しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

死なないでと叫びたいが―小3児の自殺

2010-08-22 19:45:00 | 社会
 小学校3年生の女児が、首つり自殺ですよ。
 学校はあいまいなことしか言いませんが、責任のがれにきゅうきゅうとしているようにしかみえませんね。

 ぼくも小学校の6年生のときに高槻市にも近い吹田市に転校して、ひどいいじめに遭(あ)いましたから、少女のことが他人事ではないんです。
 学校も手を焼いているフダツキ少年の横に座らされましてね。
 イケニエです。
 彼は好きなだけぼくをいじめられますから、もうほかのこどもたちには手を出さない。
 学校全体がそれで安泰(あんたい)なわけですよ。
 担任の教師は自分のくわだてが功を奏したわけで、むろん見て見ぬふりをしている。

 毎日のように泣かされていましたね。
 ぼくは、これは自分の弱さが悪いんだと、そういうふうに思ってますから、恥ずかしくて親にも言えない。
 死にたい、と思いました。

 もう50年も前のことですけど、これだけはきのうのことのように思い出します。

 ちなみに、そのときの担任教師はやがて教育委員会のエラいさんに抜擢(ばってき)されて、吹田市の教育界のけっこうな顔になった、と後年になって聞きましたが…。

 学校の生活はそのうち終わるのですから、どうか、死なないで、と大声で叫びたい思いにかられますが、死ぬこどもの心も痛いほどわかります。

母親を待って、待って―2児の死

2010-08-15 22:00:00 | 社会
 わずか3歳と1歳のふたりのこどもをマンションの部屋に1か月以上も捨ておいて、餓死するにまかせた若い母親は、私のことをこどもたちは恨んでいると思います、と語っていますが、こどもたちは恨んでなんかいなかったでしょうね。

 母親を待って、待って、呼んで、呼んで、いつかじぶんたちのところに来てくれるだろうと思いつづけて、信じつづけて、そうして弱って、とうとう死んでいったことでしょうね。

 母親を恨めたら、まだしも救いになったでしょう。

 捨てられたことなど考えすらしないで、ただただ来てくれると信じつづけて、もう泣く力もなくなって死んだのです。

 小さな体が、そんな大きな孤独のなかで死んだのです。

 ぼくらが何を言おうと、わけ知り顔の人々がどれだけ言葉を使おうと、ふたりとぼくたちの間には決して越えられない大きな壁があります。

 ふたりの闇のほんとうの深さを知ることは、ついにぼくらにはできません。

 闇の手前で、ぼくらには結局なにもできません。

 なにかできると思うのは、じぶんは傷つくこともなく安全に生きているものの傲慢(ごうまん)です。

現代のウバステ山―消える長寿者

2010-08-08 21:43:00 | 社会
 100歳を超す長寿者のうち多くの人が行方不明だというんでしょう。

 だいたいが70代や80代や90代でもう分からなくなっているということですから、70歳くらいから詳しく調べなおすと、行方不明の高齢者はとほうもない数になるんじゃありません?
 住民票だけが残っている亡霊が、ずいぶんと徘徊(はいかい)している。

 なかには高齢者の年金が目当てで死亡を隠しているような、生きている人間の欲で生かされている亡霊もあるようですが、本人がふらっと家を出たまま分からなくなっている、というケースもずいぶんと多そうで。

 家庭そのものが高齢化してしまって、追跡する気力が家庭から失われてしまっている、そういう状況もじゅうぶん想像できますね。

 ある日、フゥーッと消えていく高齢者。
 現代のウバステ山は地域社会そのものの中にひそんでいる。

なんという大きな闇―幼い姉弟の死

2010-08-01 21:46:00 | 社会
 まだ3歳の姉と1歳の弟の幼いふたりがねえ。
 ママ、ママ、って泣き通しながら、死んでいったんですからねえ。
 鍵のかかったマンションの小さな部屋で、2か月近くも泣き通しながらですよ。
 その母親に見捨てられて。

 どんなに寂しく、どんなに不安で、どんなに飢えに苦しんだか。
 死のそのときまで、尽きることのない恐ろしさが毎日、毎日つづいたんですからねえ。
 2か月近くもですよ。
 泣いては、泣きつかれて眠り、また泣いては、泣き疲れて眠り…。

 たまりませんねえ。
 こんなことが幼いこどもに本当に起こるなんて。

 母親の無責任を追及するのは簡単ですけどね。
 そんなことをいくらしても、それは生き残っているぼくたちの単なるアリバイ捜しでしょう。
 いくら言葉を使っても、死んだ姉弟の恐怖や苦痛には届かない。
 ふたりの孤独には届かない。

 なんという大きな闇でしょう。

 こたえますねえ。