しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

政治は変えられると実感―総選挙

2009-08-31 23:34:00 | セイジ
 総選挙後の有権者の反応をテレビ各局が放映していました。
 なかにとても印象に残る言葉がありました。

 20代の若い男性がこんなふうに語っていました。

 「ひとりひとりが投票行動を起こせば、政治がこんなにはっきりと変わるんだと、そのことを実感しました。ぼくにはとても大きな体験でした」

ふてくされる麻生さん―民主圧勝

2009-08-31 02:01:00 | セイジ
 総選挙は民主党が圧勝しました。
 300議席を超えました。
 鳩山代表は「市民みながこの国に生きてよかった、とそのように思える国にしたい」と抱負を語りました。
 そのような国に向けて努力を重ねてほしいと思います。

 落選した自民党の大物議員は「民主党が言ってるようなことができるわけない」と恨み節を語っていました。
 鳩山さんが失敗して、国に混乱が起こることを期待しているような口ぶりでした。
 麻生首相はテレビのインタビューにもふてくされて、まともに答えていませんでした。
 しょせんはそれだけの小人物だったということですね。
 自民党はついに人材がいなくなっての敗北だったのでしょう。

 いよいよ二大政党制が実働を始めたともいえるわけです。
 民主党が実績を残せなければ、また揺れ戻しがあるでしょう。
 政党が緊張感をもって政治に当たるというのは、いずれにしてもいいことです。

真弓監督の歯車始動?

2009-08-28 22:13:00 | 阪神タイガース
 夏の長期ロードから甲子園に帰っての第一戦をジャイアンツ相手に快勝しました。
 狩野選手の逆転3ランホームランも立派でしたが、見事だったのは、7回裏に5点目をもぎ取った真弓監督の采配(さいはい)でした。
 2アウト走者三塁から、赤星選手に代えて、代打に高橋選手を送ったのです。
 実績のある赤星選手をベンチに下げるというのには、大きな勇気が要ったでしょう。
 そして、その高橋選手がレフトへクリーンヒットをかっとばして、勝利を確定的なものにしたのでした。

 少々オソキに失した感はありますが、ようやく真弓さんの歯車が回転を始めたようです。

 数字で見るかぎりはもう絶望的ですが、3位に浮上してプレーオフ(クライマックスシリーズ)に進出する可能性がまだ全然ないとはいえません。

 イチルの望みへ向かって、ラストスパートに期待しましょう。

 真弓さん、その調子でガンバッテ!

童話の童話―オオカミ少年

2009-08-25 22:23:00 | ノンジャンル
 オオカミ少年がきょうもまた「オオカミが出たア」と叫びながら村に走り込んできました。

 でも、もう、だれも本気にしませんでした。

 オオカミ少年はするともっと大きな声でもう一度「オオカミが出たア」と叫んで、村から走り出ていきました。

 もちろん、だれも本気にしませんでした。

 すると、オオカミの大群がやってきて、村人はみんな食べられてしまいました。

 生き残ったのは少年ひとりだけでした。

深くて繊細な手の表現―ハスミのダンス

2009-08-23 18:49:00 | 舞踊
 ダウン症をにないながら舞台活動を続けているモダンダンサーの安田蓮美さんのリサイタルが新神戸オリエンタル劇場で開かれました。
 モーツァルトやグリーグのクラシック音楽で四季の移ろいを踊る組曲ふうの作品「さくら」と、日本のポピュラー音楽に自由に振り付けた「野に咲く花のように」の2本立てでした(振り付けはいずれも藤田佳代さん)。

 心を強く打たれたのは、第2部の「野に咲く花のように」です。
 表題曲(小林亜星)を皮切りに「春よ、来い」(松任谷由実)「いつも何度でも」(木村弓)「全部抱きしめて」(吉田拓郎)をメドレーで踊りました。

 体の動きに深いリズム感と豊かな表現力があって、それが見る者の心にしみこんでくるのですが、とくに目に快いのが、手のデリケートな表情です。
 たいがいのダンサーの手の動きは、自分が表現したいという形をほぼまっすぐに表しますし、むしろ最短距離で表せるよう猛稽古(もうげいこ)もするのですが、蓮美さんの場合は、一瞬の形のなかに何重もの表現が表れてくるのです。
 
 現代科学(とりわけ量子論)のビジョンによりますと、この宇宙はただ単にタテとヨコとタカサの三次元でつくられているだけではなく、ことによると九次元、ひょっとしたら二十五次元の空間で出来ているかもしれない、と今日かなり高い精度で語られています。
 蓮美さんの魅惑的な手の動きは、まさしくそのような複雑な次元を一気にくぐりぬけてくるような、そんな深さと豊かさと繊細さがあるのです。
 これはだれにもまねのできない、蓮美さんへの神様の贈り物なのでしょう。
 藤田佳代さんの振り付けも、その贈り物をたっぷりと輝かせるものでした。

 なお、このソロリサイタル「ハスミのダンス」は、藤田佳代舞踊研究所のモダンダンス公演として行われました。
 「ハスミのダンス」は第一回が2004年に開かれ、今回が二回目です。 

酒井法子さんをめぐる暗い喜び―覚醒剤事件

2009-08-22 18:50:00 | 社会
 売れっ子タレントの酒井法子さんが覚醒剤(かくせいざい)を愛用していたという「事件」が、毎日のようにテレビや新聞をにぎわせています。
 レポーターや記者は、社会がこの事件に大きな失望や怒りを感じているというトーンで報告を続けています。
 しかし、失望や怒りをほんとうに感じているひとは、皆無ではないにしてもごく少数でしょう。
 ぼくたち大半の大衆は、この事件をけっこう楽しんでいるのです。

