しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

石牟礼道子『苦海浄土』から

2020-09-29 22:28:00 | 引用
あそこあたりが芦北の海。
あそこあたりが水俣の海。
あそこあたりから薩摩出水郡の空と、わしどもにゃ空の照り返しを受けて浮き上がっとる山々の形ですぐわかる。ひときわ美しゅう、かっかと照り映えとる夜空の下の山々のあいが水俣で、それが日窒の会社の燃やす火の色でござす。どうかした晩にゃ、方角違いの山の端のぼうとひろがって照りはえるときがあるが、それはきっとどこかに、遠か山火事の燃えよる夜空で……。

こどもの頃の夢がかなう

2020-09-23 00:05:00 | 美術
小学生の頃は、江戸川乱歩の小説に登場する少年探偵団になるため、裏山に隠れ家を作ったり、家族にも内緒で、探偵団の必需品である七つ道具を作って宝物箱の中に貯めておいたりした。でも、どんなに頑張っても小説の世界の中に入ることはできなかった。この現実の体が本の中に入る方法はないものかと考えてみたが、ついにその壁は越えられなかった。
ところがである、つい先日訪れたギャラリーで私は長年の夢をかなえることになったのだ。



city gallery 2320 (神戸市長田区)で現在開催中の「ズガ・コーサクとクリ・エイト 二人展」である。略してズガクリは女子ユニット。2009年から段ボールなどの廃材を使って、どこかでみたことのある風景を作っている。(チラシ文面を一部引用)
前回、6月に開催された「非常口」(内容はこちらの記事をご覧ください)は、もとの部屋の形状が思い出せないくらい空間が作品で覆われた。そして今回現れたのは、街中を走るバスとバス停。普段、まったく意識せずにみているあれである。ところが、ギャラリーに足を踏み入れるや否や私は心の中で「あああー」と震えたのである。

壁には路上の景色が描かれ、ずっと先まで道路が続いている。バス停の時刻表や日除けのシェードは立体で創作され、目の前にはこれも立体で作られた発車間近の市バスの車体(後部)が停車している。しかもそれは壁に描かれた車体(前半分)と途切れることなく融合しているのだ。平面と立体が混在しているのである。部屋の天井や壁に、まるで市バスが閉じ込められたようにはまっているのだ。





もちろんこれらは段ボールや廃材に彩色し描かれたものである。しかし、奇妙な迫力をもってそこに「実在のもの」として存在しているのである。今や私は作品の中に、その一部となって、つまりバスに乗り込む乗客として立っている!

この震えるような感覚は、現地に行って体験してみる以外説明のしようがない。

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「ズガ・コーサクとクリ・エイト 二人展」
9月27日(日)まで(23日のみ閉廊)
city gallery 2320
神戸市長田区二葉町2丁目3-20
http://www.citygallery2320.com
※二階もぜひご覧いただきたい。
キヌガワ






上浦ヴィクトリア展(2020年9月14日~19日)

2020-09-20 22:14:00 | 美術
9月19日(土)、大阪・西天満のOギャラリーeyesにて開催中の上浦ヴィクトリアさんの個展に伺った。フライヤーを見て是非他の作品も見たいと思った次第だった。

会場に入るとすぐ、正面に配置された大きな絵が目に飛び込んで来る。「母の中であなたはまだ生まれたての子鹿」

草を食もうと屈んだ子鹿の身体から、突如伸び上がる空色かつ薔薇柄の首と女の子の頭部。触れれば少し硬い毛並みや体温まで感じられそうなほど写実的な子鹿と、非現実的な首と頭部のコラージュに思わず眩暈を覚える。いわゆるキメラというものか。頭部だけの女の子はフライヤーの子と同じなので上浦さんのお嬢様なのだろうとはすぐ分かったが、すると首の途中の白い犬は飼われているワンちゃんですか?と尋ねると、特に犬は飼っていないとの回答に再び眩暈を覚える。何故そこに犬を描かれたのか?理屈で考えるのは恐らく野暮というものなのだろうと思い、突き詰めるのは止めた。
絵をよく見ると、子供の落書きのような謎の生き物(?)が散りばめられるように描かれている。「これは…?」と尋ねると、まさしく子供(3歳)の絵を描き移したものらしい。現実と虚構とを混在させる作品に、日常の「当たり前さ」に凝り固まった精神を揺るがされる。夢に出て来そうな衝撃を覚えた。

次の大きな作品、「オオカミとスイミー」。

絵の中心に主題たる狼の横顔を据え、それを囲むように幾つもの作品が描かれている。複数の作品を一枚に纏めてしまったかのような印象。絵心の無い私からすると、どう考えればこのような作品が産み出せるのか皆目見当が付かない。上浦さんが仰るには「絵の6割方は頭の中でヴィジョンがひらめくんです。描き進めている内に、こう描いてみようと思ったりして広がっていく感じですね。」とのこと。
ところで、狼の下に描かれている白い紙のようなものは…?と訊くと、やはりお嬢様の絵を描き移したものらしい。

ともすれば子煩悩とも揶揄されかねない母の愛。二人目の出産後初の個展ともあって、誕生の喜びとすくすくと育つお嬢様への愛に溢れた個展となったのだろう。

さてフライヤーの作品「強くなくてもいい」。

この構図を一目見て、私は中世ヨーロッパで伝承されてきた刺繍によく使われる菱型の図案を思い出した。

菱型の天辺には大抵花が描かれている。すなわち女性器のモチーフであり、子孫繁栄や農作物の豊穣を意味するものらしい。上浦さんの作品は菱型ではなく円形とは言え、子供の絵が真ん中に配置されているところから誕生を意味しているのでしょうか、と遠慮気味に聞いてみたところ、そんな意味は無いとすぐに否定されてしまった。こじつけ過ぎるのは自分の悪い癖だ。ましてや女性に質問するべき内容では無かったかもしれない(遠慮気味に言ったにしても)。

それにしても、どの顔を見てもお嬢様は笑顔ではなくムッスリとむくれている。案外、わざと嫌がることを言ってむくれる娘のその表情を愛らしく感じられているのかもしれない。
後で上浦さんのプロフィールを調べたところ、「真面目にふざける」を制作主題としているとのこと。お茶目な方だ。

(アサオケンジ)