ビンボー生活マニュアル

いかに安上がりに過ごすか

母親の車に轢かれ3歳女児死亡。

2011-03-28 23:23:16 | 日記
これは誰にも責任転嫁出来ないな。まともな母なら一生自分を責め続け、十字架背負って生きていく事になる。

『27日午前11時55分頃、大田原市羽田のコミュニティー消防センター駐車場で、近くの渡辺詩織ちゃん(3)が、駐車場から出ようと左折した母親の無職、未記さん(33)のワンボックスカーに轢かれた。詩織ちゃんは頭を強く打ち、約1時間半後に搬送先の病院で死亡が確認された。大田原署の発表によると、詩織ちゃんは未記さんの次女で、未記さんは、長男(8)、長女(5)、詩織ちゃんの3人を連れて事故現場から50m離れた公民館で開かれていた会合に出席。その後、詩織ちゃん等を車に乗せて近くの神社で開かれている祭りに向かおうとした所、車の左にいた詩織ちゃんを轢いたという。同署では、未記さんが詩織ちゃんも車に乗ったと思い、車を発車させたと見て調べている。』

かなり昔の話になるが、町内で孫の女児を連れてスーパーに買い物に来ていた婆さま、新装開店でセール中だったらしく、店内は買い物客でごった返していたらしい。

孫娘の手を引いて、レジに並ぶ婆さま。順番待ちをしている間にその孫娘、3歳位だったと記憶しているが、尿意を催して婆さまにそれを訴えたらしい。普通の感覚なら、店員にトイレの場所を聞いて付き添う所なんだろうが、この婆さまは違った。

孫娘に向かって『その辺でしておいで』と一言。レジで自分の順番が迫っていたのか、並び直すのが面倒だったのか?

軽~く鼻であしらわれた孫娘。一人で店外の駐車場に向かい、車の影に隠れて用を足し始めた。

自分の車の影で、ションベンしている女児がいるとは夢にも思わないドライバー。車の周囲を確認する事も無く、エンジンを掛け発車。女児は突然動き出したその車に轢かれてほぼ即死状態。

通夜だか葬儀だか、涙を流して土下座し、平謝りに謝るドライバーに対して、この婆さま、自らの責任を一切無かったかの様に、全ての責任をこのドライバーにおっ被せて非難、罵倒したらしい。家人から伝聞された物だが相当に酷い罵倒をしたそうだ。

流石にその場に居合わせた周囲の人達も、ここぞとばかりに責任転嫁し、自らを被害者の如く振舞うこの婆さまには呆れたらしいが…。

ドライバーはかなり若い、アンちゃんだったそうだ。

今で言う所の、クレーマーとかモンペに相当する性格の婆さまだったらしい。

まだ、生きているんだろうか?

福島から避難の女性が散歩中に迷い死亡、凍死か? 新潟県田上町。

2011-03-28 22:26:09 | 日記
折角拾った命なのに…。

『28日午前8時半頃、新潟県田上町の林道で、福島県富岡町の無職女性(62)が倒れているのを捜索中の田上町消防団員が発見したが、死亡が確認された。県警加茂署によると、東日本大震災で女性は家族7人で同町に避難しており、散歩中に道に迷い凍死したと見られる。同署等によると、27日16時頃、一家は4ヶ所目となる同町の避難所に到着。その30分後に女性が1人で出掛けるのを孫が確認していた。女性は認知症だった事から、同署は道に迷い、体力を消耗する等して凍死したと見ている。』

認知症だと認識しているんだったら、一人で出掛けるのを確認しながらも付き添う事も無く、そのまんま放置した孫の責任も有るだろう。逆算しても、そんなに幼子とも思えないし…。

認知症の場合は、『散歩』じゃなくって『徘徊』だと思うんだが、意図的な口減らしって事は無いよね?

残された家族は探したり、警察に届けたりしたの?

登山者じゃ有るまいし、現代日本で凍死だなんて悲惨過ぎる。

命の電柱、13時間半しがみ付き生存。仙台。

2011-03-28 22:04:36 | 日記
電柱さん、人命救助でGood Job!

