しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

オッ、あれはオレのこと―道化座「おやじ」

2007-08-28 17:41:32 | 演劇
 批評のまねごとのような仕事を長年にわたってしていますと、体の中にある癖(くせ)のようなものがたまってきます。
 たとえば演劇の舞台を見るとして、すると物語の中に浸(ひた)るというより、つい作品の良し悪しを計量するような、そんな外部者の立場に身を置いてしまうのです。
 しかもそこは比較的安全なゾーンです。
 そういう観察者の立場にいるかぎり、どんなシーンが目の前に現れても、心がグチャグチャになるような、そこまでの危険に身をさらすことはまずないといっていいでしょう。
 どんな事件でも、それはちょっと他人事で終わるのです。
 ところが、あまり安全でない夜を味わうはめになりました。
 オッ、これはオレのことだ、とそう思って少なからず身を引く構えになりました。
 劇団道化座が兵庫県立芸術文化センターで上演した「おやじ」です(8月25日)。

 「おやじ」は中国の劇作家・申捷(シェン・ジ)さんが2001年に発表した現代中国の物語です。
 はじめはタカをくくって見ていました。
 どっちにしても海の向こうの話です。
 急成長する巨大都市に住む富裕な父子、そして時代から遅れた僻村(へきそん)に住む貧しい父子、この二組の家族をめぐって、対比的に話は進んでいくのです。
 地理的にも社会的にも日本とは事情が違います。
 今の中国を知るうえでこれほどいい機会はないですが、そんなに急激に大金持ちになる父親はぼくらの周りにいませんし、そこまで貧乏な父親もそうめったにいるものではありません。
 あくまで中国の出来事です。
 
 中国の出来事でした。
 そう。デシタ、です。
 少なくとも劇中の父親が息子との微妙な心の溝をせりふの中に暗に含ませるまでは。
 息子との間に起こったささいなことに、父親がふと寂しい表情を浮かべるまでは。
 そして、それにもかかわらず、いぜん息子たちのことが好きで好きでたまらない、父親たちのその控えめな心の動きが舞台にこぼれ出るまでは。
 あっ、あれはオレのことだ。
 グサッと突き刺さってきたのです。
 その瞬間、ぼくはもうこれが中国の演劇だということをすっかり忘れていたのです。

 そうだった、オレもおやじだったのだ。
 なぜか少し恥ずかしい思いをしながら、ぼくはそのことを反芻(はんすう)しました。
 息子が生まれてからこれまでの実に長い年月が体にあふれてきたのです。
 ぼくは劇中の父親ほど貧しいわけではなく、もちろん豊かでもないですし、使う言語も違えば住む環境も異なりますが、にもかかわらず劇中の父親の戸惑(とまど)いはぼくの戸惑いだったのです。
 彼らの悲しみはぼくの悲しみになりました。
 彼らの喜びはぼくの喜びになりました。
 涙がじわっとにじんできました。
 批評者の矜持(きょうじ)からいえば、これはいささか安っぽい涙です。
 こんなに簡単に泣くなんて。
 くそっ。
 しかし。
 しかし、です。
 
 批評、なんか、クソったれ。
 クソったれ、です。
 もう、このさい。 

 国境を越え、民族を越えて、父親とはちょっと哀しく、ちょっと寂しい存在です。
 どっちが本当でしょう?
 民族の異質性と、父親の同質性の…。

 ともあれ向こうでも父親のあり方を懸命に考え、探っているのです。
 申捷さんの台本はその真剣さをあかします。
 こちらでも同じことにみんな迷っているのです。
 同じ心の断層がむこうとこちらを深く走っているのです。
 
 同じことを向こうでもこっちでも一生懸命考えている。
 そう思うと、だらしなく涙を浮かべながらのことですが、少し明るみがみえました。

                      ☆
 劇団道化座公演「おやじ」は翻訳・叢林春、演出・須永克彦。出演は須永のほか仲比呂志、浅川恭徳、宮内政徳、馬場晶子、吉安愛、阿曽修三、松本学、三宅幸雄。


内なる神戸―米田定蔵・とみさわかよの2人展

2007-08-21 18:59:53 | 美術
 神戸を撮り続けているベテラン写真家の米田定蔵さんと中堅の剪画(せんが)作家のとみさわかよのさんが2人展「神戸・まちかどの光陰」を元町通4丁目のこうべまちづくり会館ギャラリーで開きました(8月16日~21日)。
 なににつけても、これでもか、これでもかと過剰な表現が目立つ昨今ですが、そんな表層的な流行や熱狂には距離を置いて、どれも堅実な、むしろストイック(禁欲的)といってもいい明快でハードな作品が並びました。

