しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

ヴィトゲンシュタイン

2011-09-30 07:31:00 | 引用
重要なのは、ひとが「意味」という語によってこの語に〈対応する〉ものを指し示すのであれば、この語は語法に反して用いられている、ということを確認しておくことである。それは、名の意味と名の担い手とを混同することなのである。N・N氏が死ぬとき、その名の担い手が死ぬのであって、その名の意味が死ぬとは言わない。そして、そのように語るのがナンセンスになるのは、その名が意味をもつのをやめたのだとすると、「N・N氏は死んだ」と言うことが意義をもたなくなるだろうからである。(『哲学探究』藤本隆志訳、大修館書店、p48)

僕らはふだんペラペラと実(じつ)のないおしゃべりをしているくせに、それじゃコトバってどんな役割を果たしてるの? と聞かれると、そりゃ、その言っていることを指しているんだろうと、急に生真面目な答えを返すことになる。実際、日常の場面ではそう思っていなくちゃ他人との会話も「お話にならない」ものだけれど、言葉の意味ということを問題にしたとき、それは物であろうと行為であろうと、その名で呼ばれている具体的な対象を必ずしも指すのではなく、それとは別の、より抽象的な次元に触れているのだということ。上の引用にあるように、個々の名の担い手が死んでもその名の意味は死なない(だからこそ「名を残す」ことも可能になるのだろう)ように、その語を口にするたび何か永遠的な意味の領域というものが、ただその瞬間だけ呼び出され、その領域との関わりなしにはコトバは何も指示し得ないのだと、そんな目でみると、この世界にまた奥行きと立体感が生まれるようで、心も小躍りしようというもの。


(G. E. M. ANSCOMBEによる英訳。原文はドイツ語)
It is important to note that the word "meaning" is being used illicitly if it is used to signify the thing that 'corresponds' to the word. That is
to confound the meaning; of a name with the bearer of the name.
When Mr. N. N. dies, one says that the bearer of the name dies,
not that the meaning dies. And it would be nonsensical to say that,
for if the name ceased to have meaning it would make no sense to say "Mr. N. N. is dead."


カート・ヴォネガット

2011-09-27 02:13:00 | 引用
作家の大部分は、なにかしゃべるときには頭が機敏に回転しない。かつてどこかに書いたとおり、とりわけ小説家は腹に銃弾を撃ち込まれたクマたちのように、力なく世間をはいずり回っているのだ。優秀な作家ほどそんなものだ。(『パームサンデー』飛田茂雄訳、ハヤカワ文庫、p183-184)

内容も、なるほどそういうものかと感心させられるものだけれど、何より「腹に銃弾を撃ち込まれたクマたちのように、力なく世間をはいずり回っている」という、たまらなくcomicalな、そして、visual=目に見えるよう、という点では完璧な比喩。翻訳もすばらしい。


(原文と思われる文をwebでみつけたので)
“Novelists, in particular, drag themselves around in society like
gut-shot bears.”


もうシラケてる選手たち―ミス連続で完敗

2011-09-15 21:30:00 | 阪神タイガース
 ボテボテの新井さん。
 バタバタの岩田さん。
 ピヨピヨの若手“一盛り?円衆”。
 もっとも、もうベテランなのにピオピヨと同じ林ちゃんなんかもいるけれど…。

 そして、なあんにもようしない真弓さん。
 あれよ、あれよ…。

 結局ミスミス(美人のことじゃないですよ)、ミスの連続でみごとに自滅。

 もうシラケてる選手たち。
 代打の金本さんだけが、孤軍奮闘のホームラン(でも1点では勝てないの)。
 
 ドラゴンズに完敗。
 向こうはあんなに打てない選手ばっかりなのに、要するに監督で勝っている。

 タイガースの選手は踊らず。
 踊るはファン。
 人がいいね。  

真弓監督続投、まさか

2011-09-13 22:00:00 | 阪神タイガース
 阪神4連敗。
 この胸突き八丁で。

 スポーツ紙の報道では、球団の経営幹部は来年も真弓監督でいく方針だそうですが。
 しかし、真弓さん自身が居残ることができんでしょう。
 おめおめと。

 球団の経営サイドから見れば、真弓さんのような人が監督でいるのがいちばんいいんですけどね。
 チームは優勝できる力を持っていながら、監督は優勝をようしない。
 ファンは引きつけておきながら、選手の契約金は抑えることができますから。
 球団の収益は上がるわけです。

 それにしても、真弓さんんはあまりに力不足ですねえ。
 結局、後手後手で4連敗。
 ぜんぶ後手後手。

グランドデザインがない真弓さん

2011-09-04 21:28:00 | 阪神タイガース
 なんで最近、タイガースのこと書けへんのや、言われるんですけどね。
 監督が真弓さんではねえ。
 ゲームをどうしたいんか、そういう方針がまったくない監督さんでしょう?
 なるようにしかならんな、とファンもただ見てるしかないでしょう。

 9回までを見通しながらこの回はこうしたい、とそういうグランドデザインがほとんどない監督さんですからね。
 不利な状況に追い込まれたら、そこでチョコッと手を打つ。
 受け身の繰り返しですからね。
 いつも後手、後手。
 自分でゲームをつくれない。

 プロですからねえ、選手たちの調子がよければ、監督はなにをしなくても勝てるんです。
 監督はいなくてもいい。
 けれどみんなの調子がそろっていいことなんて、わずかな期間しか続かない。
 そういうときこそ監督の出番なんですが、しかしグランドデザインをもっていなければ、ほとんど置物同然です。
 いくらハンサムでもねえ。

 監督が自分のグランドデザインに沿って理想通りにやれるゲームなんて、じっさいのところ、1シーズンに3ゲームか4ゲームくらいだといわれています。
 けれど、優勝というのも、たいがい3ゲームか4ゲームくらいの差できまるんですね。
 けっきょく、監督の力量の差で決まることが多いんです。

 まっ、今シーズンのセントラルリーグの戦いぶりは、どこもどっこいどっこいではありますが。