『東日本大震災の大津波に呑まれ、仙台市宮城野区の古タイヤ再生会社の契約社員、加藤豪
さん(37)は13時間半、電柱にしがみ付いて、生きながらえた。今、「テレビを見たくない」と言う。地獄の様な光景が甦って来る。余震に跳び起き、フラッシュバックに怯える夜。職も失った。だが「生き残ったからこそ踏ん張らなければ」と自身に言い聞かせる。11日、仙台市若林区の海岸沿いの県道をワゴン車で走行中、左右に激しくハンドルを取られた。電線が波打ち、バチン、バチンと切れる。「こいづは来る」。津波を予期し、そのまま仙台新港のフェリーターミナルに近い事務所迄突っ走った。国道のバイパスに抜ける道は渋滞してしまうと考えたからだ。事務所の外にいたのは先輩の男性社員(40)だけ。「加藤君、津波だ!」。叫び声と同時に地鳴りの様な轟音が背後に聞こえた。真っ黒い濁流に呑まれた瞬間、10m程先の電柱に先輩がよじ登るのが見えた。押し流されながら、それに必死でしがみ付いた。高さ約7mの一番上に先輩。その直ぐ下迄登ったが、濁流は足元まで迫っていた。周囲の電柱は全て倒れた。しがみ付いた電柱は、もう1本が斜めに支える2本組みだった事が幸いした様だ。家屋や大型トラックが流れて来る度びに「ぶつからないでくれ」と祈った。暗闇の夜。ズーンという爆発音と衝撃が伝わって来た。石油コンビナートの方角に火炎が上がり、足元がうっすら照らされる。引き波で海に運ばれていく人の姿が目に入り、思わず目を背けた。現実とは信じられなかった。寒くて眠気に襲われたが、静寂の中に「寝んなよー」という声が響いた。手の感覚は失われていたが、「誰かが見てくれている」と気持ちを奮い立たせた。夜明け前、ようやく膝上迄水が引き、先輩と2人で何とか生き延びた。震災から2週間後の25日。3月分の給与が振り込まれたが、経理担当者は「来月からは失業保険で」と言った。体調を崩し、21年間勤めた自動車整備会社を辞めたのは昨年3月。アルバイトをしながら10月にようやく見付けた仕事だった。「解雇って事かな」と話す。13年前に倒れた父親(63)を母親(63)と姉(39)とで支えている。「仕事探さなきゃ」と自らに言い聞かせた。あの日、夜明け前の薄明かりを頼りに100m程離れた立体駐車場に辿り着き、車の中で暖を取らせて貰った。10数km先の自宅迄泥だらけで歩く途中で煙草を呉れた人もいる。温かさが身に染みた。「生きてりゃ又、良い事有るよね」作業着の胸ポケットに入れていたオイルライターを乾かしている。共に生き延びたライターで一服点けたい。大震災の悪夢も失業の苦難もきっと乗り越えてみせる。』

事務所に逃げないで、高台へと続く道を逃げた方が良かった様な気がするんだが、そんなルートが無かったのか、それとも渋滞し捲くりだったのか?

周囲の電柱が倒れていく光景を目の当たりにしている時は、本当に怖ろしかったろうに。

こりゃ確実にトラウマになるだろうね。

しがみ付いた電柱が2本組みだったのは不幸中の幸い。

『こいづは来る』、お国訛りだねぇ~、めりけん映画の『The Final Countdown』を思い出したよ。今の今迄、作中で捕虜になった日本海軍の零戦パイロットは東北出身の日本人俳優だと思っていたが、演じた俳優は日本人ではなく韓国系アメリカ人の俳優(スーン=テック・オー)なんだってね。

違和感が丸で無かったのでず~っと日本人俳優だと勝手に信じ込んでいたわ。

久し振りに映画のDVDの再視聴しサントラCDを聴きたくなったな。

イタリア科学者『東日本大震災は神の善意の声であり、天罰だ』

2011-03-28 20:42:50 | 日記
神って、ヤハウェか? それともイエスの事か?

『イタリア科学界の権威、国立研究会議(CNR)のロベルト・デ・マッテイ副会長(62)が東日本大震災を「神の善意の声であり、天罰だ」と語った事に批判が集まっている。同氏は16日に行ったラジオ講話で、1908年に同国南部で起きた地震に付いて語った聖職者の言葉を借りながら「神は罪深い者だけでなく、徳の有る罪無き者も罰する」等と述べ、被災者は一種の「犠牲」という考えを示した。発言に反発する人々がネット上に辞任を要求するサイトを作り、27日迄に約5,000人が署名。26日付の伊スタンパ紙は1面コラムで、イタリアの守護神、聖フランチェスコを祭る「アッシジの大聖堂が(97年の地震で)壊れたのも修道士達に対する天罰なのか」と批判した。』

これだからイタ公はよ。流石、ムソリーニを輩出した国だけの事は有る。権威有る科学者が何非科学的な事抜かしているんだか。

んじゃ、おいらも一発。

近々67年振りにヴェスヴィオ山が大噴火して、西暦79年のポンペイを呑み込んだ以上の規模で火砕流と火山弾がイタリア全土を襲い、ローマは火の海になる、といいな。

八百万の神々が与える神罰と、御仏が与える仏罰を甘く見るなよ。

メールが物語る、黙して語らぬ自衛隊員の姿。

2011-03-28 19:41:03 | 日記
こんな彼等の献身的な活動を、自衛隊不要論者はどんな気持ちで見ているのだろう?

