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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



北海道日本ハムファイターズのSHINJOこと、新庄剛志が日本一になって、有終の美を飾った。現役引退である。日本シリーズで優勝したチームが、監督よりも先に選手を胴上げしているのを見たのは初めてだった。

8回裏の最終打席では、泣きながら豪快な三振。中日のキャッチャー・谷繁は、打席の新庄に対して、「泣くな! すべてストレートでいく!!」と言ったらしい。この時点で、この試合は、日本シリーズの優勝を決める試合ではなくて、新庄の引退試合になった。中日は、ただの脇役になってしまった。新庄の引き立て役になってしまった。この話を聞いたとき、そう思った。

MLBから日本球界に復帰して3年。札幌ドームを4万3000人で満員にするという約束を果たした。最後は、その満員の大観衆に見守られ、惜しまれつつ、しかし、さわやかにユニフォームを脱ぐ新庄の姿は、プロ野球ファンならず、多くの人々の記憶に刻まれるにちがいない。

新庄が、号泣しながらチームメイトひとりひとりと抱き合うシーンを見て、今年の夏に現役を引退した、もう1人のスーパースターの最後を思い出した。彼はチームメイトから離れ、ひとり泣いていた。そして、ほとんど何も語らずに、ぼくらの前から姿を消した。

スポーツ選手のさいごには、いろいろなかたちがある。2006年は、その両端を目の当たりにした年として、ぼくの記憶に残ることだろう。

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日本シリーズ第2戦
北海道日本ハムファイターズ 5対2 中日ドラゴンズ
(2006/10/22 フジTV)

午後6時過ぎから4時間を越える熱戦。終盤7回表に、北海道日本ハムファイターズが逆転、さらに8回表にも追加点を奪って、5対2で勝った。これで、対戦成績は1勝1敗の五分となった。

41歳のドラゴンズ・山本と22歳のファイターズ・八木の息詰まる投手戦となった。日本シリーズで、これまで勝ち星のない山本が、今日こそは初勝利をあげるかと思ったが、稲葉、新庄を塁上において、金子に逆転打を許してしまった。つくづく日本シリーズでの勝利に縁がない。8回にセギノールに2ランホームランを打たれた岡本にしても2年前の西武戦がよみがえったはずだ。山本は最終戦までもつれれば、もう一度登板の機会はあるかもしれない。岡本も中継ぎとして再び登場するだろう。そのとき、最悪のジンクスを吹き飛ばすことができるのだろうか。

ドラゴンズの悪い予感とは対照的なのが、ファイターズ新庄の笑顔だ。昨日のTBSに続いて、今晩のフジTVでも、今季で引退する新庄を追いかける「新庄カメラ」を用意していた。ドラゴンズ、ファイターズ、両チームの選手たちが、緊張の面持ちでプレーしているなか、新庄の笑顔がとても印象的である。そして、その新庄は、昨日、今日と会心のあたりこそないものの、しぶとく出塁し、今日は決勝点のホームを踏むなど、勝利に大きく貢献している。楽しんで、勝つ。日本シリーズが新庄のペースになってきたのではないか。

明日は移動日で、明後日から札幌ドームでシリーズが再開する。43000人の満員の観客の大声援に、新庄がどうこたえてくれるのか。熱狂的な応援をバックにして、新庄にリードされたファイターズが躍動するのか。

新庄引退へのカウントダウンは、ファイターズ日本一へのカウントダウンとなるような気がしてならない。

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浦和レッズ 2対2 川崎フロンターレ
(2006/10/21 埼玉スタジアム2002)

J1リーグ1位の浦和と3位川崎の大一番。浦和の選手層の厚さと川崎の組織力がぶつかりあった、見ごたえある試合だった。

後半の立ち上がり、中村憲のヘディングシュートで逆転された浦和は、森をもてあましているアレックスを相馬に交代。また、前線で浮いていた田中達の代わりに小野を投入し、ワシントンのワントップに。最後は、平川に代えて永井を入れ、総攻撃態勢をとった。決勝点を奪うことはできなかったが、交代によって、チームは立ち直り、勝利寸前までいったのは、選手層の厚さによるものだった。

川崎は、前半、ワシントンの巧妙なシュートで先制されたものの、その後は、しっかりとワシントンを抑え、浦和の攻撃のポイントを消し去った。攻撃面では、後半、浦和の圧力が弱くなったことで、中村憲がボールを保持できるようになり、川崎の攻撃が生き生きとしだした。中村憲がボール持ったときの、川崎のフィールドプレーヤーの動き出しが早くなり、中村憲から的確なパスが供給されるようになったからだ。チーム(組織)としての「約束事」がきちんと消化されていた。

結局、2対2の引き分けに終わった。内容的には、川崎が優勢といえる試合だった。川崎にとって、首位を行く浦和に対して互角以上の試合ができたことには満足かもしれないが、勝ち点7差を縮めることができなかったという点では、おおいに悔やまれる結果となった。

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ビバ!サッカー研究会月例会(2006/10/20)

読売新聞運動部次長の塩見要次郎さんから、ドイツW杯のときの読売新聞の取り組みについて聞いた。

紙面展開や取材体制づくりなど、新聞を読んでいるだけではわからない苦労や、最近の報道内容に対する発信する側の気持ちなどを聞くことができた。詳細は省くが、そのなかでも特に、原稿の締め切り時間との戦いに、新聞社ならではのものがあったように感じた。

