しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

ありがとう、新井選手! サヨナラホームラン

2008-04-30 23:28:32 | 阪神タイガース
 いろんな花があるプロ野球のゲームでも、サヨナラホームランは花の中の花ですね。
 甲子園球場の対スワローズ戦で新井選手が打ちました(6X-5)。

 けど、9回の裏に新井選手がバッターボックスに入ったとき、ひょっとしたらホームラン打つんじゃないかって、そう予感したひとは、かなり多かったんじゃありません?
 ぼくもそんな予感にとらわれました。
 いやいや、そんな予感を信じたら、野球の神様がツムジを曲げて、かえって三振するかもしれない、そんなこと考えてはダメ、考えてはダメ、なんて、もうひとつの心と闘いながら。

 だって、この前のジャイアンツ戦で、最後に超速球投手のクルーンから四球を選んで、サヨナラ押し出しをやってのけてますからね。
 きっと今夜もサヨナラ男になるなあ、とほぼ確信したんです。
 そしたら。やっぱり。
 どうです? やっぱりと思ったひと多かったでしょう、やっぱり。

 それにしてもすごいですねえ。
 四球を選ぶという小ワザもできるし、ホームランを打つという大ワザもできる。
 それも、試合を決める決定的な場面でですよ。
 みんながこうなったら最高と思っている、その最高のことをやってのけてしまうんですから。

 この美しさ…。

 ようタイガースに来てくれましたねえ。
 新井選手、ありがとう。 

中国人に有って日本人に無い。

2008-04-29 01:05:00 | スポーツ、オリンピック
 つい先日、生まれて初めて救急車で搬送されるという快挙を成し遂げてしまいました。
 前日に会社の近くのクリニックで診察を受けたところ、腎盂炎による発熱とか。
 しかしその先生、うっかり解熱剤を処方することをカルテに書き忘れていたらしく、結果、夜中に39.6℃と記録更新に成功した次第でした。

 尿検査では通常混じることのない白血球が検出され、血液検査の結果では白血球の数が10,000超。
 尿道から入り込んだバイ菌野郎を駆逐するべく10,000以上の白血球が集結してくれたんだと思うと、心強い仲間を持てたもんだと、自分の身体のことながら悦に入らずにはいられないってもんですね。

 そう考えると先日の聖火リレー in 長野。
 北京オリンピック支持のために集まった中国人留学生らは凡そ2,000人。
 私の白血球に比べるとダンゼン少ないんですが、遠く離れた空から応援するその「愛国心」はやはり本国としては心強いものだったんじゃないでしょうか。

 それに比べてフリーチベットのために集結した日本人の若者ら。
 日本の政治には興味も示さず他国のことなら首を突っ込む。
 多くは私と趣味を同じくするバックパッカーでありチベットフリークである旅人が中心となり、「YouTube」や「mixi(ミクシィ)」、「2ちゃんねる」などを通して聖火リレー妨害を呼び掛けたもの。
 段ボール肉まん事件や農薬入り冷凍ギョーザ事件などで反中感情の高まっている昨今、多くの「ヒマ人」が長野に集結したということになる。
 中にはただ単に中国人が嫌いだから、とかいうだけの道理の通らない理由で参加していた連中も多いはず。
 なんでしょーかねぇ、ただ「中国人」というだけでゴキブリでも見たかのように過敏な反応を示すのは。

 ところで「愛国心」。
 一説では日本人ほど「愛国心」の希薄な国民はいないとか。
 それは敗戦後にGHQと日教組によって作成された教育要綱が功を奏した結果なんでしょうが、正直、今じゃ自分の国に誇りを持ってる若者なんてごくわずかです。
 やれ国際化とか言って留学に奔走する輩が多いものの、留学先で自国の文化や伝統について質問されたところで答えに息詰まるその様は情けないの一言に尽きるというもの。

