しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

野平一郎特別演奏会(吹田メイシアター)

2007-01-11 23:23:25 | 音楽
現代音楽の音楽会で、初めて涙がにじみ出てきて、
泣きそうになった。

   「美」に対する畏敬の涙。

今日の野平一郎のピアノは不協和音はもとより、
汚れているもの、壊れているものさえも美しかった。

   「澄みきった夜空の、星々のまたたき」

野平の演奏を一言で形容するならばこう言えよう。
劇場は宇宙となり、ビッグバンを起こした
まだ星にもならない塵たちがピアノから放散される。

しかし塵たちはすぐに様々な色や形の星となって、
劇場という宇宙に散らばっていく。
そしてある曲の最後の星は彗星となって、
劇場を突き抜けて行った。
   
     何処へ?


えらく情緒的な文章になりすぎた。
もう少し客観的(主観的?)な文章を。

この音楽会の正式な名称は長い(笑)
『[実験劇場パート18]
ニューイヤーコンサート 現代音楽の夕べ
野平一郎特別演奏会&
吹田音楽コンクール作曲部門受賞者記念演奏会』

前半は1990年から始まった吹田音楽コンクールの
歴代の1位受賞者の楽曲の演奏。
後半は審査委員の一人の野平一郎氏のピアノ独奏。

前半は5人の「新進気鋭」の作曲家の楽曲が続く。
  拷問…
念のため言っておくが、楽曲自体が著しく悪いわけではない。
誤解を恐れずに言うならば
特に気に入った楽曲は無かったが
日本の現代音楽の潮流の一端を感じることが出来て
意義のある体験だった。
また16回も続いているこのコンクールは素晴らしい。
加えて”ゲンダイオンガク”が
ニューイヤーコンサートであることも特筆に価する。

なぜ「拷問」?
それは『演奏家』である。
”ゲンダイオンガク”でもクラシック音楽の範疇に入る以上、
即興性や偶然性がある音楽でも
その基本は「再現音楽」である。
モダンジャズの全くの即興演奏とは違う。
『演奏家』の技術や音楽性が余りにも低すぎた。
楽曲をどれだけ「再現」出来ていたのかはなはだ疑問である。

演奏家に関しての唯一の収穫は
フランスのヴァイオリンの巨匠・ジュラール・ブーレ氏の
生演奏が聴けたことである。
しかし楽曲への不満と
悲しいかな、学ぶ点は多くあるが、
決して全盛期とは言えなくなったブーレ氏の演奏が
残念だった。


後半の野平さんの演奏は「タケミツへのオマージュ」を
テーマとしたプログラミング。
曲目のみ示しておく。
感想は冒頭に散々書いたので。

タケミツの最小限の紹介。
武満徹(たけみつとおる)。今年没後10年となる
日本を代表する作曲家。


武満徹/ピアノ・ディスタンス(1961)
野平一郎/間奏曲第1番「ある原風景」(1992)
野平一郎/間奏曲第2番「イン・メモリアムT」(1998)
リンドベルイ(フィンランド)/トゥワイン(1988)
ナッセン(イギリス)/祈りの鐘 素描 作品29(1997)
武満徹/閉じた眼Ⅱ(1988)


タケミツ以外は今も旺盛な活動をしていることを
付け足しておく。


硫黄島からの手紙

2007-01-11 16:28:55 | 映画
ある者は自ら死にに行くのにが死なない。

またある者は何度も死に直面しながら死なない。

クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』は
全く戦記物でもなければ、家族の絆を描いた作品でもない。


人生の「不条理」である。


米軍の海上から大船団が迫ってくるシーンは
一瞬、本作品で製作を務めるスティーヴン・スピルバーグの
『プライベート・ライアン』を想起させる。
しかし『硫黄島からの手紙』には『プライベート・ライアン』で
20分余りも繰り広げられた兵隊の上陸シーンはない。
それどころか米軍の大船団は
日本兵が洞窟や望遠鏡でほんの少し覗くに過ぎない。
大船団は遙か向こうに「ある」かのように見える。

米軍の大船団は「模型」だ。

戦争末期の硫黄島の日本軍にとっての
米軍は「無感覚なもの」、
せいぜい「来訪者」、
「形式的」な存在に過ぎない。
それより食糧も水も援軍もない中で
ある者はどうやって最期を迎えるか、
ある者はどうやって生き延びるか、
真っ暗な迷路のような洞窟で
自己の迷路的思考を働かせている。

だから『戦場としての「硫黄島」』には
戦闘・対戦は存在しない。
日本側の視点から描いたこの作品では
死が確実な、戦争末期の、”戦場”の硫黄島で、
日本人という人間が
どう生きていっているかを
観客をタイムスリップさせて、
現在進行形的に描いているのだ。

「手紙」はその媒介、
うがった見方をすれば、
興行のためのヒューマニズムのために
使われているに過ぎないとさえ見える。
少なくとも私にとっては手紙は大した意味を持たなかった。

上映時間の都合だろうが、
編集にかなり無理があり、
必ずしも「いい作品」とは言い切れない。
特に渡辺謙演じる栗林中将の描き方など。
しかし素材としてはいいものがかなりある。
ディレクターズ・カット版を望みたい。