しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

粗暴になる女たち

2016-01-03 21:21:00 | 社会
 三宮の地下鉄前の停留所でね、中年の女性がバスに乗ってきたんです。
 ぼくの前を通りしなに、なにか硬いものの入った紙袋をぼくのひざ頭へしこたまぶつけていきましてね。
 痛いのなんのって。
 「すみません」とひと言あるにはありましたけど、まあ、言っとけばいいんでしょ、という感じのね、ひとつも心なんかこもってない、おざなりの、ね。
 前のほうの席が空いてたもんですから、早くそこへ行かなきゃあと、もう頭がそれでいっぱいなんですね。
 いいコートを着ていて、一見上品な雰囲気だったんですが、かんじんの身のふるまいのほうは、すこぶる粗暴。

 このあたりの気配りになると今は男のほうがこまやかですね。
 やっぱり多くのひとの中で自分の立ち位置を磨いていくからなんでしょうか。
 総じて男のほうが美しい。

 
 女性が男と同じ社会的権利を主張するのは当然のことだと思いますけど。
 そこは応援してますけどね。
 けど、社会的マナーは、せめて男と同じくらいには身につけておいてほしいですね。 

原発廃止に希望?…電力小売りの自由化

2015-11-01 20:24:00 | 社会
 来年の4月から電力の小売りがすっかり自由になるでしょう。
 これまでぼくら個人の家庭の電気は、いやでもおうでも大きな電力会社(近畿地方だと関西電力)から買うほかなかったのですが、これからは新しくできる小さな電力会社からでも買えることになるわけです。
 電力会社を切り替えるのも、思っていたよりずっと簡単になるそうです。
 となると、原子力発電の廃止にも、ひょっとすると新しい希望が出てくるかもしれませんね。

 関西電力などの大電力会社は原発の再開にいまだに強くこだわっていますが、新しく出てくる小さな電力会社はむろん原発の発電なんかはしないでしょう。
 だとすれば、原発に反対のひとたちが、自分たちの思いを貫こうとすれば、その新しい会社から電気を買うようにすればいいわけです。
 それで一か月の電気料金が何千円も高くなるようでしたら、切り替えにはちょっと踏み切れないかもしれませんが、何百円かくらいの差におさまるようでしたら、自分の良心を大事にして、そっちを選ぶのもそんなに難しいことではないでしょう。

 福島のような原発災害が起これば、東京都民だって間接的に加害者になるわけでしょう。
 若狭湾の原発群にもしものことがあれば、ぼくらも関西電力の電気を買っているかぎり間接的な加害者になるわけで、コーヒー一杯分か二杯分の節約でそういう危険をまぬかれるものなら、それは賢明な選択になるはずです。

 「原発の電気を買うか、非原発の電気を買うか」
 来年4月からは、それが電力会社を選ぶ場合の新しい基準になるでしょう。

 もし新しい電力会社が、非原発ばかりでなくクリーンなエネルギーによる発電にさらに大きな努力を払うなら、それはかつてない大きなセールスポイントにもなるのではないでしょうか。

 「きれいな電気で、きれいな暮らしを。やさしい電気で、やさしい暮らしを」
 そんなキャッチフレーズはどうでしょう。

 大電力会社のほうは、原発を継続してそれで電気料金を安く保っていけば、消費者はこっちにつく、とタカをくくっているようですが、大衆をそのようにただ金で動くだけのもののように見続けていていいものでしょうか。

奇妙に似ている二つの動き…神戸山口組と大阪維新の党

2015-08-30 19:57:00 | 社会
 暴力団の世界と政治の世界で、よく似たことが並行して起こっています。
 ちょっとおもしろい現象です。

 暴力団のほうでは、日本最大の組織の山口組から神戸や大阪などの関西勢が飛び出して、神戸山口組というような新しい組織を作ろうとしているということです。
 いっぽう政治のほうでも、全国組織の維新の党から党の看板だった橋下徹さん(大阪市長)たちが飛び出して、大阪維新の党といった新政党を作ろうとしているということです。