 私の白血球のように命を賭してお国を守れとは言わないけれど、まず自国について学び、メイド・イン・ジャパンな自身を誇りに思ってほしい。
 でなければ、たとえ英語がペラペラなところで世界と対等に渡り合うなんて出来やしない。
 それこそインターナショナリズム。
 日本に無くて中国に有るのはこれじゃないでしょうか。
 やっぱり狭い島国根性と大陸育ちの広い視野の差というものか。

 国民が自国を誇れる国を創って戴くためにも、フクダさんにはもうちょっと頑張ってほしいところですね。
 息も絶え絶えなところでさらに負担をかけるのは申し訳ないんですが、ひとつよろしくお願いします。

 …あ、無理ならさっさと次の方に回してくださいね。


自分という重荷――朝倉裕子詩集『詩を書く理由』

2008-04-28 22:14:46 | 本、文学、古書店
 こんなにも自分を凝視し続けていては、生きることがずいぶん辛くなるだろうな、と思いました。
 朝倉裕子さんの詩集「詩を書く理由(わけ)」を読んでの第一印象です。

 「夕暮れ」という作品には「人でいるのが辛くなる/夕暮れが近い」と書かれます。
 「夢」という作品では、いま自分は悪夢に苦しめられていると自覚しながら、その夢を見ている自分をさえ凝視していて、その結果「目覚めて吐き気」に襲われてしまうのです。
 そしてもうひとつの「夢」という作品では、妻であり母でありながら、なおひとりでいることのできる場所を家の中で探していて、そういう自分を「いつもうしろめたい」と感じている、とあかします。

 人はいろんな荷物を背負いますが、結局いちばん重いのは自分という荷なのでしょう。
 読んでいて気が重くなる詩集であること、それはたぶん多くの人びとにとって共通の感想だろうと思います。
 いえ、むしろ、気が重くなることがこの詩集の最初に挙げるべき値打ちです。
 ぼくは「吐き気」という詩句に遭遇して、学生時代に出会ったロカンタンのことを思い出し、不気味にして魅惑的な“存在の亡霊”がそこに舞い戻ってきたような気がしました。
 
 けれどまったく救いがないわけではありません。
 「途上」という作品では末尾に象徴的な光景が現れます。
 「見上げると/広がった枝の青葉は/みな裏側を見せて空に向かっていた」
 おびただしい葉のどれもがこちらに裏を向けているという位置取りは、この場所の閉塞をほのめかさずにはおきません。
 しかし同時に葉の向こうの広大な空へとわたしたちのまなざしをいざないます。
 この広々とした光景をぼくは貴重なビジョンとしてぼくの記憶に書き込みました。

 もちろん自己を見つめ尽くすのも、そこを超えて空へあるいは宇宙へまなざしを向けるのも、それはまったく等価です。
 優劣とか善悪とかの問題では全然なくて、生きていくうえでの選択と決断の問題です。
 次の詩集がどのように書かれるか、とても心を引かれます。
         
          (編集工房ノア刊 1900円 06.6373.3641)

岡田さんに大監督の風格

2008-04-27 23:43:41 | 阪神タイガース
 甲子園球場での対ジャイアンツ3戦目は、最終回に超速球投手のクルーンを崩して、劇的な逆転サヨナラ勝ち(4X-3)。
 完璧に負けモードのゲームを土壇場でモノにしてしまいました。

 赤星選手の足を生かした内野安打で同点。
 ツーアウト満塁から新井選手が死球が来たら当たってやると、レガースをあえて外してバッターボックスに立ちました。
 ゾクッとくる男気です。
 そしてあの千金の選球眼。
 ファウルで粘ったあげく、ついに四球を選んで押し出しサヨナラ。
 恐ろしいまでの気迫が球場にみなぎりました。

 そこで非常に印象的だったのが、テレビに映った岡田監督の表情でした。
 クルーンの一球一球にどんどん緊張が増す場面で、岡田監督はその緊張が楽しくてならないように、とてもいい顔で笑っていました。
 ぼくなんかは、悪い結果ばかりが胸に浮かんで、テレビの前から逃げ出したい気持ちでしたが、この監督の笑顔を見て、これは勝つかもしれないと、落ち着きを取り戻したわけなのです。

