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ブログ版 シュプリッターエコー

カート・ヴォネガット『スラップスティック』

2020-06-21 00:03:00 | 本、文学、古書店
先週に引き続き、某ふぇいふふっふに投稿した「7日間ブックカバーチャレンジ」の2冊目をここに転載させていただく次第です。

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7日間ブックカバーチャレンジ②


きのうフラバルの紹介をしながら、つらつらとジョン・アーヴィングのことを考えてしまいましたが、アーヴィングが在籍していた大学の創作科でヴォネガットが教えていたのは有名な話です。
ヴォネガットの(読んだ中で)いちばん好きな作品です。




カート・ヴォネガット『スラップスティック』
朝倉久志 訳、早川書房


1976年に発表された小説です。
 
ヴォネガットの姉アリスは41歳で病死したといいます。そして彼女の亡くなる2日前に、その夫が事故死したと。それが何と「開いた可動橋から転落した」列車の事故に巻き込まれて。
ヴォネガットも兄も、姉にそのことは話さなかったが、姉は新聞でそれを知ってしまう。
姉夫婦の死後、ヴォネガット夫妻は遺児たちを引き取って育てる…
そんな印象的な回想が冒頭に置かれています。
 
また、ヴォネガットの兄バーナードは気象学の科学者で、ヨウ化銀を使った人工降雨の方法の発明者でもあるそうです。
その兄をヴォネガットは「ありふれた親切をいちばん長く経験した相手」だと。
この「ありふれた親切」こそがヴォネガットが至上の価値を置くものです。
「どうか――愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに(Please ―― a little less love, and a little more common decency.)」というわけです。
 
さて、そんな導入から物語は本編へと入っていきます。
登場するはアメリカ史上最後の大統領ウィルバー・スウェイン。身長2メートル。御年100歳。
変調をきたした重力と、蔓延する謎の死の病「緑死病」。マンハッタンは「死の島」として取り残されています。
彼は孫娘のメロディーとエンパイアステートビルに住み、いま自伝をしたためはじめます。…
 
エッセイ集『パームサンデー』の中でヴォネガットは『スラップスティック』をA~DのランクのDとしています。
僕なんかもうひとつだなと思う『ガラパゴスの箱舟』などは自己評価が高いようですが、たぶんごく単純に言って『ガラパゴス~』はまとまりがあるけれど『スラップ~』はまとまりがないという評価ではないでしょうか。
作者というのはに自分のコントロールが行き届いていないと不安に感じるものかもしれません。
ですがまとまりが何だという奇跡みたいな作品だと思います、『スラップスティック』。
 
その次に好きなのは『母なる夜』です。これはもう構成の妙そのものというか。
 
そして『スローターハウス5』も捨てがたい。
これはとりわけヴォネガットが捕虜として居合わせることになり、生き延びたドレスデンの大空襲の体験が色濃く反映した作品です。
『スローターハウス5』は映画も有名ですね。
監督は「明日に向かって撃て」のジョージ・ロイ・ヒル。
そして音楽は、あのグレン・グールド。
 
(ジョージ・ロイ・ヒルは、ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」も撮っています。あれを見て以来、ガープはもうどうしたってロビン・ウィリアムズのイメージになってしまったし、ビートルズの"When I'm Sixty-four"は「ガープの曲」になってしまいました。)
 
『スラップスティック』に話を戻すと、孫娘メロディーがスウェインのもとにたどり着くまでの道ゆきを回顧的に描いた、最後の章を思い出すたび激しく心が震えます。
アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』に「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」という論考がありますが、その最後に示されたメルヒェンによる救済というプログラムに、それがあまりにあざやかに対応するように思われて。
 
「だが、凶行においてもなお希望のかけられる点は、それがもはや久しい以前の出来事であった、というところにある。原始と野蛮と文化との絡み合いに対してホメーロスのさし伸べる慰めの手は、『昔々のことでした』という回想のなかにある」(徳永恂 訳)
 
そうそう、きのう「大事な」ことを書き忘れていたのにあとで気づきました。
これも有名な話のようですが、フラバルの伝説的な死に様。
入院していた病院で、ハトに餌をやろうとして5階から転落したとか。
これは現実でしょうか。
こんな美しい死のイメージがあるものでしょうか。
その死が悲劇なのか救済なのか、もうわかりません。
 
『スラップスティック』の表紙、ちょっと汚れてしまっていますが、ハヤカワ文庫のヴォネガットはずっと和田誠さん。
去年亡くなられましたね。(5.14投稿)

(takashi.y)



ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』

2020-06-14 23:59:00 | 本、文学、古書店
某SNSで「7日間ブックカバーチャレンジ」のバトンが回ってきました。

これは、

「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。①本についての説明はナシで表紙画像だけアップ ②その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。」