 神戸とか大阪とか、頭に地域の名を載せただけではないかといえば、それはそうなんですけれど、これ、けっこう微妙な意味が読めるんです。

 
 神戸という都市と山口組との間には、なかなか濃厚かつ微妙な関係がありまして。
 話は敗戦直後の1945年ごろにまでさかのぼっていきますが、そのころの神戸というのは、まあ、混乱のきわみにあったわけでして。
 なにしろそれまで威張りかえっていた大日本帝国の警察がすっかり威信を失って、機能マヒに陥ってしまっていましたから。
 神戸に住んでいた朝鮮人や中国人の一部のひとが、戦争中はひどい差別に苦しんできましたから無理もなかったんですが、街で勝手放題をやりだして、それでも警察は手をこまねいてただ傍観しているだけという、そんな状態だったんです。
 警察官の目の前で乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)が起こっていても、見て見ぬふりをしていたっていいますから。
 ひどい目にあうのは一般市民。
 どんな仕打ちにあっても、もっていくところがない。
 けっきょくは泣き寝入り。
 そんなときに、市民を守ったのが山口組の親分衆や一般組員だったんです。
 かれらが警察官に代わって、それこそ体を張って市民を守ったんですね。

 いまではもう想像できないことですが、三代目の田岡一雄組長は、それこそ市民から英雄とみられていました。
 それどころか警察もかれを頼みにしていたようで、あるときなど田岡組長が一日水上署長になって、神戸港を巡視艇で視察したりもしてるんです。

 十年ちょっと前までは、山口組への恩義を語るお年寄りがまだぼくの周囲にもいましたよ。
 神戸の大震災のときなども山口組は被災者への救援物資をせっせと運んでいましたが、なかでも婦人たちが、女性の生理用品まで配ってくれたのはあそこだけだった、と振り返っていたのはとても印象的でした。
 いまでも故田岡組長のことは田岡さんと特にサンづけで呼ぶひとがほとんどです。

 そんなことを知らない若い世代にとっては、もう遠い昔の話としても。

 まあ、そんなわけで、神戸と山口組との間には、ほかの地域では考えられないような濃密かつ微妙な関係があるんです。
 それが大きく様変わりを始めているのが昨今です。

 現在の組長(六代目)の司忍さんは名古屋の弘道会の出身です。
 もう神戸の市民とは直接のつながりはありません。
 今回の分裂劇も司さんが組の中枢部(ちゅうすうぶ)を弘道会の出身者で固めてしまった、それが原因だといわれています。
 神戸や大阪など関西勢がそれに反発して、ついに離脱を決めたというんです。
 もちろんそのような内部の事情はぼくら一般の市民にはなんの関係もありません。
 ただ、田岡さんが亡くなってから、ほかの都市あるいはほかの地域の実力者たちがどんどん組の幹部に入ってきて、それだけ山口組が神戸の市民から遠い存在に変わってきた、そのことはこの街に長く住むひとならだれもが感じていることです。
 生前の田岡さんは、罪のない一般市民には決して迷惑をかけるなと配下の組員に厳しく命じていましたが、そんな市民と組の暗黙の約束ごとももう薄れてしまったようですし。

 
 ほかの都市ほかの地域との温度差というのは、なかなか溶け合わないもののようですね。

 
 離脱組の中心に神戸の山健組がいるというのも、あんがい市民との間にミゾができてしまうことへの危機感が、どこかで働いていてのことかもしれません。
 暴力団という、言うところの反社会的勢力が、それでも社会で生き抜いていくうえでは、市民と陰で交わし合う微妙なシンパシーこそが大きな資産なわけですから。

 さてもうひとつ、橋下さんの大阪維新の党ですが。
 橋下さんの離脱の原因となったのは、幹事長の柿沢未途さんとの対立が厳しくなったからですが、やっぱりここにも地域の温度差が読めるんです。
 柿沢さんは東京が選挙区です。
 東京スタイルの政治にとっぷり浸かってきたひとです。
 今の大阪の野性的な熱さを理解するのはちょっとむずかしいでしょう。

