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ブログ版 シュプリッターエコー

第42回 藤田佳代舞踊研究所発表会

2019-10-17 20:10:00 | 舞踊
藤田佳代舞踊研究所の第42回目の発表会が神戸文化ホールで開催されました。
42回! たいへんな回数、たいへんな歩みです。

最初のプログラムは藤田佳代さん振付「届ける」。
「東北の地震と津波と原発事故で亡くなった数限りない命たちへ」という副題がつけられています。藤田さんはこの作品を10年上演しつづけるとしています。今年が8年目。
曲は使用せず、「拍踏衆」が手足で打つ拍子と、ダンサーたちが刻むリズムで構成されます。赤い鼻緒の黒塗りの下駄を「手に」履いて、それを打ち鳴らしながら踊るダンサーたち。
作品には小学三年生から参加できるそうですが、年齢が進むにつれて担当するパートが変わっていきます。例えば、はじめ四拍子を踊っていたダンサーが、今は五拍子を担当しているというぐあいに順繰りに踊りが受け継がれていくのです。
幾度か、打ち鳴らされる拍が止み、張りつめた静寂のなかダンサーたちが踊る瞬間が訪れます。そのとき、舞台上の演者と観客、そしてそれを越えて、空間全体を無音の対話が満たす――声なき祈りに満ちる、そんな厳かで神聖な場があらわれるのに私たちは立ち会うのでした。

2本目のプログラムは「ちょっとうれしいことば みつけたよ」。
こちらも藤田佳代さんの振付です。
可愛らしげなタイトルとは裏腹に、時代でいえば、古くは万葉集の大伴家持の長歌の一節(「雨ふらず 日の重なれば…」)から、藤原定家の和歌(「瑠璃の水 にしきの林…」)、与謝蕪村の俳句(「帰る雁 田毎の月の…」)、西脇順三郎の詩(「旅人は待てよ このかすかな泉に…」)など、深い味わいをもった十以上の言葉たちを踊る作品です。
踊りは言葉に近づいたり、離れたり、決して言葉に縛られた踊りではありません。
むしろ、ああ、あの黄色い衣装の小さな女の子みたいに、もう踊りたくて仕方がないという様子の、腕も脚も伸ばせるだけ伸ばし、跳べるだけ高く跳びたい、駆け抜けられるだけ遠くまで駆け抜けたいというあの子たちのために、踊りというのは結局あるんだろうなぁと、こちらも心を躍らせながらみていたのです。

一方で、逆の感想のようですが、菊本千永さん振付の「メリーさんと隠れ家」は、アメリカから送られ、いまは敵国の人形として閉じこめられているメリーさんに、子供たちがお話を語って聞かせるという物語の結構が舞台に求心性をもたらし、とてもうまく作用していると感じさせられました。
ひとたび言葉が与えられれば、私たちはそのように作品をみてしまうのです。そしてそれが(よきにつけあしきにつけ)物語の力というものなのでしょう。
冒頭、槍をもった兵士たちが人形をなぶりものにしようと高く掲げ、取り囲む場面は、そこにはっきりと歴史と物語が交差する象徴的な光景として迫力をもつものでした。

✴  ✴  ✴


第42回藤田佳代舞踊研究所発表会は2019年10月12日(土)神戸文化ホール(大ホール)で開催されました。
スタッフ 総監督:新田三郎 舞台監督:長島充伸 照明:藤原本子 音響:藤田登 衣装:山下由紀子 藤田啓子 他

今年11月9日(土)には菊本千永さんの「モダンダンスステージⅤ」が東灘区民センター うはらホールで開催されます(17:30開演)。
藤田佳代舞踊研究所のホームページはhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~fkmds

キヌガワ/takashi.y



南ラオスへの旅

2019-10-13 18:37:00 | 地球
突き出した紫色の庇が空を刺す。
眼前に建つ国境管理局はタイの国花である蘭を形容しているのであろう屋根を一面紫に染め上げ、庇の一角だけを空に向けて突き立てている。
タイ東端の国境の町・チョンメック。
徒歩で国境を越え、ラオス最南端の島・シーパンドンを目指す。
屋根の下では4メートルはあろうかという巨大なワチラロンコン新国王の肖像画が出国する者を見下ろしている。


(チョンメック出入国管理局)

五月初旬のタイは予想以上に蒸し暑かった。
日本国内では平成から令和へと移る空前の10連休を迎えているにも拘らず、国外では何ら恩恵に預かることもない。
毎月末・毎月初に渡泰せねばならない己の使命を呪いつつ、腹立ちまぎれに2泊3日の旅に出ようと、仕事を終えた晩の便で空を飛んだ。
タイ東部の主要都市・ウボンラチャタニで一晩を過ごし、翌朝8時半の国際バスでラオスへ渡る―――と思っていたのだが、国際バスは出発の30分前で既に満員だった。
仕方なく国境行きのトラックバスに乗り、今、国境の前に立つ。

