しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

風呂本武敏著『見えないものを見る力』―妖精と付き合う法

2007-04-21 18:11:19 | 本、文学、古書店
 アイルランドの文学って、みなさん、どんなイメージをお持ちですか。
 日本の能に深い共感を示して、いわばヨーロッパ的能舞台「鷹(たか)の井戸」を書き下ろしたイェイツ、それから陰鬱(いんうつ)深遠な戯曲「サロメ」で有名なワイルド、それらの作家の名前を思い出されるでしょうか。
 でも、この特異な文学的土壌の底にはどうやらアイルランド文化の源流でもあるケルトの深い精神世界があるようです。おびただしい妖精(ようせい)たちがうごめいている魂の世界です。
 その神秘このうえない妖精世界との付き合い方を、アイルランド文学者の風呂本武敏さん(元神戸大学教授)が一冊の本にまとめました。「見えないものを見る力―ケルトの妖精の贈り物」です。桜が満開の4月7日、神戸市・婦人会館の会議室で出版記念をかねた「風呂本さんを囲む会」も開かれて、本をめぐる活発な議論も行われました。

 妖精の世界と交流するには、まさしく目に見える世界を超えて、その向こうの見えない世界と交信する微妙な能力を回復しなければなりません。
 現代はビジュアルな情報が重宝され、重宝されるばかりかビジュアルな情報だけで十分で、その向こうの一歩踏み込んだ情報などもう必要ないという風潮さえありますが、このようなコンビニ的感性ではとてもケルトの妖精たちと友達になることはできません。
 ですが、いったんその微妙な交信能力を回復すると、わたしたちの目と心は神秘で感動的な風景へ一気に開かれることになるのです。
 「そこでは現世にあるものはほとんどそろっていて、人は自分が妖精界に入ったと気付くのはそこの芝生(しばふ)はいよいよ緑で、太陽はますます金色で、月は銀色に冴(さ)え渡り、女性も男性も一回り大きく、見目麗しいことによる…」と、風呂本さんはその世界の一端を紹介しながら、その妖精界が実はこの世界のすぐそばに並行して存在していることをひもといていくのです。

 現代を生きるわたしたちは、十人が十人とも、百人が百人とも、口には出さなくても心のどこかにいつも喪失感をたずさえているようです。何かが欠けているという感じです。ひょっとしたら、それは妖精たちとの交流がとだえてから心の底でまず目立たない形で始まって、すこしずつふくらんで、今になっていよいよ心の表面にあふれ出てきたのかもしれません。

 風呂本武敏著「見えないものを見る力」は春風社刊。2190円。春風社は045.261.3168 http://www.shumpu.com

ロダン展…哀しい女性の美しい頭部

2007-04-15 16:48:22 | 美術
 もう見ましたか? ロダン展。
 神戸の兵庫県立美術館で5月13日までやってます。

 「白と黒」がテーマです。
 石膏(せっこう)や大理石で作られた白い彫刻とブロンズ(青銅)で作られた黒い彫刻を比べてみて、そこにロダンの創造の秘密を探ろうというものです。

 もちろんクロウトすじには興味深いテーマでしょうが、ぼくたちシロウトはもうちょっと別のところに目がいきます。
 会場に入ったところに、カミーユ・クローデルが作ったロダンの頭部(ブロンズ)と、ロダンが作ったカミーユ・クローデルの頭部(石膏)とが並べて置かれているのです。この一方はたくましく一方は繊細な一組の男女の像が、ともに創造者である男と女の共感と葛藤(かっとう)、尊敬し尊敬され、やがて愛し愛され、ついには破綻(はたん)へ向かっていった、この師弟の心の起伏を深く想像させるのです。

 カミーユ・クローデルは若くしてロダンの助手に抜擢(ばってき)されたほどの才能豊かな女性でした。やがてロダンと恋仲になるのですが、さすがの巨匠ロダンにもやっぱり人間的な弱さやこだわりがあったのでしょう、この女性の才能をどうしてもすなおに認めることができないまま、彼女を狂気にまで追いやってしまうのです。
 近代芸術のなかに登場した悲劇の女性のひとりです。