 先の大阪都構想にしても、東京から見れば、反対派が住民投票で勝利して、都構想はそれで消えたと、その結果が残っているだけです。
 都構想はもうこれで終わったと、そう見ているひとが多いでしょう。
 けれど、大阪ないし関西で見ていたものには、たったあれだけの短期間に、賛成派が反対派をあそこまで僅差に追い上げた、そのダイナミックなプロセスが大きく記憶に残っています。  
 もう一度住民投票を行ったら今度は勝つのではないかと、そういう予感さえ漂っているのです。

 維新の党は国会での勢力を広げるために他の勢力との連携をめざしてきました。
 それが一定の成果に結びついたことは確かですが、政治改革を急ぎたいという大阪の情熱はかえって希薄になりました。
 橋下さんが維新の党を離脱して、あらたに大阪維新の党を構想する背景には、大阪の濃度をいしづえにした濃厚な運動を再度くわだてたいという強い思いがあるはずです。

 政治にしろ社会にしろ、新しい状況へ向かう動きはしばしば関西で生まれてきました。
 今度はどんな展開になるのでしょう。

 ただ暴力組織の再編には常に血を血で洗う抗争が伴います。
 その点が予断を許さないところです。 

古村先生のひと言…憲法の日に

2015-05-03 13:15:00 | 社会
 中学3年の社会科の担当は古村先生でした。
 どちらかというと単元をたんたんと教えていくクールなタイプの先生でした。
 その先生が一度だけ気持ちを表ににじませて語られたことがありました。
 憲法がテーマに出てきたときでした。
 このように言われたのです。
 「前文と第9条、この二か所は空(そら)で言えるようになってもらえると、ぼくはとてもうれしいね」

 瀬戸内海に浮かぶ小さな島の学校でした。
 漁業と農業と造船業が産業で、まだ大半の生徒が中学校だけで学業を終え、その多くが就職列車で大阪へ旅立っていきました。
 憲法などまったく遠いところにあるもので、ほとんどの生徒が聞き流しただけだったと思います。

 ただ、旧海軍の基地があった呉から転入してきた生徒がぼくの友達仲間にいて、どういうわけかかれが本気で前文から暗記しはじめたものですから、ぼくもつられて憶えました。
 通学の小さな巡航船に乗るたびに、教科書の資料のページを開いては、何度も読み返して憶えました。

 憲法の前文と9条の戦争放棄の条文が試験に出てきたことなんかまったくありませんでしたから、それで得をしたことは残念ながらついになかったというわけです。
 けれど、大学に入って憲法と正面から向き合うこととなったとき、いつのまにか日本国憲法の核心部に深くなじんでいる自分に出遭って、すこしばかり驚きました。

 憲法の草案を書いた中心的な人たちが、アメリカ政府の官僚たちというよりも、むしろ理想主義を担ったアメリカの若い研究者たちであったこと。
 かれら研究者たちが、自分たちのめざす人類の普遍の理想をこの憲法に入れるために、労を惜しまず献身的に働いたこと。
 それら憲法成立の背景もこの大学時代に知りました。

 おそらく古村先生もそうしたことをすでにご存じだったのでしょう。
 日本一国のことを超えて、世界の理想としてこの憲法を起草した、それら若い学究者たちと同じところにおられたのだと思います。
 その理想と、そしておそらくは誇らしさがあってこそ、あの日、ぼくたちにあのように率直に思いを語られたのではないでしょうか。
 ご自分が信じる希望をそっとぼくたちにたくされたのです。

 いかにもぼくたちの憲法は世界の未来を描き出している世界のかけがえのない財産だと思います。
 この国にこの憲法があることで世界のどれだけの人びとがこの地球を生きるにあたいする惑星とみているか、それははかりしれません。
 この憲法にはまだまだすることがあるのです。
 簡単に死んでもらってはこまるのです。