『東日本大震災での自衛隊による被災者支援活動は「最後の砦」である。隊員はその重みを感じながら黙々と働くが、肉体的、精神的疲労は日毎に増す。身内に犠牲が出ても我が身を顧みず、被災地に留まる隊員も多い。実績を声高に誇る事も無く、黙して語らぬ隊員の思いと労苦を隊員同士のメールから検証した。《海には数mおきに御遺体が浮いている》《幼い亡骸を目にすると、我が子とダブって堪らない》地震に津波の被害が重なった大震災。遺体収容も自衛隊の重要な任務の一つで27日迄に4,150体を収容した。日常的に遺体を扱う警察官と違い、慣れている訳では無い。取り分け、海に流された遺体と対面するのは辛い作業だという。《流木に挟まれ、両手を上げていた。最後迄救助を信じていた様に…》凄惨な現場は、隊員の心を消耗させ、無力感さえ抱かせかねない。その為に陸上自衛隊はメンタルヘルスを重視し、夜毎隊員を10人程の班に分け、車座になって一日を振り返る時間を作った。陸自隊員は「仲間と苦しみ、痛みを共有出来れば気力が湧いて来る」と打ち明ける。《自宅が全壊、家族も行方不明という隊員が普通に働いている。掛けて上げる言葉が見付からない》身内に被害が出た隊員も被災者支援を続ける。《被災地に来て12日目。風呂はまだ1回しか入れていない》《毎日、乾パンや缶メシと水だけ》炊き出しで温かい汁物の食事を被災者に提供しても隊員が口にするのは冷たい物ばかりだ。22ヶ所で入浴支援も行っているが、汗と泥に塗れた隊員は入浴もままならない。「我が身は顧みず、何事も被災者第一」の方針を貫く。兵站や偵察と言った自衛隊ならではのノウハウを生かし、役割も増している。集積所によっては滞りがちだった物資輸送の効率化に向け、自治体や運送会社を束ねるシステムを立ち上げた。孤立地域のニーズをきめ細かく把握する「御用聞き任務」も始めた。宮城県多賀城市の多賀城駐屯地では整然と並んだ陸自車両のタイヤが水に埋まった。車体には「災害派遣」の垂れ幕。地震発生を受け、出動しようと矢先を津波に呑まれたのだ。如何にに迅速に出動態勢を取るか。そんな訓練が徹底されている証しでもある。大規模支援を買って出た米軍を鼓舞させたのも、そんな自衛隊員の姿だった。《米軍は初めは様子見だったが、自衛隊が命を賭けて任務を遂行する様を見て本気になった》東京電力福島第1原子力発電所では被曝の恐怖に臆する事も無い。17日からの放水活動の口火を切ったのも自衛隊だった。直後に米軍が放射能被害管理等を専門とする部隊約450人の派遣準備に入ったと表明したのは、米側が自衛隊の「本気度」を確信したからだと言われる。或る隊員からこんなメールが届いた。《自衛隊にしか出来ないなら、危険を冒してでも黙々とやる》《国民を守る最後の砦。それが、我々の思いだ》今日も自衛隊員は被災者の傍にいる。』

まぁ、時々、おかしな事件を起こす輩が自衛隊内にいる事は否めないが、殆どの自衛官は真面目に職務を遂行している。

仙石のド阿呆が『暴力装置』呼ばわりして卑下した彼等の活躍がこれだ。

本当に頭の下がる思いだ。

陸路復旧の為に瓦礫を回収していても、嫌でも瓦礫の中から多数出て来るであろう多数の遺体。震災から2週間超、寒い時期とは言え、腐敗が初まっている。

震災後、盛んに報道合戦が繰り返されているけれど、自衛隊の活躍を報道している映像はゼロとは言わないが、ほぼ皆無に等しい。自衛隊による仮設の風呂が設置されて被災者が入浴しているシーンだとか、引きの映像で自衛隊のヘリが放水しているシーンだとか。

自衛隊の個々人の活躍を映した映像は無きに等しい。阪神・淡路大震災の時もそうだったが、これはやはりメディアの側が規制を掛けているんだろう。自衛隊賛美に繋がるって事で。

流れて出て来るのはネットか、週刊誌程度。

被災地とは全くと言っていい程の関係の無い遠隔地に住んでいるけれど、彼等には、感謝の気持ちは伝えたい。

お疲れ様です。ご苦労様です。本当に有難う御座います。

ちょっとこれから外に出て、被災地の方向に向かって敬礼して来るわ。