…というもので、①の規定通りに行けばさらっと終わるものを、しかしそれなりに思い入れのある本をカバー写真だけで済ませるわけにはいかないものです。

とかやってたら、5月13日にはじめて、まだ4冊分しか投稿できていないという。

しかも②の規定は完全無視。

1冊目をここに転載させていただく次第です。

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7日間ブックカバーチャレンジ①


はて、何を…と考え込みそうになってしまいましたが、あまり考えずに選ぶことにします。
昨去年の年末に没頭した小説です。
 
 

ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』
阿部賢一 訳、河出書房新社

 
チェコの作家フラバルの1971年の作品。
勤めの帰りに図書館へ寄って、本棚にあるときはパラパラと数ページ読む、誰かが借り出しているときは別の本を持って席へ、というような付き合い方をしていた本です。
 
ところが、ある時点から猛烈に引き込まれ、一気に集中して読んでしまいました。
読んだという丁寧なものでもなく、本当に貪ったという感覚。
しばらくは何だか精神的に不安定になって、周囲にも若干迷惑をかけてしまったような。
 
結局、手もとに置いておきたくて、あとで古本を注文した次第です。
 
「これからする話を聞いてほしいんだ」ではじまり「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ」の言葉で終わる5つの章からなる小説。
ストーリーをかいつまんで話しても、この作品の魅力をうまく伝えられる自信がありません。
おそろしく大雑把に言えば、ユーモラスに描かれたホテルの給仕人の一代記。
そんなのタイトルを見れば想像がつきます。
 
だけど、よく言われるように、次から次へとあらわれる奇想天外なエピソードというものがこの作品の魅力の核心なのだとしたら…それはそれですごいことですが、それはまたそれだけのことで…
 
俄然この物語に引き込まれたのは、当時のチェコスロバキアがナチス・ドイツによる併合・解体の時代を迎えるあたりから。
歴史が、エピソードとしてではなく、巨大なかたまりとして、にゅっと現われてくる。そう、エピソードとしてではなく。
そこからはもう、本を手放せない。
 
高校の頃、ジョン・アーヴィングを続けて読んだ時期がありました。
「プロットの復権」なんて言葉があって。
いちばん好きな『ウォーターメソッドマン』が、『わたしは英国王に給仕した』とほぼ同じ1972年。
その後『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』と力強い作品が続き、しかし『サイダーハウス・ルール』に来るともう、エピソードのためのエピソード、プロットのためのプロット、その息苦しさに、21世紀になる前につき合うのをやめてしまいました。
 
アーヴィングは繰り返しウィーンを描きます。
フラバルを読んで、あるいはアーヴィングは歴史を欲していたのだろうかと思います。
『ウォーターメソッドマン』は、主人公の友人メリルが、戦車が沈んでいると言って飛び込んだあの夜のドナウ川の雰囲気を忘れがたく記憶に刻んでいます。
ですが、アーヴィング作品の、あの娼婦たちの都市ウィーンは、結局のところエピソードの域を出るものではないでしょう。
あれほど愛し、執拗に描いたウィーンだのに、歴史は「部外者」に何と冷たいことかと。
 
ただ、フラバルも決して翻訳が多くはなく分からないのですが、もしかしたら『わたしは英国王に給仕した』が(自分にとって)唯一特別に特別な作品だった、ということもあるかもしれません。
その後『剃髪式』を読みましたが、『英国王』ほど没頭することはありませんでした。
そしていま『時の止まった小さな町』を借りていますが、なかなか読み進みません。(5.13投稿)

(takashi.y)



古本と万年筆──ひょうご大古本市

2012-03-26 06:18:00 | 本、文学、古書店
阪急電車 春日野道駅の南、春日野道商店街に一軒ある古書店 勉強堂書店。
いかにも頑固そうなご店主がいかにも古本屋らしくあり。
そのお母様らしい方が店番をしているときもある。
奥様らしい方がいるときも。
先日は初めて、娘さんらしい方が座っているのをみた。
しかし血縁関係はすべてこちらの勘違いかもしれない。
まあそれはいいとして。

ホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(野崎昭弘ほか訳、白揚社)が、おや、と思う値で出ていたので買う。
これは原書は79年、翻訳は85年に出ている。2005年にまた「20周年記念版」というのが出ているらしい。
いわゆる「ニューアカ」のバイブルのひとつかと思う。
もうずっと背表紙を眺めつづけてきた本。

もう一冊、エイゼンシュテインの『映画の弁証法』(佐々木能理男訳、角川文庫)。
「ポチョムキン」の人。「モンタージュ」の人。
歌舞伎についての論考もある。それから漢字についても。
歌舞伎や漢字は「モンタージュ的」である、と。
でも日本人はそれに気づいてないから、日本映画もモンタージュ技法を全然実践できてないと。
ウィキペディアによるとエイゼンシュテインは漢字を習っていたことがあり、そこからモンタージュ技法を着想したというけど、それはちょっと、そういうものでもないんじゃないかと思うけど、どうなんだろ。