 そんな古村先生のことをふと思い出したきょう5月3日、憲法記念日なのでした。 

牛どん値上げ

2014-12-11 09:48:00 | 社会
 吉野家の牛どんがまた上がるんですね。
 300円から380円に。
 30%近い、べらぼうな値上げです。
 デフレの象徴といわれていたのが、一気にインフレの象徴になりました。

 でも吉野家なんて、まだほんの序ノ口ですよ。
 いろんな物価がこれからどんどん上がります。
 首相のアベさんが、物価を上げると公言しているんですから。
 アベさんはなにもごまかしているわけではない。
 「わたしはインフレーション政策をとる」と、もう何度も言っている。
 企業も商店も大きなオスミツキをもらってますから、大きな顔で値上げができる。

 そのアベさんが、今度の選挙ではもう間違いなく大勝するそうです。
 世論調査からそういう結果が出ている。
 国民というのはわからないものですね。
 自分の首を絞めるようなことを喜んでするんですから。

 えっ?
 物価が上がって、企業がもうけて、景気がよくなれば生活がよくなる、ですって。
 あなた、洗脳されましたな。
 だって、この春のわずかなベアも、もう吐き出してしまったひとがずいぶんいるじゃないですか。
 カタチだけもらって、ナカミはしっかり奪われる。

 ヒトラーは言ってますよ。
 国民は小さなウソにはガタガタ言うが、大きなウソには簡単にだまされて、なにも言わない、と。

いい男だったのに…

2014-06-18 21:13:00 | 社会
 ひどい男がいるものです。

 三ノ宮駅前のダイエー地下の生鮮食料品売り場で買い物をしていたんです。
 夕方の七時前で、売り場はかなりの混雑でした。
 その混雑の中を若い男が走ってきました。
 その男がぼくの横を走り抜けざま、食品の入ったカゴをどんとぼくの腕にぶつけたのです。
 勢いがついていたものですから、ぶつかったときの痛さときたら。
 骨が砕けたかと思いました。

 こちらはウーッとうなったきり、そこに立ちつくすばかりです。
 男の姿は混雑にまぎれてもう見えません。

 なんとか痛みをこらえて家に帰ってきましたが、調べてみると、上腕のところがすりむけて赤い身が出ていました。
 下着の上にワイシャツを着て、さらにその上にチョッキとブレザーを着けていたのです。
 四枚もの着物を通して下がすりむけているのですから、よほど大きな力でぶつかっていたのでしょう。
 今も腕の角度によっては痛みが出て、引き出しをあけるようなことができません。
 打ち身と同じですから、あしたになればもっとひどい痛みになると覚悟しておかなければなりません。

 それより心配なのが内出血です。
 ぼくは心臓の手術をしたあと、ずっと血液がサラサラになる薬を飲んでいて、内出血がなかなか止まらないのです。
 二か月ほど前にも、腰でふいに内出血を起こって、こぶし二つ分くらいにはれ上がりました。
 あすの朝ぶじに起きれることをただ祈るばかりです。

 サラリーマンふうの男でした。
 背が高くて、顔立ちもなかなかよくて、スーツをきりっと着こなしていました。
 そんないい男がこんな仕打ちをして、逃げていくんですからねえ。

子供たちに成長障害―原発災害

2011-11-08 19:09:00 | 社会
 福島原発の放射能汚染地域では、はやくも子供たちの成長に障害が出始めているということです。
 屋外で十分な運動が行えないということが一つ、そして重い精神的なストレスに耐え続けているということが一つ、そのために成長に急ブレーキがかかっているのだそうです。
 身長や体重に数字の上でもはっきりとした影響が出てきているということです。
 「子供が以前ほどものを食べたいと言わなくなった」と語っている母親もいるのです。

 イギリスでは産業革命の時代に、子供たちまで生産活動に動員されて、その結果、年少者の間でも成長障害や疾病、事故死など不幸な出来事が相次ぎました。
 産業優先、金儲け優先、そこから来る人間性無視によって、子供たちに大きなひずみがかかっていく、その構造は昔も今も基本的には同じだといえるでしょう。