こうして国境に立つまでずっと、メコン川こそが二国を隔つ国境を成していると思い込んでいた。
チョンメックだけが唯一徒歩で国境を越えられるポイントであるとは知ってはいたが、歩いて橋を渡るのか、はたまたトンネルを越えるという情報もあり、まさか大河の底を掘ったわけでもあるまいにと半信半疑だったのだが、何のことはない、必ずしもメコン川が国境であるとは限らないのだと、こうして国境に立って初めて知った。
出国手続きを済ませると、地下に潜る階段があった。地下に掘られた10メートル程度の通路を歩いて地上に出ると、そこはもうラオス。

(国境のトンネル)


(ラオス側出入国管理局)

入国管理局でアライバルビザの申請用紙に四苦八苦している欧米人を傍目に、ビザ不要の日本人としてスムーズに入国手続きを済ませると、すぐにタクシー運転手が声を掛けて来た。
意外にも声を掛けて来たのはただの一人で、大声で客を取り合う気配などまるで無い。
恐らくは国際バスを逃すような間抜けはそうそう居ないということなのであろう。
 「パクセー?」
 「イエス、パクセー。」
ラオス最南端を目指す前に、まずはラオス南部の都市・パクセーを目指す。
 「100バーツ、OK?」
 「バスターミナルまで行きたいんだ。」
小柄な初老の浅黒い肌の男は顔をしかめた。
 「バスターミナルは一杯ある。何処のバスターミナルだい?」
 「シーパンドンへ行きたいんだ。」
 「シーパンドンまでなら1000バーツ。」
シーパンドン行きのバスが出るターミナルと言いたいのだが、男の英語も覚束ないため、どう言って説明すれば良いのか思案に暮れる。
男も話にならないと諦めたのか、他の客が来ないかと視線を私から外した。
しばらく沈黙が続き、私も諦め他の運転手を探そうと男から遠ざかっても、彼は追いすがる素振りも見せなかった。
延々と続くアスファルト舗装の道を少しだけ歩いたものの、とても歩いて行ける距離では無いと困っていたところ、スクーターに乗った男が声をかけてくれた。
 「パクセー?」
 「イエス、パクセー。何処でもいいからバスターミナルまで。」
とりあえずバスターミナルに行けば何とかなるだろうと考えた次第だった。
 「OK。300バーツ、ユーOK?」
3倍の値段に驚いたものの、もはや彼にこの身を預ける以外の道は無い。致し方なくOKと答えた。
 「おれのヘルメットは?」
と訊いたところ案の定「ノープロブレム」という回答だったが、彼はしっかりフルフェイスのヘルメットを被っているのだった。

延々と続く完全アスファルト舗装の道を駆る。
排気量100cc程度のスクーターの目盛りは常に時速60km前後で維持している。
道の両側には耕作地でも牧草地でもない、手付かずの緑豊かな大地が広がる。
恐らくはグリーンベルトのようなものなのか、国境は越えているものの、何処の国にも属さない土地という範疇なのかもしれない。
途中で料金所のような大きなゲートがあり、写真を撮ろうと思って「ストップ、ストップ」と声を掛けたのたが、男はまるで止まらなかった。
聞こえなかったのか?
メコン川を渡る橋に来た。私は男の肩を叩いて、再び「ストップ、ストップ」と言ってみると、さすがに「オーケー」と応じてくれたが、やはり止まることはなかった。
何のオーケーだったのだろうか?
まるで不可解な旅が続き、出発してから約45分かけて漸く終点に着いた。
国境から実に45km。
乗合ではないマンツーマンタクシーなのだから、300バーツでも全く高くないことを知った。

男はバスターミナルがある市場で私を下ろし、サイドカーを付けたシクロの運転手に私を紹介した。
 「兄ちゃん、シーパンドンへ行きたいんだって?100バーツでどうだい?」
驚いた。
国境から300バーツだというのに、最南端までたったの100バーツで行けるのか?
外国人価格だったのか、もしくは思っていたほど遠くないのか?
 「本当に100バーツでシーパンドンまで行ってくれるのか?」
半信半疑で聞き返したが、
 「イエス、100バーツ。ユーOK?」
快くオーケー、プリーズとサイドカーに乗り込んだ。
男が走った先は果たして別のバスターミナルだった。 複数のバスやトラックバスが停まっている。
男は一台のトラックバスを指して言った。
 「このバスがシーパンドン行きだってよ。」
決して嘘つきではないのだが、南ラオス人とのコミュニケーションは難しいと知る。
南北に長いラオス。
初めて訪れた南部ラオスに地域性の違いを思い知った。



(アサオケンジ)