 写真についてはもうなにも前置きは要らないでしょうが、剪画についてはまだ少し説明が必要かもしれません。
 黒い紙にカッターナイフで切り込みを入れ、切り込んだところを白く抜いて、その白と黒の鋭いコントラストで表現を繰り広げていくのです。一般には切り絵といったほうがわかりいいとは思いますが、それをあえて剪画と呼ぶのは、芸術的な創造性をより強く意識して制作に取り組みたいと、そのような思いを込めてのことのようです。

 米田さんの写真は静かです。震災で倒壊したビルを撮っても静かです。神戸という都市は日本の近代化のトップランナーだっただけに、ヨーロッパから導入した様式建築の豪奢なストックがありましたが、多くが震災で失われることになりました。ファサードをギリシャ神殿のような美しい列柱で飾った新古典主義的な建物も、もう復活のすべもありません。神戸の景観を愛してきた市民には慟哭(どうこく)のきわみです。けれど、そんな場合でさえ、米田さんが写したその残骸と瓦礫(がれき)の山は静かです。感情を抑え、そこにあるものをあるがままに受け止める、そのカメラ哲学を貫徹しているからでしょう。人びとはその崩壊の冷徹な記録の前で、みずからの奥からあふれてくるみずからの悲しみに浸るのです。

 とみさわさんの剪画作品もまた同じように静かです。北野界隈の数々の異人館、繁華街へ下りていく急な坂道、街角の彫刻、元町の商店街…、それらがカッターナイフの鋭利な刃先でそこに再現されますが、油彩や岩絵具の風景画と根本的に違うのは、建物であれ、樹木であれ、道であれ、対象が常に一次元の一本の線に還元されて表現されるということです。色彩も黒か白の両極へ強く収れんしていきます。徹底的に引き算の世界です。余計な感情はどんどん削(そ)がれていくのです。現代美術はアクションペインティング、ハプニング、パフォーマンス、そして大掛かりなインスタレーションへと、表現の強度をひたすら増幅してきたような趣がありますが、これら激情の洪水のなかで、抑制された作品は爽快(そうかい)です。作家がみずからの感情を控えたそのぶん、見る人それぞれがみずからの“内なる神戸”をそこに映して、至福の時と出遭ったともいえるでしょう。


NEC社製パソコン「VALUESTAR」の故障日記その2

2007-08-18 18:49:08 | パソコン
 ▼8月18日 ▽18:30 テレビ画像で野球(阪神―広島)を観戦中、突然故障。起動もスローで、回復まで15分間のロス。▽20:30 阪神―広島の大詰め8回裏に来て故障。
 ▼8月23日 ▽11:30 起動時、ユーザー名をクリックしたところで故障。とにかく反応も鈍い機種なので、改めて起動するのに30分のロス。▽12:15 ようやく文章の作成に入ったところ、まもなく機械がキコキコいいはじめて故障。このたびはパソコンが自動的に再起動。ロス15分。▽13:30 文作成中に故障。再起動―故障―再起動―故障を繰り返して30分のロス。▽18:00 野球中継を見るためにテレビ画像を出すが、故障、再起動を1時間ばかり繰り返して、映像が出たのはゲームも4回裏になってから。
 ▼8月26日 ▽10:00 起動不調、30分もの時間ロス。
 ▼8月29日 ▽11:00 10:30から文章を書き始めて半時間で故障。自動的に再起動。文章の一部が失われる。
 ▼8月30日 ▽21:00 テレビ画面で野球観戦中、大詰めの8回裏になって故障。
 ▼9月6日 ▽15:30 14:30ごろから記事を作り始めて、佳境に入ったところで故障。

 ※このパソコンは熱の放出システムに欠陥があるようで、通気孔に扇風機を当てながら使うようになってから、以前に比べ故障の回数は何十分の一にも減ったのですが、それでも完全に正常にはならないようです。

