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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



来年のロンドン五輪のメインスタジアムが、五輪終了後、サッカー・プレミアリーグのウエストハムの本拠地となることが決まった。同じく名乗りを上げていたトットナムに勝ったかたちだ。

ウエストハムは陸上トラックを残したまま多目的競技場として使うことを約束。一方のトットナムは作り直してサッカー専用スタジアムにする計画だった。

結局、ロンドン五輪の遺産(レガシー)を、そのままのかたちで残すことになるウエストハムの計画が採用された。もともと、五輪招致の段階で、メイン会場をそのまま残すことを主張していたので、当然といえば、当然の結果だと言える。

ただし、サッカーファンからみると、やはり残念。まして、イングランドのプレミアリーグである。これまで、陸上兼用スタジアムを本拠地にしたプレミアリーグのクラブはあっただろうか?十分とはいえないが、ぼくの記憶にはない。

これも時代の流れなのかもしれないが、早ければ2012年のシーズンから、陸上トラックで囲まれたピッチでおこなわれるプレミアリーグがお目見えすることになる。サッカーの母国にふさわしくない、新しいサッカーシーンが生まれることになる。





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この報道を知ったときの第一印象は「何で、今さら?」だった。そして、次に思ったのは「なんで、携帯メールの中身まで報道されているのだろうか?」。そして、考えた。「八百長」とは何だろうか?

子どもの頃、相撲を見ていて、不思議だったのは、7勝7敗で千秋楽を迎えた関取が、ほとんどと言っていいほど千秋楽に勝って、勝ち越しを決めること。「関取は、勝ち越すかどうかで給金に差が付く。勝ち越しがかかっている関取には、すでに勝ち越し・負け越しが決まっている関取は負けてあげるんだ」と回りの大人から聞かされた。要は、八百長なんだろうけれど、相撲界のしきたりとして納得できたしまったし、今、思えば、そんなことまでも含めて、楽しむのが大相撲だった。

そして、ぼくのなかでは、今もそれは変わらない。だから、大相撲を知る人々は、各界の内外を問わず、「(程度の差こそあれ)八百長的なことはやっている」と、暗黙の了解をしていると思っている。真実味のない放駒理事長の謝罪発言ではなく、石原都知事の本音発言を、ぼくは全面的に支持したい。

むしろ今回、気になったのは、八百長的なことをするのに、「携帯メール」を使い、「仲介人」が「(星の)貸し借りのノート」をつけたりしていた(と思われる)ことである。十両から幕下への陥落を避けるための対戦をどうするかなど、対戦する関取本人同士が「あ・うん」の呼吸でやれ、と言いたい。たぶん、そんなこともできない関取ばかりになったから、今の大相撲は面白くないのだ。

今回の騒動でスポーツとしての大相撲の存在が揺れ動いている。しかし、スポーツという基準でははかれない、清濁併せ呑んで歴史を刻んできたのが、国技であり日本文化である大相撲だ。時代がスポーツを望むのならば、今の大相撲が衰退することは仕方がないと思う。しかし、大衆の本音とは違う、時代のたてまえによって、大相撲が変わっていってしまうとしたら、あまりにもさびしい。


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