 楽しみの第一は、カリスマ的でさえあった芸能界の成功者が、一夜にして頭上はるかな高みから谷底へ転落した、そのまっさかさまの墜落を目の前に見ている喜びです。
 成功者のサクセスストーリーはそれなりにぼくらの感動を誘いますが、それとて成功者がその絶頂から墜落する“垂直の悲劇”の暗い歓喜には及びません。

 楽しみの第二は、共同体の中心で脚光を浴びていた有名人物が、中心から引き出され、周辺へ追い立てられ、そこからさらに外へ追放されていく、その追放に加担(かたん)している喜びです。
 共同体のシャーマンに畏敬(いけい)を捧げ、飾り立て、贅沢(ぜいたく)な暮らしをさせ、しかし彼(彼女)の予言が当たらなくなると、一転、共同体の暗黒面の責任をぜんぶ彼(彼女)におっかぶせて追放もしくは処刑した、その“水平の悲劇”の暗い狂気は、今もぼくらの深層に苛烈(かれつ)に生き続けているのです。

 と言って、それでどうした、と問い返されれば、これ以上はなにも言うことはないのですが、まあ、現代の大衆社会はそういうものだというだけのことです。
 酒井さんが転落し、追放されても、またそこを埋めるカリスマが出てきますし、絶頂のところで失敗するカリスマにはこれからも事欠きませんし、だからぼくたち大衆は、いつの世でも垂直の悲劇と水平の悲劇を楽しむ機会にふんだんに出会うことができる、とただそれだけのことなのですが…、ハイ。 

今年は、もう、シャアナイ

2009-08-13 22:43:00 | 阪神タイガース
 オールスターが明けたら上昇傾向が出るかと、はかない夢をつないでましたが、やっぱりことしのタイガースはダメですね。

 選手の調子がいいときにはそこそこの闘いをしますけど、選手の調子が悪いと、もうズルズルと負けていってしまいます。

 選手次第。

 ベンチでゲームをつくれない。

 金本選手や下柳投手や矢野捕手らチームの中心選手が年齢的にもう下り坂ですから優勝は最初からムリとは思ってましたが、しかし最下位から2番目というのは、これはやっぱりベンチの責任が大きいと思いますねえ。
 いくらなんでも3位に踏みとどまるくらいの力は持っている顔ぶれです。

 真弓監督の経験のなさのせいなのか。
 それとも、人間的にもともと統率力が弱いのか。

 コーチ陣の力不足も目立ちますねえ。

 指揮官の弱いチームというのは、そうか、勝てるゲームもこういうふうにして負けていくのか、と教えられるところも多いのですが、しかし、こんな負け学問はプロ野球の楽しみかたとしては陰気ですよね。

 美しくない。

 でも、まあ、今年はもうシャアナイですね。
 選手たちは、「まだあきらめていません」と口では言いますけど、そりゃあ、ファンの前ではそう言うしかないでしょう。
 監督から選手まで、逆転を信じている者なんて、もうひとりもないですよ。

 高校野球が終われば、晩夏の甲子園はむなしく、わびしくなるでしょう。
 オリックスもふるいませんし、関西のチョウラク(凋落)。
 新型インフルエンザの逆襲もコワイですし…。
 アア。

美人から受けたブベツのまなざし

2009-08-08 22:21:00 | くらし、商品
 帰りのバスでのことです。
 座席で本を読んでいたんですが、何かが肩にドスンドスンとあたるんです。
 見上げると、20代のはじめか半ばくらいかなあ、と思われる女性がそばに立っていて、彼女が腕にかけている大きなバッグが(デカいピンクのバッグ!)、バスの揺れとともにぶつかってくるんです。
 それでも、まあ、ワルギでそうしているわけではないんだし、そのうち気づいてくれるかもしれないし、と思って、本を読み続けていたんです。

 ところが、ぼくのバスは三宮から六甲山の山すそへのぼっていく2系統で、途中からかなりの急坂のカーブ続きになるんです。
 で、バスが傾くたびに、バッグがドスンドスン。
 もう本を読んでいるどころではなくなって、言ったんです。
 「おじょうさん。バッグがぼくの肩に当たるんです。当たらないようにしていただけませんか」

 すると、そのおじょうさまが、ジロリとぼくを見おろしたんです。
 なんだ、このオッサン、という顔です。
 もちろん、すみませんのひとこともありません。

 見れば、なかなかの美人です。
 きっと自分でも美人なのを誇りにしているにちがいありません。
 目を見ればわかります。
 美しさこのうえないこの私に、あんたのようなオッサンが何か言う権利でもあると思ってるの、身のほど知らずが、と見くだしている目なのです。

 いやあ、ちょっと弱っちゃったなあ、という気になって。
 2系統の青谷線というのは沿線に海星や松蔭といった昔からのお嬢さん学校なんかもあって、ふだんはけっこうデリカシーのある娘さんたちと乗り合わせているものですから、なんか、調子はずれになってしまって。

 でも、バッグは当たらないように少し腕をあげてくれましたから、まっ、いいか、と。

 オッサンはオッサンですから、このオッサンとブベツ(侮蔑)の目を向けられて、いや、それは違う、とも言えませんし…。