エイゼンシュテインの「ポチョムキン」が1925年なら、ベンヤミンが『ドイツ悲劇の根源』で、いまや断片になったイデアが星座のように一瞬ぱっと理念を浮かび上がらせるって「コンステラツィオン」の理論を展開したのも25年でしょ。
哲学だったらヘーゲルというピークを経て、反体系の気運というのがきっとヨーロッパ・ロシアには渦巻いていたことでしょ。
そこに中国的なものとか、ジャポニズムの作用はいくばくかはあるとしても。

で、勉強堂でその2冊の会計をしているとき、奥から出てきていた奥様らしい方から「第7回 ひょうご大古本市」の案内のハガキをいただく。「明日からなんですが、よかったらどうぞ」と。
そして二人の女性から古本屋らしからぬ丁寧さで「ありがとうございました」と言われ、これは古本市にも行かねばと、なんか知らんが決心する。

会場は三宮の浜側、貿易センタービルの足もとのサンボーホール。
その真ん前のam/pmでバイトしてたことがあり、馴染みの場所といえばそう。
最終日の日曜日、14時から紙芝居も上演されるというので、それに合わせて行った。
かなりの盛況。人のあいだを縫ってナンカナイカとさがす。
ルイス・キャロルの『シルヴィーとブルーノ』(柳瀬尚紀訳、ちくま文庫)と『世界SF全集23 レム』(飯田規和訳、早川書房)を買った。
後者には『砂漠の惑星』と『ソラリスの陽のもとに』が収録されている。
「ソラリス」はハヤカワ文庫版のを持っていて、こちらの方がより原書に忠実ということだが、まあそれこそ自分の聖書みたいなものだし、こっちも買っとくか、と。安いし。
国書刊行会の沼野訳は持ってない。

ハヤカワ文庫版「ソラリス」は僕の知ってるかぎりで3種類の表紙があるが、いまもそうなのか、ソダーバーグのアホ映画の写真を使うのはやめてほしい。ハヤカワさん、やめてほしい。

会場の休憩スペースで上演された紙芝居も楽しい催しだった。
いまの紙芝居は子供らの興味を引くため、クイズに正解したら駄菓子をあげるという……昔とは逆だ。

兵庫県古書籍商業協同組合さん、早口言葉のようなお名前ですが、今後も楽しみにしています。

その後、三宮センター街のナガサワ文具センターへ、セーラー万年筆主催のペンクリニックにうかがう。
その世界では有名な“ペンドクター”川口明弘さんの最後のペンクリニックだという。

ここで川口さんにもお店の方にもとてもお世話になり、そのことも、と思うけれど、ちょっと長くなったし、いったんここで。

やまだ書店(二)

2009-09-18 07:39:00 | 本、文学、古書店
やまだ書店のことは以前にも紹介したことがある。

夕方も7時をまわって、自転車で中央図書館に出かけた。もう6時を過ぎると暗い。

3冊借りている本を、3度目に延長する。図書館の用事はそれだけ。

図書館を出たのが7時半。やまだ書店に行くことにした。自転車なら近い。

憂鬱な神大病院の脇を通り過ぎ、有馬街道が山越えの道に入る少し手前、平野(ひらの)の交差点。いつも遅くまで店は開いている。

壁と垂直に置かれた、大きな移動式の書棚をひとつひとつ動かし、そこへ分け入るたびごとに、三面にそびえる山積みの本。文庫用の小さな棚は、また増えているようだった。

会計を終えて

「三宮の後藤書店が店を閉めて、これだけ専門書を置いている店というのは……」

僕がそう言ったところで

「ないですね」

と店主が受けた。(後藤書店でも、これほどマルキシズムの専門書は多くはなかった、とは結局言わなかったけれど)

そして

「時代遅れなんですけど」

店主は付け加えた。

時代があとに残していったものを売るのが、古書店である。とすれば、これは店主の矜持である。また、たとえああして店主が微笑んでいようと、これは穏やかな話では到底なく、ほとんど刺し違える覚悟というのが、そこにある。