 東京電力のエリートたちは、そんな原則的なことはとうぜん大学で十分に学んでいるはずです。
 頭のなかでは、しっかりわかっているわけです。
 では、いま目の前で起こっているそんな子供たちの悲劇を、心ではどう思っているのでしょう。
 知りたいですね。

もう逃げ場はない、知恵を―原発災害

2011-07-24 22:18:00 | 社会
 牛肉の放射能汚染で騒いでいますけど。
 でも騒ぎかたが変ですよね。

 汚染牛肉さえ封じ込めたら、それで肉は安心だと、政府もマスコミもそんな言いかたしてるでしょう。
 けれど、それって、考えかたが逆ですよね。
 表にあらわれてくるのは、いつも氷山の一角。
 あれだけの牛肉から出るようだと、汚染はすでにはかりしれない規模で広がっている。
 そう考えるのがふつうでしょ?

 一億を超える国民が住む小さな列島の国ですよ。
 食材の流通速度はすごいものです。
 体のどこかが毒蛇に噛まれたら、猛スピードの血流に乗ってたちまち毒が全身に広がっていく、あれと同じことですね。
 一億の国民が毎日毎日胃に入れている食べ物と飲み物を全部検査するなんて、そんなことどだい不可能でしょう。
 検査の届かない圧倒的な領域で、もうぼくたち国民の全員が、せっせと放射能を摂取している。
 常識的に考えたら、そんなこと、なんなくわかることでしょう。

 放射能の拡散は気象条件によってとても流動的に動きます。
 ところが気象ほどわからないものもまたとない。
 地域ごとの微気象なんか、てんでわかっていないんです。
 無限に変容しますから。
 要するにカオス理論の世界です。

 無限は文学者には夢ですが、科学者には悪夢です。
 正確な方程式が作れない。
 政府や電力会社の発表するデータで、ぼくらの頭の中にはついなにか固定的なイメージがつくられますが、それはもうほとんど幻想です。
 自然はそんなおとなしいものではない。
 無限に暴力的で、無限に繊細。
 極大と極小の間をめまぐるしく揺れ動く。

 安全基準といったって、だいたいこうだろうというだけで、確実なことはわかっていない。
 ましてや個人個人では放射能の感受性も違いますから、ほんとうのところ影響はわからない。
 明らかになるのは30年後。
 個々人の肉体に異常が現われて、ようやく、ああ、これがあのときの原発災害のほんとうの結果なんだ、と。

 要するに、ぼくたちが、子供の世代や孫の世代に残す、これが最大のプレゼントだというわけです。
 
 これがぼくたちが今、現在進行形で共有している原発災害というものです。
 じっさいのところ、大騒ぎしてもぜんぶ手遅れ。
 もう逃げ場はありません。
 これがそうなんだと肝をすえて今後のエネルギー政策に取り組むほか、もう未来への道はないでしょう。
 国民全員が頭と心をクリアにして、知恵を働かすときなのです。

関電にかみついた橋下知事―原発問題

2011-06-12 21:36:00 | 社会
 大阪府知事の橋下さんが関西電力にかみつきました。
 関西電力社長の八木さんが「原子力発電所の休止がこのまま続くとこの夏は電力不足に陥るので、すべての顧客に15%の節電を要請したい」と発表したのに対して、橋下さんは「15%の根拠がわからない。原発を止めたらこうなるぞとほのめかして、原発の再稼働へ人々の考えを誘導しようとしているとしか思えない」と強い拒否反応を示したのです。

 橋下さんの言うとおりだ、と思いました。
 橋下さんはいま国民の大半が心の中で疑っていることをスパッと言ってくれたと思います。

 だいたい東京電力の計画停電(ケイカクテイデンなんて、言葉自体がウサンくさい変な造語です)にしてからが、国民をドウカツするような陰湿な空気がありました。
 たぶん東電の首脳たちは、被害がここまで深刻になるとはまだ考えていなかったのです。
 原発がやがて再運転にこぎつけられるだろうと考えて、その前に反原発の風潮をたたいておこうと、おそらくそんな下心があったのです。
 で、ちゃんとした準備もせずに、計画節電なるものをぶちあげた。
 原発が止まったら、こんなことになるんだゾ!

