メコン川は中国青海省を源流に、ラオスとミャンマー、タイとラオスの国境を隔ちながら、カンボジアを経てベトナムで南シナ海に流れる約4,000kmに及ぶ大河だ。ラオスとカンボジアの国境をも成し、そこは世界一の幅を誇る滝となっているのだが、滝の手前では川幅が14kmにまで膨れ上がる。その川幅の中には4千以上の大小様々な島が点在し、それらの島を纏めて「シーパンドン(4千島)」と呼ばれる。大きい島には人が住んでいるのだが、今回は4千の島の中でも最南端のコーン島を目指す。
パクセーから144km。途中2度の休憩を挟みながら終点ナーカサンに着いた時には既に午後5時を回っていた。
バスターミナルと呼ばれる広場から傾いた夕陽に向かって真っ直ぐ歩くと、茶色く濁った湖が水平線まで眼前に拡がった。否、湖ではなく川なのか。河口でもないのに島以外の対岸が見えない程に広い。
川端に渡し舟の小屋があった。窓からぶら下げられた時刻表では最終便は5時半。間に合った。
「コーン島まで行きたい。」
と小屋にいた男に尋ねると、
「もう終わったよ。」
と如何にも面倒臭そうにこの新しい客をあしらった。
「最終は5時半て書いてあるじゃないか。」
「・・・一人?85,000kipだ。」
「タイバーツで300でいいか?」
自国の通貨を信用しないラオスでは外貨での支払いが通用する。タイバーツか米ドルに限られるようだが、最近では人民元も扱われているようだ。ナーカサンに着いて両替所を見てみたが、日本円の記載は無かった。
男は300バーツを受け取ると、「ここで待ってな」と言ってチケット代わりの領収書を私に渡した。河岸を見下ろすと船乗りの男たちが談笑している。ビアラオの黄色い通し函が流通せずに山積している。皆早く仕事を退けて一杯やりたいのだろうが、誰も川岸から上がって来ない。かと言って男が川岸の船乗りを呼びに下りる気配もない。終業時刻が刻々と迫っている。
「どれだけ待てばいいんだ。」
痺れを切らして質問すると、舌打ち交じりに漸く重い腰を上げた。男は窓から川岸を見遣り、
「下に行ってチケットを見せな。」
と、さも面倒臭そうに言った。結局彼は案内するつもりなど無かったのだ。時間切れになることを望んでいたのだろうか。岸に下りて船乗りに話すと、意外にもすんなりと乗せてくれた。
大きなエンジン音を伴って広い広い川面を進む。余りの広さに下っているのか上っているのか、どちらが東で南なのやら判別がつかなくなる。右手の島に集落が見える。左手には人が一人立つのがやっとな小島が浮かぶ。藪だけの島、誰も住まない島・・・大小様々な島が浮かぶ中を、船頭は着実に舵を操った。
大きな島に錆びた鉄橋が川に向かって寸断された形で建っていた。ガイドブックでも見たが、大戦中に仏国軍がカンボジアまで鉄道を通そうと計画したものの、滝の激しさに断念したものらしい。ラオスには戦争の痕跡を未だ残している所が多いが、ベトナム戦争の戦地でもあったことは余り知られていない。
約30分の船旅を経てコーン島に上陸する。もう空が薄暗い。コーン島は四千の島々の中で最も南に位置し、カンボジアとの国境に最も近い。船着場はコーン島の最北端に位置していたが、今回予約していたゲストハウスは最南端に建っている。川岸から階段を上った所の食堂でバイクタクシーを頼んだ。
「すみません。ポメロゲストハウスに行きたいんですけど。」
食堂に座っていた婦人と小学生ぐらいの娘が私に目を向けた。
「今からかい?」
婦人が驚きなのか迷惑なのか、どちらとも取れない表情を見せた。
「すみません、今日予約してるんです。」
「しょうがないね、連れてってやりな。」
と彼女は娘に言うと、娘は喜んで表に停めてあったシクロのバイクに跨った。まさかこの10歳程度の女の子の運転で行くのか?