僕自身、最近はインターネットで古書を注文することが多い。

「インターネットでは…?」

「やってないんです、店頭だけ」

値段も安く、出品すれば売れそうなものは多い。


とはいえ、今日は専門書は買っていない。



「家畜人ヤプー」(沼正三、角川文庫版)¥200-

これをここに書くのは本当は恥ずかしい。半端なサブカル愛好者っぽくて。まあ、ご愛嬌ということで。



「ジャン・ジュネ全集2」(堀口大學他訳)¥800-

これに入っている「花のノートルダム」は読んでいる。持っているのは同じ堀口訳の新潮文庫版。最近、河出文庫で新訳も出た。もう一本収められている「ブレストの乱暴者」は未読だが、これも河出文庫で簡単に手に入る。いっとき、ジュネはずいぶん読みにくかったが、いまはちょっとしたブームなのだろうか? それにしても今日みつけたこれは三刷の68年出版だが、びっくりするぐらいきれいな本で、真っ白で、思わず買った。家に帰って本棚をみると、忘れていたが、1巻と3巻をもっていて、カンチャンがきれいにはまった。全4巻。



「もつれっ話」(ルイス・キャロル)¥500-

これこそさがしていた本というわけで、この数日キャロルの本をインターネットで検索していた。やはり古書店で出会い、その出会いの喜びの中で買うのが何といっても楽しい。

以上3冊。

しかし店を出て、店の前のワゴンの中からもう一冊。



「ドイツ文學小史」(ルカーチ)¥100-

これはいろいろな意味で記念として。それにしても、ルカーチ、グラムシら、正統派に近い人々というか、西欧マルクス主義の草創期の人々の文献は目についても、たとえばフランクフルトのマルキストたちは並んでいない。単に品薄というだけの話か、それとも店主のこだわりだろうか。それにしても、本当のところは、何かもう一度ご店主の顔がみたい気がして、ワゴンの中からこの一冊を取って店に引き返したわけだった。

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街を自転車で走るにはいい季節になった。

平野の交差点をわたって坂を上れば、この神戸の祇園神社があって、7月には祇園祭りも開かれる。何年か前、何も知らずにやっぱり自転車でフラフラとやって来て祭りにかち合った。坂に沿ってどこまでも軒を連ねる屋台の光景、それから、祭りを口実に浴衣を着て初々しいデートをする中学生の恋人たちの姿。

もともと方向音痴だが、方向も何も考えず、快さに任せてペダルをこいだ。山が近く、カーブも、起伏も多い。暗い住宅地を旋回しながら、すこしずつ街へ下りていった。

やがて、湊川の商店街の近く、深いコンクリートの川の岸に出た。初めて来る場所ではない。というより、ときどきこの川の光景を夢にみる。なぜかはわからない。自分がこの場所に何か思い入れをもっているとは思えないのだけど。

僕にとってこうも疎遠であり、僕が懐かしみながら夢にみるもの。

こう思いながら、同時に、図書館から借りているムージルの作品の言葉が、ふと理解されたような気がした。

「ウルリヒとアガーテがあの頃話し合ったことは、今ではたいていもちろん古臭くて、子供っぽい暇潰しだったように思われていた。だが、あの状態にいて彼らが格子塀にその象徴性のゆえに与えた名称、そして同じく、いま彼らがいる場所全体にその位置の有利さゆえに与えた名称、つまり「分けられないが、また一つにもなれないものたち」という名称は、以来ますます彼らにとって内容豊富なものになっていった。なぜなら、分けられないが、また一つにもなれないものたちは、彼ら自身だったのだし、またこの世にあるその他一切のものも、やはり分けられないが、また一つになれないものであることが、おぼろげながらも認められると思ったからである。」(『ムージル著作集第6巻 特性のない男Ⅵ』加藤二郎訳、松籟社 p.85)

「分けられないが、また一つにもなれないものたち」を、ウルリヒとアガーテの兄妹のような、すでに充分に親密な二つに、ただ当てはめて考えていた。しかし必ずしもそうではないのだろう。疎遠であるというのは、ただそうであるということにすぎない。

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以前やまだ書店について書いた記事は、もう3年も前のものだった。読み返すと、仲間のKと行ったとある。

Kは今年、ずいぶん遠いところに旅に行ってしまった。帰ってくるつもりはないらしい。すると、もう一緒にコーヒーを飲んだり、古本屋に行くこともできないわけか。いつかこちらから出向くしかないのだろうが、それも、いつのことになるかわからない。




自分という重荷――朝倉裕子詩集『詩を書く理由』

2008-04-28 22:14:46 | 本、文学、古書店
 こんなにも自分を凝視し続けていては、生きることがずいぶん辛くなるだろうな、と思いました。
 朝倉裕子さんの詩集「詩を書く理由(わけ)」を読んでの第一印象です。

 「夕暮れ」という作品には「人でいるのが辛くなる/夕暮れが近い」と書かれます。
 「夢」という作品では、いま自分は悪夢に苦しめられていると自覚しながら、その夢を見ている自分をさえ凝視していて、その結果「目覚めて吐き気」に襲われてしまうのです。
 そしてもうひとつの「夢」という作品では、妻であり母でありながら、なおひとりでいることのできる場所を家の中で探していて、そういう自分を「いつもうしろめたい」と感じている、とあかします。