 それに首相の菅さんまで乗せられて、今から考えるとお笑い草の、あの官邸からのおおげさな「停電発表」。
 けっきょく、場当たり的な東電の策謀で、日々、計画なるものの無計画ぶりがさらけだされて、首都あげてのあのドタバタ混乱劇。
 
 関電の八木社長の言い方にも、いまなお国民の切実な危機感からはずいぶん遠い響きがあります。
 橋下さんらが作ったせっかくの下からの節電計画(5~10%)は歯牙(しが)にもかけず、オレたちに従え、という高圧的な態度。
 トノサマのような気持ちで思うままに経営を続けてきた独占企業のごうまんさです。

 それに、今は狙いがとにかく原発を守るというところにあるものですから、市民の声に繊細な心を働かせる気などはじめからないのです。
 市民の声を聞けば聞くほど、原発の廃止へ流される、そういう危惧(きぐ)も関電首脳にはあるでしょう。

 でも、まあ、橋下さんも一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない人ですからねえ。
 今の姿勢をどこまで貫くかは、疑問符がつきますけれど。

 しかしとにかく現時点では、ふつうの首長ではなかなか言えないことをめざましく言ってのけたわけで、見上げた知事であることは確かです。
 多くの国民が溜飲(りゅういん)をさげたことでしょう。
 
 ヤッタゼ、ベイビー。
 できれば、ベイビー、もっとヤッテよ。

地球と5円コイン…ある希望

2011-05-15 21:07:00 | 社会
 ナイロビ(ケニヤ)の貧民区にある小学校での出来事です。
 一年生のひとりの児童が日本円にして5円くらいのお金を先生のところに持ってきました。
 日本で起きた大きな津波で苦しんでいるひとに届けてほしい、というのです。

 事情をのみこんだ先生が、で、このお金はどうしたの、と少年にたずねました。
 すると、かれはこう答えたのでした。

 ぼくは毎朝、ママからこのお金をもらって、家を出るんだ。
 学校へ来る途中のお店に寄って、これでいつもパンを買う。
 それがぼくの朝ごはん。
 でも、きょうは、日本のひとたちのためにぼくもなにかできないかと考えて、そうだ、これを役に立ててもらおうと思いついた。
 それで、先生にお願いすることに決めたんだ。

 この話を聞いて、ぼくはあやうく落涙しそうになりましたが、同時に、地球の全重量と少年のこの5円硬貨がまったく等しい重さなのを感じました。
 むしろそうはっきりと確信しました。

 今度の震災で、世界の国々からたくさんの支援のお金が届けられていること、これはぼくにはとても大きな驚きです。
 それも、圧倒的にそれらの国々のごくふつうの庶民のかたがたが動いてくださっているのです。
 
 ぼくたちが、多少の疑問と徒労感をまじえながら続けてきた海外援助が、実はそれぞれの国の庶民にしっかり受け止められていて、それが津波を機会にあらわれたともいえるでしょう。
 民間のボランティアの地道な海外活動が、深いところで認められていた結果だと、そのようにもいえるでしょう。
 でも、そのようにはっきりと理由づけられるものだけでは覆(おお)いつくせない、なにか広大なものの動きがあるようにも思えます。

 ぼくたちがもう価値がないものだと思っているぼくたちの内なるものが、世界のひとびとの内なるものと共鳴し、感じ合い、大きな力となって爆発現象を起こしているように思えてならないのです。

 内なるものの相互爆発…。

 ということは、ぼくらにはひとつの責任が課されたことでもあるのではないでしょうか。
 底の深い庶民の心が集中的に集まった国は、その庶民の心の美と力と潔さを証明していかなければならないのではないか、ということです。
 ぼくたちの今の感謝と確信をもとに、未来を切り開いていかなければならないのではないか、ということです。

 希望が見えてきたといってもいいような気もします。
 犠牲者たちの膨大な命と引き換えに。

 そういう国づくりがあっていいのではないでしょうか。