 今年の岡田監督は去年までとはまったく違って、じつに理にかなった采配を続けています。
 口べたは変わりませんが、こうなるとそれも愛きょう、大監督の風格が漂ってきたように見えますね。
 

聖火葬送リレーとブキミな中国人

2008-04-25 01:12:00 | スポーツ、オリンピック
 世界の国々を聖火リレーが回っていますね。
 警察官が聖火をすっかり囲んでしまって、市民が近寄ることさえできない聖火リレーなんて、もう形ばかりの、むしろ聖火の葬送リレーですけどね。

 けれど、その聖火の葬送の沿道に、その国に住んでる中国人がワッと群れて、いまやミイラでしかないその聖火を守れって口々に訴えているあの姿、ブキミですね。
 なにかモノにつかれたような。
 わたしたちこそ世界のどこよりも正しい、とまるで傍若無人の大きな顔でね。
 どこから出てくるんでしょう、道化にも見えるあの自信。
  
 昔は日本人がすぐ集団で行動するといって、ブキミがられたことがありますけどね。
 日本人も外から見るとあんなイメージだったんですかね。
 でもそんな古い日本人のおカブを奪って、いまブキミなのは中国人ですね。

 現代の日本人はあれらの中国人のような烏合の衆(うごうのしゅう)にならないで、ひとりひとりがしっかりと自分の考えを持った美しい国民になりたいですね。

 ナショナリズムは国民の精神生活の土台としても重要ですが、21世紀のナショナリズムは人類全体にどう貢献するかという課題と等価の位置にあってシカるべきでしょう。
 ナショナリズムと人類の平和と福利は矛盾しないはずなんです。
 矛盾するのは古い形の烏合の衆的ナショナリズムに閉じこもるからなんです。

心の奥行き――芦田はるみ詩集  雲ひとつ見つけた

2008-04-20 18:44:07 | 本、文学、古書店
 ぼくたちはそのようなちっちゃな子供たちのことを「灰の子」と呼んでいました。
 芦田はるみさんが育った地域では「たまご」といっていたようです。
 詩集「雲ひとつ見つけた」の中に収められた作品「たまごだったころ」にはそのことが書かれています。

 たぶん3歳くらいの幼児たちのことだったろうと思います。
 カクレンボやオニゴッコやカンケリや、界わいの子供たちがおおぜい集まって路地や通りで遊んでいたころのことです。

 幼いこどもたちにはまだ遊びのルールがのみこめませんから、げんみつに言うと一緒に走り回るのはムリなのです。
 けれど、そのころの年長の少年少女、といっても小学校の四年生にもなれば、もう立派な年長生だったのですが、この年長生たちは、決してこれら幼児たちをのけものにしませんでした。
 「灰の子」あるいは「たまご」という“資格”で遊びに誘い入れていたのです。

 「灰の子」さんや「たまご」さんは、なにをしても自由でした。
 オニにされることはありません。
 みんなが走り回り飛び回っているなかで、マイペースで走ったり跳んだりしているというわけです。
 そうして、しっかり遊びに参加していました。

 あのころの少年少女たちは心に奥行きがあったなあ、と思うのは、カクレンボにしろオニゴッコにしろカンケリにしろ、それらを自分たちのルールで楽しみながら、一方で幼児たちがさびしい思いをしないように、ケガをしないように、といつも心のどこかで気をくばっていたことです。

 そんな光景を芦田さんは黄色いリボンの女児を主人公にこんな詩句に写しています。
 「おにいちゃんが走る/おんなのこもずっとおくれて走る/みんなといっしょに走る/だれもでんはしない/黄色のリボンもうれしそう」

 明るい光の中で心の動きがみずみずしく透けるような、そんな詩集です。

 編集工房ノア刊。2000円。問い合わせ06.6373.3641

  