 でも彼女はほんとうに美しい作品をロダンに作らせたのでした。
 石膏で作られた若い彼女の頭部には、早くも苛酷な運命を予感しているかのように、どこか悲しげな影があります。
 愁いを含んだスピリチュアルな女性といった、そのような精神的な美を深くまとったレディーに会うのは、今の世ではもう難しいことですが、この石膏のかたまりには失われたその美が生きているのです。

 それから、会場のなかほどで出会うもうひとつの白い頭部、「ラ・パンセ」。これもカミーユをモデルにしたスピリチュアルな作品です。夢見るようなまなざしで瞑想にふけっています。まだ人間の内面が大切にされていた、そのような古きよき深き時代が目の前にありありと現れてくるような気がします。

 荒々しくて人の心も粗雑になっていく一方の現代ですが、ロダン展でデートして、男と女のこまやかな愛の時代に触れてみるのもちょっと粋ではないですか。

 兵庫県立美術館は078.262.0901
 http://www.artm.pref.hyogo.jp

なおロダン展の関連記事をこのブログの姉妹編「Splitterecho」Web版のCahierにも掲載しています。お立ち寄りください。Web版はhttp://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/   


不調のVALUESTAR

2007-04-13 10:26:57 | パソコン
 このブログはNECのVALUESTARで作成しているのですが、このパソコン、まだ3年目なのですが調子が悪くって厄介なんです。
 2年目に入ったころから、もう機械がコトコトいいはじめて、今年の初めにはとうとうインストーラーの一つが欠けてしまったみたいで、メールも今では手動で開かないといけないありさま。
 記事作成中に凍結してしまうこともたびたびです。
 SMARTVISIONでテレビも見れるようにはなっているんですが、画像がスムーズに動かないものですから、登場人物がみんなギクシャクギクシャク。
 DVDの再生なんか、見れるもではありません。
 たまたまぼくの機械運が悪かったのか、それともVALUESTARそのものに何か根本的な欠陥があるんでしょうかね。
 まあ、もう保障期間も過ぎてしまっていますから、結局は最終的に壊れるのを待ちながら、ダマシダマシ使っていくほかないんですが。
 10年も使っていてそういう状態になったのなら、しゃあないかとも思えるのですが、まだ3年というのが、ねえ。
 こんど買い換えるときには、もうVALUESTARは敬遠しようと思っていますが。

 もし、これは頑丈だ、と実感されるような機種をお使いのかたがいらしたら、そのメーカーと機種をお教えいただけないでしょうか。


『芋たこなんきん』終わる。

2007-04-09 00:28:03 | TV番組
春は出会いの季節でもあるが別れの季節でもある。
3月31日(土)、9月から半年間続いたNHK朝の連続ドラマ小説『芋たこなんきん』の最終回を、私は東京のビジネスホテルで見送った。
もはや定時になってもこのドラマが始まらないのかと思うと寂しくてならない。

今回の朝の連続ドラマ小説(以降「朝ドラ」と略)は久しぶりに見応えのある内容だった。
原作は大阪生まれの小説家・田辺聖子のエッセイであり、ドラマは彼女の自伝的なストーリーとなっている。
物語は売れっ子の女流小説家・花岡町子(35歳)が4人の子供と両親を抱える町医者・徳永健次郎(41歳)と結婚(健次郎にとっては再婚)することから本格的に動き始めるのだが、町子は結婚してからも家事の間を縫ってますます精力的に文筆活動に打ち込む。

この花岡町子を演じるヒロインに抜擢されたのが藤山直美。
これまで朝ドラのヒロインと言えば20代のまだ若い女優であったのに、失礼ながら突然の年齢の高いベテランがヒロインとなったことに最初は戸惑いを覚えずにはいられなかった。
そんな彼女と徳永健次郎に扮する國村隼というベテランどうしの息の合った演技は見ていて気持ちが良い。
何よりも会話のテンポがいかにも大阪人らしい早さで、受け応えもリズミカル。
さらに投入されたキャストとして、今までの朝ドラで主役を演じた経験のある女優が4人も出演しているなど、ドラマを制作したNHK大阪放送局の力の入れようが見てとれた。

