ビンボー生活マニュアル

いかに安上がりに過ごすか

枝野官房長官『直ちに避難の必要無い』飯舘村の放射性物質、IAEA勧告を無視。

2011-03-31 17:08:37 | 日記
おやおや、独自解釈で、自国民を見殺しですかぁ?

『枝野幸男官房長官は31日午前の記者会見で、国際原子力機関(IAEA)が福島県飯舘村内の土壌から高濃度放射性物質が検出され、避難勧告を出す様日本政府に伝えた事に付いて「現状ではそうした状況では無い」と述べ、直ちに避難指示を出す必要は無いとの認識を示した。只、枝野長官は「長期間そうした土壌の地域にいると、その蓄積で健康被害の可能性が生じる性質の物で、しっかり対処しなければならない」と述べた。同村は福島第1原発から約40km北西付近に有り、半径20km圏内の避難区域には含まれていない。枝野長官は「大気中のモニタリングを通じて、(避難の)必要が生じた時にタイミングが遅れない様に万全を期したい」と強調した。』

昨夜、IAEAが日本政府に住民に避難を勧告する様促したって情報を聞いて以来、日本政府がどんな対応を取るかと注目していたが、即却下ですか?

日本政府が、避難の必要を感じるのは何時になってから?

大気中のモニタリングで避難の必要を感じたその時には、もう既に遅過ぎるんじゃないの?

『万全を期す』とは、その時が来てからでは無く、その時が来る前に対処するのが本当なんだがなぁ。

汚染の地域状況は同心円で均一に拡がる訳じゃなかろう。20km圏内の避難区域に含まれていなくったって、圏外だって風向き次第じゃ放射性物質が降って来る。

IAEAのは勧告だから、そう強く進めている訳では無いけれど、無視しちゃうってのはどうかな?

専門家の意見には従って於いた方が賢明だと思うが…。

もう、枝野の言葉も信じられない。

現政権は、嘘付きばっかりだ。

工藤静香、自作のブッダの絵を被災地へ『何処かに飾って頂いて、この絵が力になるならば』

2011-03-31 15:57:16 | 日記
今はまだ、絵なんか貰ったって迷惑だろう。

『画家としても活躍する片岡鶴太郎(56)工藤静香(40)八代亜紀(60)が30日、都内で絵画展「鎮魂と慈悲 ブッダの素顔展-手塚治虫と四大巨星-」(31日~、東京タワー)の記者発表を行った。3人と、この日は欠席した石坂浩二が、同展の為に描いたブッダの絵が初公開された。片岡は東日本大震災に触れ、「今ブッダを描く事は単なる偶然では無いと感じた」と挨拶。100号の巨大画を制作した工藤は「ブッダの絵という事も有るし、色合いも心地良く、自分で見ても落ち着ける」と話し、絵画展の閉幕後は「被災地に寄付したい」と発表。「何処かに飾って頂いて、この絵が力になるならば」と語った。11日の地震発生時、工藤は都内の自宅にいたそう。「慌てちゃいけないのに子供の事が気になって、迎えに走ってしまった。自転車で行けばいいのに車で行っちゃって…。冷静に判断出来なかった」と語った。4人の絵をポストカードにし、チャリティー販売も。』

『被災地の皆さんの為に、クラスの皆で千羽鶴を送りましょう』と学級会で提案する小学校低学年レベルの発想と何ら変わらない。

単なる売名行為。今の時期にそんな物貰ったって、被災地では何の役にも立ちはしない。寄付するんなら、被災地で不足している物資とか、現金とかの方がどれだけ有り難い事か。

タイミング的には、被災地の復旧が完了に近付いて、復興終了間近。原発事故が一段落し、緊急避難していた住民が地元に戻れた頃ならば、それなりの意味も有るかも知れないが、これは単なる嫌がらせでしかない。

届いたら、電気が復旧していない地区に届けて、燃やして暖を取る也、炊き出しの燃料にすると良い。その過程を全てカメラに収めて最後に『工藤静香さん、燃料を有難う~ッ!』って被災者に言わせた映像をTVの全国ネットで流してやれば、どんなに馬鹿でも自分の行なった行為がどんなに愚かしい事だったかを思い知るかも知れない。

天然みたいだから、最後迄理解出来ないかも知れないが…。

Pretty Little Baby. Yeah! Yeah!