 人はいろんな荷物を背負いますが、結局いちばん重いのは自分という荷なのでしょう。
 読んでいて気が重くなる詩集であること、それはたぶん多くの人びとにとって共通の感想だろうと思います。
 いえ、むしろ、気が重くなることがこの詩集の最初に挙げるべき値打ちです。
 ぼくは「吐き気」という詩句に遭遇して、学生時代に出会ったロカンタンのことを思い出し、不気味にして魅惑的な“存在の亡霊”がそこに舞い戻ってきたような気がしました。
 
 けれどまったく救いがないわけではありません。
 「途上」という作品では末尾に象徴的な光景が現れます。
 「見上げると/広がった枝の青葉は/みな裏側を見せて空に向かっていた」
 おびただしい葉のどれもがこちらに裏を向けているという位置取りは、この場所の閉塞をほのめかさずにはおきません。
 しかし同時に葉の向こうの広大な空へとわたしたちのまなざしをいざないます。
 この広々とした光景をぼくは貴重なビジョンとしてぼくの記憶に書き込みました。

 もちろん自己を見つめ尽くすのも、そこを超えて空へあるいは宇宙へまなざしを向けるのも、それはまったく等価です。
 優劣とか善悪とかの問題では全然なくて、生きていくうえでの選択と決断の問題です。
 次の詩集がどのように書かれるか、とても心を引かれます。
         
          (編集工房ノア刊 1900円 06.6373.3641)

心の奥行き――芦田はるみ詩集  雲ひとつ見つけた

2008-04-20 18:44:07 | 本、文学、古書店
 ぼくたちはそのようなちっちゃな子供たちのことを「灰の子」と呼んでいました。
 芦田はるみさんが育った地域では「たまご」といっていたようです。
 詩集「雲ひとつ見つけた」の中に収められた作品「たまごだったころ」にはそのことが書かれています。

 たぶん3歳くらいの幼児たちのことだったろうと思います。
 カクレンボやオニゴッコやカンケリや、界わいの子供たちがおおぜい集まって路地や通りで遊んでいたころのことです。

 幼いこどもたちにはまだ遊びのルールがのみこめませんから、げんみつに言うと一緒に走り回るのはムリなのです。
 けれど、そのころの年長の少年少女、といっても小学校の四年生にもなれば、もう立派な年長生だったのですが、この年長生たちは、決してこれら幼児たちをのけものにしませんでした。
 「灰の子」あるいは「たまご」という“資格”で遊びに誘い入れていたのです。

 「灰の子」さんや「たまご」さんは、なにをしても自由でした。
 オニにされることはありません。
 みんなが走り回り飛び回っているなかで、マイペースで走ったり跳んだりしているというわけです。
 そうして、しっかり遊びに参加していました。

 あのころの少年少女たちは心に奥行きがあったなあ、と思うのは、カクレンボにしろオニゴッコにしろカンケリにしろ、それらを自分たちのルールで楽しみながら、一方で幼児たちがさびしい思いをしないように、ケガをしないように、といつも心のどこかで気をくばっていたことです。

 そんな光景を芦田さんは黄色いリボンの女児を主人公にこんな詩句に写しています。
 「おにいちゃんが走る/おんなのこもずっとおくれて走る/みんなといっしょに走る/だれもでんはしない/黄色のリボンもうれしそう」

 明るい光の中で心の動きがみずみずしく透けるような、そんな詩集です。

 編集工房ノア刊。2000円。問い合わせ06.6373.3641

  