日本の初戦、対オーストラリア戦。普段の朝刊の第1回締め切りは23時。その時間に間に合ったものが、1000万部を誇る読売・朝刊の大半に載る。しかし、その日は、23時の締め切り原稿を載せたものは50万部しか刷らず、特別工程を組み、締め切りを24時まで延ばして、700万部を刷った。そして、残りの250万部の締め切りは翌日の1時。

23時の段階では、日本が1対0とリード。24時は、日本が最後の9分間で大逆転をされた直後の混乱状態にあり、1時の最終締め切りになって、なんとか冷静さを取り戻したそうだ。話を聞いていて、この3つの紙面を比較してみたいと思った。

約1時間の話の途中途中で、塩見さんの正面にあった部屋の掛け時計をうかがうのを見て、常に時間と勝負している人なのだな、と思った。

時間と戦いながらの新聞の紙面づくりも、W杯の戦いのなかのひとつとして覚えておきたい。


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日本オープンゴルフ選手権競技
(2006/10/14 川越・霞ヶ関カンツリー倶楽部)

ご近所で開催されている日本オープンゴルフ選手権の3日目を見に行った。会場は、名門コースとして名高い「霞ヶ関カンツリー倶楽部」の西コースである。雨の心配はなさそうだったので、自転車に乗って、約30分。

4、5年前の冬に、ここで、一度プレーをしたことがある。そのときは東コース18ホールと西コース9ホールの1.5ラウンドをこなした。その間、前後でも、お隣のコースでも、他のプレーヤーたちと出会うことはなかった。要するに、それほど客が少ない、普段はなかなかプレーできないコースなのである。

実を言うと、小学生のころには、ときどきコースの脇の破れたフェンスから中に入って、深い芝生のうえでサッカーをしたこともあった。当時は、コースに入るのにこんなに大変な場所だとは思わなかった。

今日、トーナメントを観戦に訪れた観客の目的の半分はプロのプレーを間近で見ることであり、もう半分はあこがれのコースに踏み入ることにあったはずだ。深々と柔らかな緑の芝生とコース全体で1万本近くある木々が醸し出す雰囲気は、まさに80年になろうとするコースの歴史がつくりだすものだ。

今夏、サッカーのW杯を見るために、ベルリンのスタジアムに行ったときのことを思い出した。改修を重ねてはいるが、1936年ベルリン五輪のために建設されたスタジアムである。歴史の重みを感じさせる雰囲気がどことなく似ているように思った。

曇天、無風で、暑くも、寒くもない。観客にとっても、プレーヤーにとっても絶好のコンディションだった。コースの距離も、18ホールで7068ヤードと、最近の長距離化傾向に逆行するように、短くなっている。しかし、首位でスタートした片山晋呉が伸び悩み、3日目終了時点で、4打差のなかに13人がひしめく混戦となった。

大会前の片山自身の優勝スコアの予想は、12、13アンダーだった。2日目までのペースが続けば、ズバリ的中というところだったが、そこまでのスコアには届きそうにない。目に見えない名門コースの厳しさが、プレーヤーの前に立ちはだかっているようだ。

明日、最終日、名門コースを攻略して、優勝賞金4000万円を手にするのは誰になるのだろうか。

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初芝橋本 0-1 名古屋グランパス
ガンバ大阪 1-2 滝川第二
(2006/10/7 国立競技場)

嵐の翌日、快晴の国立競技場で、高円宮杯 第17回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会の準決勝2試合を見た。2試合というよりも、45分ハーフを4つ見たという感じだろうか。もっとも面白かったのは、バスケットボール風に言うと、第2ピリオド(初芝対名古屋の後半)だった。

開始直後に初芝のシュートがクロスバーをたたくなど、第1ピリオド(前半)とはうってかわって、互いに積極的に攻撃をしかけてきた。初芝は両サイドを広く使った攻撃。一方の名古屋の攻めは中央に集中する。そういった展開のせいで、初芝の2人の選手が、その特徴と実力を十分に発揮していた。初芝橋本のボランチ(7番)とセンターバック(4番)の2人である。

ボランチの7番は、最終ラインからのボールを受けると、とてもスムーズにドリブルやパスに移行する。パスを受けるときの体の使い方がうまいのだ。ドリブルのスピードもあり、また長い距離のパスも正確で、初芝のワイドな攻撃の起点となっていた。

長身センターバックの4番は、キャプテンらしい落ち着いたプレーで、中央に集まる名古屋の攻撃を防いでいた。遠目には、ひょろっとして頼りない風だが、1対1でも強いところを見せていた。

この試合、ぼくの隣で観戦していた名古屋の控えの選手たちが、「あの7番が退場してくれねぇかなぁ」「4番がいなけりゃ、もう3点は取れてるのになぁ」などとしゃべっていた。まさに、敵側の素直な気持ちだろう。

途中、初芝のFWが退場。有利となった名古屋が猛攻の末、試合終了間際に決勝点を奪って、決着がついた。初芝が勝ったら、10月9日(月)に埼玉スタジアム2002でおこなわれる決勝戦を見に行こうと思い始めたところだった。

正月の高校サッカー選手権で、再び初芝橋本のサッカーを見れるのを楽しみに待ちたい。

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