2011-03-31 15:19:48 | 日記
その昔、どういうシチュエーションでそうなったかもう思い出せないんだが、休日の昼下がり、その頃同居していた姪っ子と二人で留守番をする事になった。

家人は確か外出、姪っ子の父母はお仕事。

面白いそうなTVもやっていなかったので、居間で一人寛ぐ。姪っ子は縁側で一人遊び。

暇なんで、一人遊びしている姪っ子に眼をやる。1歳と2~3ヶ月位だったか。

眼と眼が合った。嬉しそうに、楽しそうに、にっこりと微笑む姪っ子。本当に、とても、とぉ~っても可愛い。

微笑んだ後、姪っ子は再び一人遊びに戻る。

暫く観察していたら、数分おきにこちらに眼をやり、おいらの存在を確認している様だ。

ここで疑問が頭をもたげる。おいらが隠れたらどうなるんだろう? と。

姪っ子がこちら眼をやった直後、音を立てない様そぉ~っと立ち上がり、居間から廊下に移動。装飾ガラスの引き戸の後ろに隠れ、すこぉ~し引き戸を開き、その隙間から姪っ子を観察する。

暫く間が有った後、おいらのいた場所に眼をやる姪っ子。いた筈のおいらがいないので『はっ』とした様な表情になる。

しゃがんで一人遊びしていたのだが、すっくと立ち上がると、おいらがいた場所に小走りで駆け寄る。でも、おいらはいない。

くるりと踵を返し、再び縁側の元いた場所に戻る姪っ子。

再び反転し、又もおいらの存在を確認する。でも、いない。

も一度、居間のおいらがいた場所に駆け寄る。物凄く困った表情を浮かべていたが、仕舞いに声を上げて泣き出した。

これは流石に不味いと思い、廊下から居間に戻り、泣いている姪っ子を抱っこし謝りながらあやした。

暫く泣いていたが、その内泣き止んで機嫌を直してくれたんじゃなかったかな?

昔々の楽しい思い出。

『津波がここ迄来る訳が無い』そう言われながら10年掛けて作った岩山の手作り避難所、70人の命救う。

2011-03-31 14:23:18 | 日記
現代版の『ノアの箱舟』みたいなもんか?

『松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30m程の岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板が有った。お年寄りでも上れる様に段差は低く、手摺りも有る。平らになった頂上には、8畳の小屋と東屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年程前から、退職金を注ぎ込んで1人で造った。「避難場所は家から直ぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。地震が有った11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると既に40人程がここに避難していた。津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋が薙ぎ倒される音がバリバリと響いた。一旦波が引いた後、「第2波には耐えられない」と更に人がやって来た。「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性等4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。避難者は70人程になり、お年寄りや怪我人は小屋でストーブを焚き、男性陣は東屋で焚き火をして夜を明かした。夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋や瓦礫で埋め尽くされていた。避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見の明が有った」と感謝する。一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれ迄「大きな津波は、建物では駄目。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えた事も有ったが、「佐藤山」は指定されなかった。 佐藤さんは「老後の道楽も兼ねて造った避難所で一人でも多く助かって良かった」と喜ぶ一方、「もっと多くの人に『ここに逃げて』と伝えられていれば」と悔しさも滲ませる。「佐藤山」には、元々有った山桜の他、枝垂れ桜や数々の山野草が植えられている。津波に襲われた登り口付近の梅の木は、地震後に白い花を満開にさせた。「早く平和な日常が戻る様に」。佐藤さんは、様変わりした野蒜地区を見てそう祈っている。』

8畳の小屋と東屋で約70人を収容ですか。 東屋、庭園や公園に設けられた休憩用の四方の柱と屋根だけの小さな建物の事。まぁ、ここも広くても8畳、狭けりゃ4畳半。

畳のサイズは各規格毎に微妙に異なるが、まぁ我が家の畳を参考にすると、胡坐を掻いた状態で座ったとして、1畳当たり、大人8人は余裕で座れる。8畳の小屋だと8×8で64人は軽~く収容が可能。東屋が小さめサイズで6畳と仮定すると6×8で48人が収容可能。合計で100人以上は余裕で非難出来る計算。

展望台も有るし、他にもスペースは有るだろうからもっと大勢収容出来ただろうし、詰めればまだまだ人は収容出来たろう。

行政が指定した避難場所は津波に襲われ、避難民が多数犠牲になっている。避難場所に指定されなかった私設の『佐藤山』に逃げ込んだ人間が生き延びれたとは、なんとも皮肉な話だ。