後藤書店

2008-01-13 22:48:34 | 本、文学、古書店
 明日、1月14日で神戸・三宮センター街の後藤書店が店を畳む。老舗の古書店である。
 寂しい限りだ。多くの人がそう感じている。勤め先でも話題になった。一人はそう歳のちがわない、学生のときに宗教学の勉強をしていたという同僚で、後藤書店で鈴木大拙の全集を買ったそうだ。もう一人は60を越した元教師で、また一ついい古書店がなくなると嘆いていた。
 僕自身、店の前を通ればほぼ必ずのぞいていた。入ってレジの横を抜けると、店の奥に向かって巨大な書棚がフロアの真ん中に据えられている。その書棚の向かって右の側面には哲学関係の書籍、左の側面には西洋文学の書籍が並んでいる。まずそこをぐるっと一周し、それから右の壁面の日本文学の棚や左の壁面の美術書や、さらに店の奥に踏み込んで歴史書や文庫などを探索する。また2階に上がれば豊富な洋書や、映画・演劇関係の文献などがある。久しぶりに行って品揃えが大きく変わっていると妙に気分が昂揚し、あるときは、今日はあるな、という不思議な確信を感じ、その通り、みつかったのは、あれは長く探していたヴァルター・ベンヤミンの『来たるべき哲学のプログラム』(晶文社)だった。
 95年の震災のすぐあと、センター街の地下に仮店舗を出して営業しているのをみて驚き、そして、とても嬉しかった。そのとき床の段ボールに並んでいた河出書房の「世界の大思想」シリーズから一冊を買ったのをおぼえている。しかしそれ以前にも後藤書店は1938年の阪神大水害で被災し、45年の空襲で焼けているのだという。これは僕などには想像ができない。再建を繰り返し、いままで営業をつづけてきたというのは並大抵のことではないだろう。
 創業は明治43年(1910年)、いまの経営者である後藤兄弟のお父さんがはじめたそうである。もう100年になろうという店。古書店の減少はたぶん全国的な傾向だろうが、後藤書店のように後継者がいないのがそのいちばんの原因だろうか。すでに何年か前から後藤書店が店を閉めるといううわさは街に流れていた。それで「シュプリッターエコー・プレス版」にインタビューを掲載させていただけないかと取材を申し込んだことがある。そのときは断られた。後藤昭夫専務は「私たちは商売人だから」とおっしゃっていた。だが他のどの商売より知の継承に貢献する商売である。老舗の古書店というのは単なる商店とはちがう。都市の知性を養う重要な拠点だ。
 上に「探索」という言葉を使ったが、いまは言わずと知れた「検索」の時代である。古書だろうが新書だろうが検索語として打ち込めば、全国どころか世界中の出品者の中からいちばん安いのを選んで買える。後藤書店などは、価格設定は高めというか、標準的というべきだろうが、僕などはそう頻繁に購入できたわけではない。しかし古書店というのは、必ずしも本を買いにいくための場所ではなく、まず第一に本についての勉強の場である。これは図書館ともちがう。図書館は新刊本が加わる以外は蔵書が一定で、また、金が介在していないという点が決定的だろう。古書店の緊張感はない。古書店を通じて学んだのは、何より、二度と出会えぬかもしれないという出会いの緊張感である。また、検索とはプロセスなきゴールであるが、探索とはプロセスに他ならない。何かを学ぶことができるのは、プロセスからのみである。そうした場所が減ることは、都市の知的水準という点からすれば、まちがいなく大きな損失である。いつか再び「来たるべき」知の時代のため、一種の文化財として、地域や行政が営業の存続をはかる試みがあっていい。
 先日、年明けに立ち寄ると、閉店セールとしてすべて半額になっていた。筑摩書房版「ドストエフスキー全集」の「書簡集Ⅰ~Ⅲ」を1500円で買った。


 その後その足で、以前にもここで紹介した、同じセンター街の中にある、あかつき書房へ行く。後藤書店がなくなるとセンター街の古書店は、あかつき書房と皓祥館書房の二店になる。あかつき書房で、メルヴィルの『タイピー ポリネシヤ奇譚』(福武文庫)、ヘンリー・ミラーの『暗い春』(福武文庫)、フィリップ・ソレルスの『公園』(新潮社)を買った。1500円ぐらい。いまでこそ「『白鯨』のメルヴィル」だが、亡くなった当時(1891年没)は、「『タイピー』だけのメルヴィル」という感じだったらしい。あ、そういえば比較的最近、地下にブックオフができたんだった。


 三宮駅東の商業施設サンパル2階に、以前は4店の古書店が集まり、古書の街と称していた。この数年で徐々に減って、いまはロードス書房だけになっている。3階に大きな古本屋ができたことが理由だろうか。書店の上にも「チョー」がつく時代である。超書店MANYOという店で、中古のゲームソフトやCDも扱っている。先日、中央公論社の「世界の名著」シリーズ「スピノザ ライプニッツ」(昔のハードカバーの版)とメルヴィルのThe Penguin English Library版「BILLY BUD,SAILOR & OTHER STORIES」をそれぞれ300円で、フレドリック・ジェイムスンの『弁証法的批評の冒険』(晶文社)を1000円で買った。『ビリー・バッド』はメルヴィルの遺作である。最後のジェイムスンが1000円というのはあり得ない値段と思い、むしろその値段のために買った。

金田弘さんという詩人―孤高の人

2007-07-03 16:54:45 | 本、文学、古書店
 梅雨の龍野は揖保川(いぼがわ)の水量が豊かです。
 町をめぐるかんがい用の水路もことのほか深い流れで、いたるところで涼しい水音が聞かれます。
 金田弘(かなだ・ひろし)さんはこの町で詩を書き続けている詩人です。
 ことし86歳。
 この1年足らずの間に2冊の詩集を出しました。
 「旅人は待てよ」(2006年6月)と「青衣(しょうえ)の女人」(2007年3月)の2冊です。
 その出版を祝って「金田弘さんを囲む会」が6月26日に揖保川河畔のガレリア(アーツ&ティー)で開かれました。