「いつもの所だよ。」
とでも言ったのか、婦人は娘の背に言葉を投げた。
よく揺れる未舗装の道を走る。宿は北部に多いらしい、欧米人の集まる洋風の食事を出す食堂が多く(と言っても2〜3軒)固まっていた。ゲストハウス街を行き過ぎて程なく、娘は一軒の店の前でシクロを停め、店の中へ姿を消した。居酒屋だろうか、時折り大きな笑い声が外にまで響く。間も無くして一人の男が少女に連れられて出てくると、私を一瞥してバイクに跨った。
「どこ行くんだって?」
酒臭い息が鼻に衝いた。
「ポメロゲストハウス。」
「遠いぞ?」
と質問なのか単なるメッセージだったのか、男は私の回答を待つこともなくアクセルを回した。
街灯の無い真っ暗な畦道を、男はヘッドライトと月明りだけを頼りに踏み外すこともなく走った。言うだけあって確かに遠い。大きな島だ。北部と南部の間には民家など無く、ただただ畑とジャングルが続く。
最南端の島の最南端に胸が躍る。もし目に見えるものであれば国境のラインが見えるかもしれない。月夜の下、鬱蒼と茂る樹々のシルエットが風に流され揺れている。シクロはまだ止まらない。
パクセーから144km。途中2度の休憩を挟みながら終点ナーカサンに着いた時には既に午後5時を回っていた。
バスターミナルと呼ばれる広場から傾いた夕陽に向かって真っ直ぐ歩くと、茶色く濁った湖が水平線まで眼前に拡がった。否、湖ではなく川なのか。河口でもないのに島以外の対岸が見えない程に広い。
川端に渡し舟の小屋があった。窓からぶら下げられた時刻表では最終便は5時半。間に合った。
「コーン島まで行きたい。」
と小屋にいた男に尋ねると、
「もう終わったよ。」
と如何にも面倒臭そうにこの新しい客をあしらった。
「最終は5時半て書いてあるじゃないか。」
「・・・一人?85,000kipだ。」
「タイバーツで300でいいか?」
自国の通貨を信用しないラオスでは外貨での支払いが通用する。タイバーツか米ドルに限られるようだが、最近では人民元も扱われているようだ。ナーカサンに着いて両替所を見てみたが、日本円の記載は無かった。
男は300バーツを受け取ると、「ここで待ってな」と言ってチケット代わりの領収書を私に渡した。河岸を見下ろすと船乗りの男たちが談笑している。ビアラオの黄色い通し函が流通せずに山積している。皆早く仕事を退けて一杯やりたいのだろうが、誰も川岸から上がって来ない。かと言って男が川岸の船乗りを呼びに下りる気配もない。終業時刻が刻々と迫っている。
「どれだけ待てばいいんだ。」
痺れを切らして質問すると、舌打ち交じりに漸く重い腰を上げた。男は窓から川岸を見遣り、
「下に行ってチケットを見せな。」
と、さも面倒臭そうに言った。結局彼は案内するつもりなど無かったのだ。時間切れになることを望んでいたのだろうか。岸に下りて船乗りに話すと、意外にもすんなりと乗せてくれた。
大きなエンジン音を伴って広い広い川面を進む。余りの広さに下っているのか上っているのか、どちらが東で南なのやら判別がつかなくなる。右手の島に集落が見える。左手には人が一人立つのがやっとな小島が浮かぶ。藪だけの島、誰も住まない島・・・大小様々な島が浮かぶ中を、船頭は着実に舵を操った。
大きな島に錆びた鉄橋が川に向かって寸断された形で建っていた。ガイドブックでも見たが、大戦中に仏国軍がカンボジアまで鉄道を通そうと計画したものの、滝の激しさに断念したものらしい。ラオスには戦争の痕跡を未だ残している所が多いが、ベトナム戦争の戦地でもあったことは余り知られていない。
約30分の船旅を経てコーン島に上陸する。もう空が薄暗い。コーン島は四千の島々の中で最も南に位置し、カンボジアとの国境に最も近い。船着場はコーン島の最北端に位置していたが、今回予約していたゲストハウスは最南端に建っている。川岸から階段を上った所の食堂でバイクタクシーを頼んだ。
「すみません。ポメロゲストハウスに行きたいんですけど。」
食堂に座っていた婦人と小学生ぐらいの娘が私に目を向けた。
「今からかい?」
婦人が驚きなのか迷惑なのか、どちらとも取れない表情を見せた。
「すみません、今日予約してるんです。」
「しょうがないね、連れてってやりな。」
と彼女は娘に言うと、娘は喜んで表に停めてあったシクロのバイクに跨った。まさかこの10歳程度の女の子の運転で行くのか?
「いつもの所だよ。」
とでも言ったのか、婦人は娘の背に言葉を投げた。
よく揺れる未舗装の道を走る。宿は北部に多いらしい、欧米人の集まる洋風の食事を出す食堂が多く(と言っても2〜3軒)固まっていた。ゲストハウス街を行き過ぎて程なく、娘は一軒の店の前でシクロを停め、店の中へ姿を消した。居酒屋だろうか、時折り大きな笑い声が外にまで響く。間も無くして一人の男が少女に連れられて出てくると、私を一瞥してバイクに跨った。
「どこ行くんだって?」
酒臭い息が鼻に衝いた。
「ポメロゲストハウス。」
「遠いぞ?」
と質問なのか単なるメッセージだったのか、男は私の回答を待つこともなくアクセルを回した。
街灯の無い真っ暗な畦道を、男はヘッドライトと月明りだけを頼りに踏み外すこともなく走った。言うだけあって確かに遠い。大きな島だ。北部と南部の間には民家など無く、ただただ畑とジャングルが続く。
最南端の島の最南端に胸が躍る。もし目に見えるものであれば国境のラインが見えるかもしれない。月夜の下、鬱蒼と茂る樹々のシルエットが風に流され揺れている。シクロはまだ止まらない。
(アサオケンジ)