恐らくは『佐藤山』の事を知っている近所の人達のみが避難して来たんだろう。

普段は佐藤善文氏の事を、影じゃキチガイ呼ばわりしたり、鼻で笑って暇人の道楽、とか、冷笑しながら酔狂な事をやっている変人程度にしか認識していなかった筈。

持ち主が避難する前に、既に40人程が避難していたとは…。溺れる者は藁にも縋るって奴だろう。

命拾いした方々、もう金輪際、佐藤氏には足を向けて寝られないぞ。

菅首相、反論また反論。歴代政権や東電への責任転嫁に躍起、参院予算委。

2011-03-30 23:40:15 | 日記
まぁ、反論して責任転嫁しとかないと直ぐに終わっちゃうからなぁ。否定せざる得ない訳だ。

『菅直人首相は29日、東日本大震災の発生から19日目にして初めて国会で答弁に立った。同日の参院予算委員会で、野党は首相が震災翌日に福島第1原子力発電所を視察した為に事故対応の初動に遅れが生じたと厳しく批判。首相は色をなして反論する一方、自民党政権や東京電力への責任転嫁に躍起となった。「視察で(初動が)遅延したという指摘は全く当たらない。東京電力もそういう認識でいる」。首相は、自身が視察を敢行した事から原子炉の圧力を下げる「ベント」の作業が遅れたとする自民党の礒崎陽輔氏の質問に、一際声を高めてこう反論した。福島第1原発では、ベントの遅れが事故拡大に繋がったとの指摘が有る。首相は「(官邸は)12日午前1時30分にはベントをすべきだとの方針を明確に東電に伝えていた」と説明し、視察との関連性を否定した。「政治的パフォーマンス」とする批判には「全く違う」と声を荒らげた。(中略)地震発生から19日目にして漸く釈明に乗り出すと共に、過去の政権の責任にも言及し、野党の追及を牽制した。 「(原発設置)当時の津波への認識が大きく間違っていたのは否定しようがない」。首相は政府と東電が安全対策を怠ったと指摘する共産党の大門実紀史氏にはこう答弁した。「(1960年の)チリ地震(の津波)の水準も満たしていないとすれば相当問題だ」とも強調した。原因は自民党等過去の政権の無策に有るとの認識を示した発言だ。首相は、大震災の復旧・復興に向けては前向きな決意も表明した。「(震災被災者の)生活再建に国として責任を持つ」と強調。今後の日本のエネルギー政策に付いては「今回の事を教訓に、太陽、バイオ等クリーンエネルギーを世界の先頭に立って開発し、新たな大きな柱として行く」との構想を披露した。一方、福島第1原発の半径20~30km圏内の住民に屋内退避の指示を出している事に関しては「私の理解では、放射能被害の危険性は(半径)20kmを超えた所ではない。只、念の為屋外(外出)は控えた方が良い」と曖昧な答弁に終始した。』

駄目だな、こんな答弁じゃ。クリーンエネルギーを世界の先頭に立って開発ねぇ? 太陽光発電なんて、民間の電気会社じゃない所とか個人が屋根に設置してる位で、電力会社が本気で取り組んでいるとは思えない。ヨーロッパなんかにゃ広大な土地にソーラーパネルを配置して取り組んでいるのに比べたら、子供騙しにもなりゃしない。

原子力には詳しいらしいから(笑)福島第1原発の半径20~30km圏内の住民に屋内退避で充分だと思っているのかも知れないが、枝野は自主避難を数日前から進めているが、この主張の矛盾は何? 指示自体が未だ混乱している。

原発事故の原因が自民党等過去の政権の無策に有るとの認識は、間違っていないだろうが、政権を奪取した段階で、その無策な政策を見直して修正を掛けるのが、政権交代した民主党の役割り。

嘘だらけのマニフェストを強行に押し通そうとするより、ずっと意味が有る政策だった筈なんだが、それらには全く眼を向けず、国民には『子ども手当て』だとか『高校無償化』、更に『年金問題』、財源は『埋蔵金』が有るから大丈夫、とか耳障りの良い言葉ばかりを並べて、どれもこれも最初豪語していた内容とはかなり変わった状況になってるな。

しないと言ってた増税はしっかりやっているし。あれもこれも、嘘ばっかり。

CO2の25%削減は、原発問題でもう実現不可能だろうし、民主党政権がそう長く続く事も無いだろうし…。

早い所政権移譲してくれないかな? 民主党。