 現代最高の詩人に数えられてしかるべき人です。
 むろん知る人ぞ知る、ですが、一般にそれほど知られていないのは、作品がこの浅い時代にあまりに深いからでしょうか。
 頑健な哲学性、高い宗教性、鋭い洞察、そして強じんな文学構造、それらを堅固な骨組みにしてひとつひとつの作品がまるで大聖堂のように作られます。
 その近寄りがたさも確かにあると思います。

 けれどやはり、みずから名を追うこともなく、ふるさと龍野にじっくりと身を置いて文学の営みを続けてきた、その孤高のあり方、その潔いあり方が、金田さんの知名度を限定したものにしてきた、そのことも大きいように思えます。
 詩人としてのもっとも美しい生き方が、世間からもっとも深く詩人を隠すことになったのです。
 じっさい、金田さんがもし東京や大阪や京都の詩人なら、メディアはもっとしばしば取り上げてきたことでしょうし、もっと数多くの論評が書かれることになったでしょう。
 そのほうがよかったと言いたいわけではありませんが、これほどの大きな詩人の作品がその示唆(しさ)を十分に汲まれないままで来ているのは、やはり現代の損失だと思うのです。

 でもいま輝かしい2冊の詩集が生まれました。
 これはほうっておいても確実に龍野から広大な世界へ流れ出ていくことでしょう。

 金田さんのお話から推察しますに、詩人は日々ご伴侶の看護に尽くされながらその間に時間をつむいで、さながら血を搾り出すように詩句を生み出しておられるようです。
 「もう金田弘は死んだ」とそう洩(も)らされる言葉にも実感があります。
 「負けてたまるか」と語られる、その言葉にも実感があります。
 それにしても金田さんのファンたちはとても熱烈で、残酷です。
 この「囲む会」を「私への送り火」だと言う金田さんに「いや、これは迎え火だ」と言い返して、早くも次の新しい詩集の出版を待つと言い張って引き下がろうとしないのです。  
                 ☆
 なお詩集「旅人は待てよ」と「青衣の女人」はいずれも湯川書房刊。3000円。同書房は〒604-8005京都市中京区河原町三条上ル恵比須町534-40 電話075-213-3410
 また「青衣の女人」の論評をこのブログの姉妹版の「Splitterecho」Web版のCahierに掲載しています。お立ち寄りください。
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あかつき書房、森鴎外『伊沢蘭軒』

2007-05-20 03:17:27 | 本、文学、古書店
友人との待ち合わせまでの時間、古本屋をのぞいた。

森鴎外の『伊沢蘭軒』(ちくま文庫)上下二冊を買った。三宮センター街(神戸市)のあかつき書房。ここはだけど垢のついた本など一冊もなく本当にきれいな本ばかりそろえてある。人文科学系の専門書も多いし、二階の文庫の棚は特に岩波文庫が充実している。

「伊沢蘭軒」とは江戸の医者で儒学者。やはり鴎外が伝記を書いた渋江抽斎の医術の師匠に当たる。さて鴎外の書く伝記は、学校の図書室にある「エジソン伝」みたいな教養のための「実用書」ではなく、やっぱり文学と言うべきものだろう。実用的見地からすればほとんどまったく「役に立たない」という意味で。

起伏のあるプロットが小説作品の面白味だとすると、鴎外の伝記作品は、面白くない。伊沢蘭軒も渋江抽斎もその生涯がとりたてて波乱に富んでいたというわけではない。そこを鴎外は記録を渉猟して編年的に細かく人物の人生をたどっていく。『伊沢蘭軒』はまたやたらと長い。

じゃあ何で面白くないものを買うんだと聞かれれば、ちくま文庫の「鴎外全集」の前巻までをもっていたからとか二冊揃いで安かったからとかあるけれど、やっぱり鴎外が好きだからということになる。何で好きなんだと聞かれれば……何でですかね。

それはもしかすると上に書いた「役に立たない」ものの強烈な魅力かもしれない、とも思う。作家自身「役に立ってなんかやるものか」と凄んでるのか拗ねてるのかわからないそういう態度を意識的にとっていたということがあるだろうけど、単に鴎外の個人的な開きなおりや反抗心なら誰もそんなものに付き合いはしないはずで。

「わたくしの作品は概してdionysisch[ディオニュソス的]でなくって、apollonisch[アポロン的]なのだ。わたくしはまだ作品をdionysischにしようとして努力したことはない。」と書いている小論「歴史其儘(そのまま)と歴史離れ」なんかは何だか鴎外のつぶやきを耳もとに聞くみたいで感動的なほど率直さの伝わってくる作品なんだけれど、さあ、鴎外の伝記作品に表われている問題の本質は、ディオニュソス的・アポロン的の対立や、歴史の「自然」というところにあるのでもないような気がする。

