分に足りなかったのは何だったか、などということまで思いが及んだ。
この本のキーワードの一つとも言えるだろう。
中庸
若い頃、「革自連」に心がときめいていた頃、そしてそれから結構しばらくの間…この言葉は受け入れがたかった。それは妥協の産物であり、事なかれ主義であり、と心の中で声を荒げていたと思う。
しかし当時の自分は、今二つの面で真っ向から否定される。
一つは中庸という言葉そのものの意味の捉えを誤っていること。
もう一つは、中庸の持つ強さに気づいていないこと。
いくらか見えてきたとはいえ、この本に書かれている人望のための不可欠の条件「九徳」には程遠い道を歩んでいる。
たまにはその徳のあり方に思いを寄せて、一時でも中庸の道を歩いてみたいものだ。とりあえずは、その(七)を目指して。
簡にして廉
この文庫本に懐かしい名称が載っている。
革自連
単行本の発刊が昭和58年であるから、なるほどである。
もちろんその団体に入っていたわけではないが、支持?はしていた。
学生だった頃から雑誌「話の特集」を愛読していた自分にとっては、その時期の一つの指針のようにも思えたからである。
この本では革自連のゴタゴタを巡る批判が具体例として出され、「徳」「人望」ということが語られる。そのいちいちを理解できたわけではないが、ふりかえると結局自分に足りなかったのは何だったか、などということまで思いが及んだ。
この本のキーワードの一つとも言えるだろう。
中庸
若い頃、「革自連」に心がときめいていた頃、そしてそれから結構しばらくの間…この言葉は受け入れがたかった。それは妥協の産物であり、事なかれ主義であり、と心の中で声を荒げていたと思う。
しかし当時の自分は、今二つの面で真っ向から否定される。
一つは中庸という言葉そのものの意味の捉えを誤っていること。
もう一つは、中庸の持つ強さに気づいていないこと。
いくらか見えてきたとはいえ、この本に書かれている人望のための不可欠の条件「九徳」には程遠い道を歩んでいる。
たまにはその徳のあり方に思いを寄せて、一時でも中庸の道を歩いてみたいものだ。とりあえずは、その(七)を目指して。
簡にして廉