しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

21世紀を開く試練―尖閣問題

2010-10-03 22:09:00 | 国際
 尖閣諸島での中国の挑発に乗って、日本も憲法9条を改定して、他国に戦争を仕掛ける権利(交戦権)を回復すべきだ、との声が高まりをみせています。
 絶対に戦争はしないと言ってしまっているので、こんなにまで中国からバカにされるのだ、というわけです。

 そういう考えにも理由がないわけではありません。
 心情としてはわかります。
 しかしもし今、日本に交戦権があるとすれば、早晩、日本の海軍と中国の海軍が尖閣の海域で砲火を交えることになるのは明らかです。
 すぐには本格的な戦争にまではならないにしても、どちらかの艦船が、あるいは双方の艦船が火を噴いて、そこで何人かの兵士が死んだり、傷ついたりすることになるでしょう。
 それは、ぼくらの息子かもしれないし、親類の息子かもしれないし、隣人の息子かもしれません。
 日本と中国の双方で、苦しむ人、悲しむ人が出てきます。

 日本が交戦権を自分から放棄しているそのことは、じつは日本の国民も中国の国民も同時に救っているのです。
 
 日本の国防が試練に立たされているのは事実です。
 しかし、これが世界の未来を占う試練であることも事実です。
 軍事力を封印して、ひたすらに世界の理性を信じながら、ことばで、説得で、局面を打開すること。
 それに成功すれば、それは新しい外交の時代を切り開くことになるでしょう。
 人類への信頼を回復する端緒にもなるでしょう。

 尖閣の問題はぼくらをトゲのように刺しますが、しかしこれは未来への入り口で起こっているのです。
 理性的にものごとを見る人は、日本にも中国にもいるのです。
 21世紀は20世紀よりも両国でそういう人たちがふえている、そのことも確かです。
 中国の政治家のなかにも中国の危うさを洞察している人がいるはずです。
 今世紀をそういう人たちの時代にしなければなりません。

 煽動家の、威勢のいい大言壮語に安易に乗っては、それは20世紀への逆戻りです。
 力には力で、の論理では、未来は破滅に進むしかありません。
 賢明な国として生きること、それこそが日本の歴史的使命です。
 ね、そうではありません?

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1 コメント

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Unknown (t)
2010-10-04 00:08:31
理性は物事を分ける。本来分けられないものを分ける罪もあるけれど、感情的になって混乱して一緒くたにしてしまってるいくつかの物事を解きほぐすことができるのは、やっぱり理性。国と国なんて乱暴な分け方は感情の分け方にほかなりませんね。混乱が人を不安にさせる。しかも自分ではそうと気づかずに混乱している。双方の国にある平和的理性と暴力を丁寧に解きほぐすこと。整理の仕方を教えてもらって希望が胸に生まれるのを感じました。
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