鴎外作品に漂う歴史的緊張感。それも「日本史」とか「近代」という水準の問題じゃなく、芸術固有の歴史的危機感。そういうものが鴎外作品にはあるのじゃないか。アドルノ(ドイツの哲学者)が、芸術作品というのは交換の原理に台無しにされることのなかったものの代理なんだと言っている。つまり交換に乗っからないような非実用的・無用のものだと。最近また数十億円の超高値で絵画が取り引きされたりしてるけど、そういうニュースに僕らが感じる違和感は、貧乏人のやっかみだけじゃなく、やっぱりそんな形で絵画が「不当に」扱われているということに居心地の悪さを感じているのじゃないかしら。

明治・大正期の芸術シーンがどうだったかというのは、ヨーロッパの文物がどっと押し寄せみんなびっくり、ぐらいにしか不勉強で知らないのだけれど、「日本的・漢文学的」とか「ヨーロッパ的」といった水準の問題というよりは、アドルノの言うような、無用なものと有用なもの、芸術と芸術でないものという問題、あるいは、作品として読めるものと読めないもの、その境界を行く緊張、そういうものに鴎外の「面白くない」作品は触れていると思う。これは文学・芸術にとっては、その生命に関わる、いつでも重大な問題だろうし、とりわけ拝金主義のいきわたった現在には重大な問題にちがいない。

ところで、今日買った『伊沢蘭軒』もそのシリーズである、ちくま文庫の「森鴎外全集」、これが全然「全集」ではない。翻訳作品は「ファウスト」と「即興詩人」ぐらいしか入っていない。えらく恣意的な全集だ。何でこれを「全集」と言っちゃうんだろう? まあこちらも、『伊沢蘭軒』にせよ有難がって隅から隅まで読むつもりはないんだけど。それにしても、何だかずっと気持ち悪くて。

京の古本屋

2007-05-18 01:25:22 | 本、文学、古書店
久しぶりに京都の街を歩く機会にめぐまれ、今出川通りから白川通りにかけて何軒か古本屋をめぐることができた。

古本屋に並ぶ本の傾向にも確かに地域性はあって、それは供給者の問題でありニーズの問題であり、やはり京都は大学の街ということで刺激的なラインナップだ。その街を底で支えている知の力は、古書店に噴出口をみつけてあらわれる。

地元の神戸にもいい古書店はあるけれど、たびたび立ちよる中ですこしずつ商品が入れ替わっているのをみる楽しみはそれとして、たまに京都や神保町へ行って、うずたかく積まれた質・量ともに巨大な本の森へ分け入っていくのには特別の喜びがある。

といって、すべてが新しいかというと、あの数万円する原書のシェリング全集は十年以上前からあそこに積まれたままだなあとか、学生時代の無為の時間がふとよみがえるような光景に立ち会い、不思議な感慨を感じたりする。

いつもさがしている本が何冊かあるけれど、最近特に意識していたのは誰でもタイトルを知っている作品。新書でも買える。

モンテーニュの『随想録(エセー)』。

もし知らなかったなら、スノビズムの足りないあなたも悪いけど、何よりいまは時代が悪いのでしょう。

これは抄訳が何冊が出ている。全訳も岩波文庫で手に入るようだし、白水社からすこしずつ新訳が刊行されてるけど、岩波のは「ワイド版」というやつで本が不細工、白水社の新訳を全部集める気もない。河出書房の「世界の大思想」シリーズで昔出ていたのを、確か震災のすぐあと後藤書店(神戸・三宮)でみかけたことがあって、あれとまた出会えないものかなあとずっとさがしていたのだけど、まったく何であのとき買わなかったのか。すごく安かったのに。

で、京都の一軒で、やっぱり白水社から60年代に出ている三巻組みの全訳(関根秀雄訳)をみかけて手に取ってみたら、いくらだったかな、一万円ぐらい。よいしょと棚に戻してまた歩きだした。

ところが別の店でウインドーに並べてあったのが、二千円。しかも新品同様。支払いをしながら、何でこんなに値段がちがうんですかとたずねると、あそこは昔の値段だから、と。

結論。取材や営業と同様、古本の探索も足で稼ぐ(?)ものである。

とはいえ、である。いまの値段が二千円ならいまの値段の方がありがたいのだけど、昔の値段というのは本への敬意を表現した値段のことだろうか。

幸運な出会いの喜びと、ちょっとした罪の意識を胸の底に、重たい本を抱えて夕暮れの京の街をぶらつくのだった。