しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

一発逆転ねらうゼニガタ太郎

2009-01-15 01:16:21 | セイジ
 首相の麻生さんは、きっとこう思ってんですよ。
 オレがせっかく現ナマをばらまいてやろうってのに、国民のバカはいったいなに考えてんだ、ゴチャゴチャいちゃもんつけやがって。
 けど、まあ、見てるがいい。
 春になって実際に万札を拝んだら、いっぺんに気持ちが変わるさ。
 やっぱり麻生さんは間違っていなかった、やっぱり麻生さんだ、小沢じゃあこうはいかない、って。
 けっきょく、国民はカネの力に、はいつくばるよ。
 …ってね。

 あのひと、そう考えて、今の逆風をじっと耐えてんですよ。

 さて、麻生さんのこのもくろみ。
 当たるか、外れるか。
 つまり、ぼくら日本の国民は、やっぱりウワサどおりバカなのか、それとも予想外にかしこいのか。

 一発逆転をゼニにかける、ゼニガタ太郎の運命やいかに。

麻生銭に国民の批判…お金が泣いている

2009-01-13 23:25:40 | セイジ
 金をやるからオレに従え、という麻生首相のバラマキ政策に、国民の批判が高まってきました。
 なにか、やっぱり、とてもうれしい気持ちです。
 日本人は、このような時代にも、心の底では誇りを持っているんだと、しみじみそんな感じがするんです。
 古代ローマの市民たちは麻生さんのような政治家のやりくちに乗って、けっきょく滅びていきましたが。

 金で頬(ほお)をはたかれて、それにはいつくばるようでは、日本人もおしまいですものね。
 2兆円ものお金ですよ。
 税金ですよ。
 賢く使ってもらわないと。

 小泉さんの悪政で、大株主などの大金持ちは大もうけをしましたが、その一方で、派遣ギリにあって寝るところもないような人がおおぜい出ているんですからねえ。
 こんなときに、税金を首相の人気取りに使うなんて…。
 国民が身を切って納めている税金ですよ。
 お金が泣いてますよ。

ドゥルーズ/ガタリ

2009-01-11 22:40:19 | 引用
 「これをしろ」、「あれをするな」といった父親から息子への指図は、息子が人格の一点に受ける小さな死刑宣告と切り離せない。(「千のプラトー」 宇野邦一ほか訳)

                *
 現代の親たちは、子供の「人間としての存在」にあまりにも鈍感ではないでしょうか。むしろ社会全体が人間の根源的な在り方に、粗雑ではないでしょうか。思考を深くする日本人になりたいものです。

一字違い

2009-01-11 02:22:15 | 言葉
 雪女と雪男って、たった1字違うだけでねえ。
 ずいぶんイメージが違いますねえ。

 一方は、ほっそりとして、ほとんど透明で、もう消えてしまいそうで。
 もう一方は、デカくて、毛むくじゃらで、ドカドカと音が聞こえそうなほど濃くて。

 一方は、怖いほど美しくて。
 もう一方は、笑えそうなほど無骨で。

 一字違いで大違い。

大阪のオバチャン 1

2009-01-10 01:08:52 | ノンジャンル
 ぼくのママは大阪のオバチャンです。

 大阪のオバチャンはたいがい気が大きいことを自慢します。
 ぼくのママも「うちは男みたいに気が大きいんや」とよく言います。
 ぼくは気が小さいので、それを聞くたびに、おまえは男のくせにアカンなあ、と言われているみたいな気がして、ちょっとチンコがちぢみます。

 じっさい、そう言うだけあって、人間をこわがるようなようすはまったくありません。
 バスの中でも、電車の中でも、うどん屋に入っても、となりにいる人に気楽に話しかけます。

 自分が話しかけたらこの人はぜったいに喜ぶはずだ、と一点の曇りもなく信じているみたいです。
 唇の横に大きなホクロのある人に「そこにホクロのある人は、喋るん好きやいいますなあ」なんて、平気で言います。
 ぼくは心臓が止まる思いです。
 うどんが喉につまります。
 またチンコがちぢみます。

 けど、あれは気が大きいということではなくて、ズブトいということではないでしょうか。
 ことばに誤解があるんではないでしょうか。
 ママを見てると、どうも疑問が深まります。


希望

2009-01-09 09:30:16 | ノンジャンル
 地球規模で経済がむずかしくなっています。
 まだそれほど表面化していませんが、国と国との対立、民族と民族の対立も深刻になってくるかもしれません。
 第二次世界大戦はまさしくそのような背景で勃発しました。

 考えれば、将来は不穏です。
 最悪の場合には資源をめぐってに世界的な軍事衝突に進んでいくかもしれません。

 でもぼくは希望が欲しいですから、こんなことを考えるのです。
 
 それぞれの民族のなかで最も賢明な人はいまどんなことを考えているのだろうか、と。
 韓国なら韓国の民族、中国なら中国の民族、ロシアならロシアの民族、そのなかで最も道理をわきまえた人はいまどんなことを考えているのだろうか、と。
 北朝鮮にだって、明るい目を持った人はいるはずです。
 その人はどんなことを考えているのだろうか、と。

 その人は政治の中枢部にいる人とはかぎりません。
 経済の中枢部や文化の中枢部にいる人ともかぎりません。
 社会的にはまったく無名の人かもしれません。

 けれど、その人は自己の国のこと、民族のこと、そして人類全体のこと、世界全体のこと、宇宙のことを真剣に考えているだろうと思うのです。
 自分ひとりのことや、自分の民族や自分の国のことばかりを考えているのではないと思うのです。

 そしてそういう人がどの民族にも間違いなくいると思うのです。

 それが人間の不思議なことだし、すばらしいことだと思うんです。
 希望があるような気がするんです。

めでたくないけど、おめでとう

2009-01-05 02:14:54 | ノンジャンル
 おめでとうということに、正直いって微妙なしらじらしさを感じます。

 心に重いものを引きずりながら、社会の慣習に沿うことによって、ひとまず自分にも他人にもあまり大きな傷を負わせることなくこれで軽やかにだまし合えると、いわばこれでやわらかくだまし合ってそれで周りのみんなも気がそこそこ楽になると、そういう思いでおめでとうの挨拶を交わしたひとも多いでしょう。

 少々複雑な精神の構造ではありますが、まあ、そういう二重三重の気分が流れるところで、みなさん、まずは、おめでとうございます。
 苦闘の時代の潤滑油としての挨拶ですね。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 とりわけたったひとりでこのお正月を過ごされたかた、そのように孤独に寄り添いながら新年を迎えられたかたに、これは心を込めておめでとうを申し上げます。

 正真正銘おめでとうと心から言い合えるような賢こい国にこの日本列島をつくりかえていきましょう。
 小泉さんや竹中さんがむちゃくちゃにしてしまったこの国を。
 人を使い捨ての道具のように扱うこの国を。