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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



<スポーツ雑感+ 2023/9/5>
バスケW杯観戦の前に首里城公園を訪れたときのこと。ゆいレール(那覇市内を走るモノレール)の首里駅を降りると、高校生が「沖縄バスケ100年祭IN首里」というチラシを配っていた。
沖縄に競技バスケが導入されたのが、ちょうど100年前の「首里」で、バスケW杯沖縄開催にちなんで、首里高生、県立芸大生が100年前のゴールとボールを復元し、展示しているらしい。地味だけど、こういう企画は大好きだ。若者が歴史をたどり、先人の功績に触れるのはいいことだ。
というわけで、首里城公園を巡った帰りに、隣接する芸大に寄ってみた。確かに、復元したようなバックボードと革製のボールが道端に展示してあった。というか、見学者も、見張り係もおらず、説明書きと一緒に、ただ置いてあった。バックボードはともかく、革製のボールは盗まれないのかと心配になったが、この地のおおらかなところなのだろう。
炎天下でただ一人、説明書きを読んでいると、「1905年に首里城を校舎としていた高等女学校でバスケットボールがおこなわれた」とあった。チラシには「沖縄バスケ100年祭」とあったが、実際は100年よりもっと前からのようだ。これもおおらかなところ。
そして、この「1905年」は、非常に興味深い。なぜなら、日本にバスケットボールが入ってきたのは1908年で、YMCA卒の大森兵蔵が広めたというのが定説だからだ。たかだか100年ちょっと前の出来事なのに、どう考えればよいのか。調べてみなければ。
突然の疑問を忘れないように、復元された100年前のボールの感触をしっかりと確かめてから、その場をあとにした。





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