これまで朝ドラのヒロインはオーディションで決められるものであったが、正視できないほど演技が下手であったり、台詞の読み方ひとつ取っても聞くに堪えないことが多かった。
どれだけヒロインが可愛くても、愛嬌だけで許される範囲を超えていた。
また、ここ最近の朝ドラはインスタントにメッセージを伝えようと急ぐあまり、やたら説教くさくなる傾向があった。

しかしこの『芋たこなんきん』は原作がエッセイであるがゆえに面白おかしいエピソードが満載され、とにかく視聴者に笑いを誘うことも目的としていた。
笑いと言っても吉本新喜劇のような泥臭いものではなく、さすが田辺聖子と言うところか、機知に富んだ上質な笑いに満ちていた。
朝早い放送時間だけれども、1日の始まりに笑うことでパワーを受け取ってほしい、とプロデューサーは語る。

このドラマで町子と健次郎はとにかくしゃべる、しゃべる。
対話することを怖れず、また億劫がらない。
これは視聴者に向けた一つのメッセージであったと受け取れる。

最近コミュニケーション能力の低い児童が多い。
「キレる」という発作的衝動は、内面の不満やストレスを言葉にしてアウトプット出来ないがために起こり、思わず他人あるいは自分自身を殺傷してしまう。
この「キレる」子供を作り出してしまう大きな要因として、夫婦間・親子間のコミュニケーション不足が考えられる。
不安に満ちる今の社会だけれども、子供たちが最初に出会う社会は家族。
家族の核となるのは夫婦。
すなわち、良い社会を作るためにはまず良い夫婦関係から、といったところだろうか。
分かってるはずなのに意外な盲点かもしれない。

健次郎が死んだ最終回の舞台は2007年。
ますます活躍する花岡町子と秘書の矢木沢純子がパーティーに出掛けようと家を出たところ、二人の老女と出会い、あいさつする。
今まで一度も登場しながったキャストだけに不審に思えたのだが、彼女らこそホンモノの田辺聖子とその秘書・安宅みどりだった。
最後の最後でビッグなゲストでサプライズ。
NHK大阪制作の次回の朝ドラが今から楽しみでならない。

神戸・北野ギャラリーマップ

2007-04-01 14:12:49 | 美術
 神戸・三宮の山手に広がる北野地域は異人館の町として観光客でにぎわっていますが、ここ10年ばかりの間に美術ギャラリーが目立って増え、芸術の町としてのもうひとつの顔もくっきり浮かび出るようになってきました。

 町は観光化されますと、しばしば低俗化も進行して、そうして荒廃してしまうケースも多いのですが、北野は芸術の顔を持つことで、あるいは町の質(クオリティー)を今後も保てるかもしれない、とそんな期待も生まれています。

 とりわけギャラリー島田やギャラリー北野坂といった画廊は、安藤忠雄さんが設計した独特のコンクリート打ちっ放し建築で、もとはファッションなどの商業施設として建てられたものですが、おそらく安藤建築が潜在的に秘めている芸術性がそれに呼応する活用者を呼ぶのでしょう、結局はギャラリーとして最終的に落ち着いた空間になっているのが、興味深いところです。

 このたびそれらの画廊が連繋して「ギャラリー・マップ」を作りました。

 マップ(地図)というのは、単に場所を印すばかりでなく、暗にその土地の感性や思想も語るものなのです。

 この小さいけれどおしゃれな案内図は、この町の芸術的・文化的クオリティーを守るばかりか、さらの高める水先案内になるのではないでしょうか。

 マップ作りに加わった画廊は次の五つです。

 ☆ギャラリー島田=〒650-0003神戸市中央区山本通2-4-24。tel078.262.8058 http://www.gallery-shimada.com

 ☆ギャラリー北野坂=〒650-0003神戸市中央区山本通1-7-17。tel078.222.5517 http://www7.ocn.ne.jp/~kitano

 ☆ギャラリーモダーン=〒650-0002神戸市中央区北野町2-7-1。tel078.251.0326 http://www.g-modern-kobe.jp

 ☆ギャラリーコロー=〒650-0003神戸市中央区山本通2-13-10。tel078.242.8021 http://www.ne.jp./asahi/gallery-corot/kobe

 ☆花岡画廊=〒650-0002神戸市中央区北野町1-2-2。tel078.222.0628