勇気ある善光寺――聖火リレー

2008-04-19 23:56:13 | スポーツ、オリンピック
 長野の善光寺が聖火リレーの起点になることを拒みましたね。
 勇気ある決断ですね。

 聖火リレーといっても、もう市民のものではないですね。
 聖火という空虚な物神を守るために、護衛隊が市民を排除しながら進むんですから。

 中国は聖火の歴史をけがしましたね。
 人間の自由と主体と美しさをたたえる祭典を、人間を抑圧しながら進めようとしているのですから、そりゃあ矛盾が出ますよね。

 聖火リレーを国家の権威誇示に利用しようというのは、ナチス・ドイツと同じ発想ですからね。
 邪霊がよみがえるようですね。

 しかし中国の国民は、報道が徹底的に検閲されているものですから、自国が正しいと信じていて、フランスなどへの抗議行動を起こしていますね。
 日本がいちばん正しいと信じた戦前・戦中の日本の国民とそっくりですね。

 報道の自由がないところでは、こんなふうにみんな裸の王様になるんです。

 それにしても、コトナカレ主義と微温主義と口先ばかりが横行しているように見える仏教界で、善光時の決断はそう快ですね。
 精神のみずみずしい働きが仏教によみがえるようですね。

金本選手2000本安打。そして新井も1000本。

2008-04-12 20:13:25 | 阪神タイガース
 金本選手がついに打ちましたねえ。
 2000本のヒットですよ。
 金本らしく左へ思いきり引っぱたたいて、ライト前へクリーンヒット。

 いろんなことを教えてくれましたねえ。
 金本のような大選手でもやっぱり大きなプレッシャーに負けそうになるということ。
 それでもけんめいにそれをはね返して、ついには目的をとげるということ。
 そして誠実な闘いには、まわりのみんなも共感して、目的の達成を祈らないではいなくなるということ。

 とにかく、あの金本が18打席も凡退を続けたんですからね。

 毎日放送の解説者の佐々木さんが、中継の最中に「他人のことやのに、なんでジーンとするんやろ」といくらか涙声で言ってました。
 ぼくもテレビを見、ラジオを聞きながら、目に涙が浮かぶのをどうしようもなかったですね。
 家にだれもいなかったので、ひっそりと泣きました。

 それにやっぱり、なにか人智でははかりしれない力の働きもありますね。
 金本と師弟のような関係にある新井が同じこの日に1000本安打を達成して、その新井が金本のメモリアルヒットで三塁からホ-ムインして、タイガースの勝利を完璧なものにしたんですからねえ。

 人と人、そして天と人が織りなす糸の奥深さ。

 たかが野球。されど野球。選手はやっぱりボールに命をかけているんですからねえ。

 ぼくらもまた、たかが人生、されど人生。

障害児の親御さんと

2008-04-11 23:13:00 | 心理学・精神科学
久しぶりの投稿です。
退院してから急に仕事に忙殺。

「仕事」とはカウンセリングです。
まだ若葉マークですが。

今年度から私の勤める保育園で
「療育」-障害児の訓練のようなものを
始めることに。

私の園は公立や認可保育園を
障害のためにスポイルされた子どもたちが
沢山います。

その子どもたちの成長を手助けするために
療育をはじめ、親御さんとカウンセリングします。

なかなか我が子の障害を受容出来ないものです。
更に医者は診断名や障害の説明、
今後の行く末は色々言いますが
「いま、ここで」は何もしません(出来ません)。

それを私達がしなければいけないのです。

最近首が凝って仕方ありません。
カウンセラーの職業病で
親御さんの話を聞くときに
「うん、うん」うなずきますから
首が凝るのです。

まだまだこの生活続きそうです。

がんばれ今岡

2008-04-09 00:48:12 | 阪神タイガース
 今岡が打ちましたねえ。
 接戦になるのがわかっていたから、あの先制打はおおきかったですよ。

 今岡は甲子園が似合う選手で、だから活躍すると、球場の雰囲気が劇的に変わるでしょう。
 関西では高級住宅地の宝塚の出身ですが、むしろ大阪の下町の雰囲気があって、根っからの野球少年が、ついにヒノキ舞台で活躍しているような、そんなイメージがあるんですよね。

 ちょっとスランプに陥っていますが、めげずに立ち直ってほしいですね。