 ▼9月11日 ▽19:00~21:00 テレビで野球中継を見るも、10分おきに故障するような有様で、ほとんど観戦不能。まあ、タイガース惨敗で、どうでもよかったですが。
 ▼9月12日 ▽11:00 起動時にエラー連続。見たくもないNECのロゴマークばかりを拝ませられる。いいかげんな機種を市場に出しておきながら、オレ様は天下のNECだと威張っているようで、頭に来る。40分もロスしてようやく仕事にかかれた。
 ▼9月13日 ▽11:00 起動不調。仕事を始めるまでに半時間ものロス。
 ▼9月15日 ▽11:10 10:00から仕事を始めて11:00過ぎに部屋のクーラーを切るのに合わせてダウン。うんざりして放っておいたら、10分ほどで自動的に再起動(文章は一部消失)。しかし11:50に再びダウン。
 ▼9月18日 ▽10:30 マカフィーの更新をダウンロード中にインターネットを開こうとしますと、よく故障を起こします。複数のプログラムを並行して実行するのが苦手のようです。▽11:15 文章作成中のダウンです。文章が失われました。▽11:30 再起動するも、またダウン。結局、午前中は仕事にならず、2時間のロス。

 ※NEC社はよくもこんなひどいパソコンを恥知らずにも市場に出したと思いますよ。社名で信用してしまったボクが馬鹿なわけですが。

 ▼9月21日 ▽14:50 起動に繰り返し失敗して、実際に作動するまでに半時間もロスすることが、もう当たり前になりました。NEC社が売り出した恥知らずなパソコンです。
 ▼9月29日 ▽10:00 8:20ごろから仕事を始めて、1時間半ばかりたったところで故障。うんざりして放っておくと、再起動―エラー―再起動―エラーを3回ばかり勝手に繰り返して、半時間ほどでもとに戻る。
 ▼9月30日 ▽18:00 起動にべらぼうな時間がかかります。起動の最中にエラーが起こり、再起動の最中にまたエラーが起こり、再々起動の最中にまたエラーが起こるという有様です。とうとう40分も要してしまいました。▽20:45―22:00 作業中に断続的にエラー。1行書いては上書き、1行書いては上書き、とまるでもう原始的な対策法で対処。しかし1時間ばかりで最終ダウン。フリーズ。電源切ってやり直し。

花になったこどもたち―江川バレエスクール公演

2007-08-16 16:03:14 | 舞踊
 こどもたちがワッと出てくる舞台というのは、2階席から見下ろして楽しむのがサイコーです。
 舞台全体がお花畑のように見渡せます。
 赤や青や黄色やピンクや…、ほんとうに江川バレエスクールのステージは、色とりどりのお花畑のようでした。
 神戸文化ホールで開かれた53回目の発表会でのことでした(2007年8月11日)。

 こどもたちのための今年のプログラムは「さくらさくら~祭り」です。
 タイトル曲の「さくらさくら」をはじめ「しゃぼん玉」「茶摘み」「われは海の子」「たなばたさま」など6場構成の創作です。
 バレエの舞台というのは鋭いジャンプやスピーディーな旋回やスリリングなバランスでしばしば雰囲気を盛り上げますが、このようなしっとりと落ち着いた日本の曲でエレガントに、端正に、軽やかに踊り通すのもいいものです。
 チュチュとトウシューズの“舞い”が、まるで昔からこういう踊りのジャンルがあったように、花や風や海の情景を晴れやかに繰り広げていくのは見事でした。
 これは振り付けを担当した太田由利先生と田中英子先生、そして指導にあたった泉敦子先生と宮崎みき子先生の、さすが、と感嘆させられる感性と技量です。

 それにしてもこどもたちひとりひとりの、あの美しさはどうでしょう。
 発表会というとだいたいは、「大目に見る」という空気が舞台にも客席にも暗黙のうちに漂います。
 すでにすばらしい技量を発揮する少女たちがいる一方で、ようやく幼児と呼べるようなそんなこどもたちも出るわけですから、その心の幅は当然です。
 けれどもこのバレエ学校のステージのすばらしさは、すべての点でその心の幅をずっと先へ超えることです。
 ひとりひとりがまるで美神の申し子のようにこれ以上ない最高の輝きを放つのです。

 ああ、こどもたちを教え導くというのは、ほんとうはこういうことなんだ、と思いました。
 一輪一輪のバラの花を丹精込めて育てるように、先生がたが体じゅうの心と体じゅうの技術をこどもたちひとりひとりにそれこそ全力で注いでいる、そのことが舞台にありありと出ているのです。
 それは美をこの地上に現すためのすさまじい情熱とさえいえるでしょう。
 70年超の歴史を持つこのバレエスクールのそれが伝統なのでしょうか。
                  ☆
 第53回江川バレエスクール発表会ではほかに深川秀夫さんの振り付けによる「スワニルダの結婚(コッペリアより)」が先生たちの出演で上演されました。また同スクールの出身で、新国立劇場バレエ団のソリストを務める湯川麻美子さんが創作舞踊「Digves Amic―愛しい人よ 教えておくれ」を初演しました。なおこの湯川作品については、個別の批評記事「黒のダンス」を本ブログの姉妹編「Splitterecho」Web版に掲載しています。Web版はhttp://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/


死神のいけにえ―セールスマンの死

2007-08-05 23:28:03 | 演劇
 アメリカの劇作家アーサー・ミラー(1915―2005)が「セールスマンの死」を書いたのは1949年のことですが、日本では1970年代の初めになってもこの作品の内容はまだいくらか遠い国の出来事だったような気がします。

 主人公のウィリー・ローマンはセールスマンで一旗揚げようと猛烈に働きますが、まあ、家のローンに縛られながら平凡な日々を送るという一般的なサラリーマンの水準から抜けられないまま、六十代に入ります。
 やがて経営者が代わるとともに、にべもなくリストラされてしまうのです。
 人に好かれ、まじめに働けば成功するはずだと、そんなふうにウィリーはまだアメリカン・ドリームの哲学を信じていて、その夢を息子にも吹き込みますが、息子もまた過重な親の期待に苦しんで、父に反抗しながら自分も崩れていくのです。
 会社でも家庭でも行き場を失ったウィリーは、二万ドルの保険金を家族に遺すことをせめてもの自分の最後の仕事として、自殺を遂げてしまいます。

 これがブロードウェーで上演されてピュリッツアー賞に輝いたとき、日本ではまだ戦後のドサクサが続いていて、この作品に関心を持ったのは一部の専門家だけでした。
 しかしさすがに60年代にもなりますと、日本でもすでに民藝が滝沢修の好演で上演を重ねていたこともあったりして、アメリカ同様に現代劇の古典の地位を築きます。
 とはいえ、給与所得者の失職・自殺・保険金というこの絶望の三項構造は、高度に資本主義が進展したアメリカにこそ現れる、いぜんとして特殊な悲劇に見えていました。
 日本ではまだ演劇上の、いわば観念的な出来事にとどまっていたのです。

 しかし2007年のこの夏、大阪の演劇プロデュース集団ぐるっぺ・あうんがこれをあらためて上演したのを見て、それがじつにいま、圧倒的な現実味で迫ってくるのを感じました。
 ここ数年、日本の自殺者は毎年3万人を超えるのです。
 関西では鉄道が「人身事故」の名で毎日のように乱れていますが、これはむろん飛び込み自殺によるものです。
 ウィリーの死はいまやまったくわたしたちの死なのです。

 ただウィリーの孤独な死とわたしたちの時代の死とが違うのは、今日のわたしたちには統計を介して死の構造がはっきりととらえられるということです。
 鉄道線路を死屍累々(ししるいるい)の光景に化している今日の死神の徘徊(はいかい)は、近年の政権の弱肉強食の政策と見事な並行関係を示すのです。
 政治が死神を招きよせ、国民をそのえじきにささげているのです。
 ウィリーもまた実は殺されていたということを、わたしたちは今ありありと知るのです。
                  ☆
 「セールスマンの死」は2007年7月12日に吹田市のメイシアターで上演されました。
 なおこの舞台の評を本ブログの姉妹編である「Splitterecho Web版」のCahier(カイエ)に掲載しています。関心をお持ちのかたはどうぞ。Web版は http://www16.ocn.ne.jp/~kobecat/