しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

闇のトイレでうろたえました

2010-11-28 23:00:00 | 都市
 加古川市の市民会館へ行ってきたんですがね。
 びっくりしましたねえ。
 トイレで、ナニしてる最中に電灯が消えたんです。
 キバってるまっさいちゅうに、とつぜんパッとね。
 うろたえました。

 親しくしてくださっている舞踊家が、伝統の作品や創作の作品を発表しましてね。
 見にいったんです。
 舞台は面白かったんです。
 とりわけちっちゃい子が、あれはもう天性の千両役者ですね、みんなのお株をひとり占めにしちゃったりして。
 爆笑、また爆笑…、とにかくかわいい。

 で、見てる最中に、急におなかがもよおしてきましてね。
 トイレに行ったってわけなんです。

 ぼくは足が悪くて、洋式でないとダメなんですが、洋式のは奥の二室。
 で、いちばん奥のほうに入って。
 ヤレヤレ。
 まあ、なんともいえない安らぎの気持ちですね。
 ごぞんじでしょう、あの至福のひととき。

 そりゃあ、上着をかけておくフックが中にないのには、ちょっとびっくりしましたよ。
 ぼくはズボン吊りを使ってますから、爆撃にかかるときには、どうしてもジャケットとその下のセーターを脱がねばならない。
 でも、かけようと思って、ドアの裏側の、ね、目の高さの少し上のあたり、あそこんところに見たんですが、ただのっぺりと白いだけ。
 突起がどこにもない。

 考えれば、まあ、これが最初のうろたえでしたが。

 けど、ないものはどうしようもないわけで、仕方がないから、水洗の水を流すときに押す取っ手、その取っ手の上にジャケットとセーターのふたつをなんとか重ねて。
 落ちてくれるな、と祈りながら。
 けっこうこわいですよ、あれ。

 まあ、そんなこんなで、ようやくのことコトに臨めたわけなんですが。
 
 ところがです。
 爆撃も佳境というところで、トイレの電気がなんのことわりもなく消えちゃった。
 真っ暗、いきなり。
 ほんとに真っ暗。
 いちばん奥の個室ですし。

 あんな真っ暗、ほかのところではちょったない。

 停電かな、と思ったんですがね。
 でも聞き耳を立ててみると闇を通ってかすかに舞台の音楽が聞こえてくる。
 ああ、そうか、節電なんだ。  

 しかしねえ、いくら節電てったって、公共施設のトイレまで消しますかねえ。
 ペーパーも手探りですよ。
 水洗の取っ手も手探り。
 ぼくは上着も取っ手に掛けてましたから、変なぐあいに動かすと、ポケットのものがずべり出てこないともかぎらない。
 そおっと、そおっと。

 それに、なんか、とてもみじめな感じ。
 トイレの個室の闇のなかでオロオロしてる姿なんて、いくら密室の中っていったって、この大の男ですからねえ。
 闇の中だから哀れな姿がいっそうくっきりと浮かんでくる。

 トイレって、ふつうでも人間の尊厳をおかす何かがありますが、これはもう決定的。
 
 で、マア、なんとか出ましてね。
 出て、出口に近い薄闇のなかで手を洗ってますと、案の定、勝手にともるんです。

 それでもまだなにか偶然のことが起きたのかなあという思いがあって、むろんヒマな人間のやることですが、外でまたしばらく見てたんですが、やっぱり少したつと消えるんです。
 女子の方も同時に消える。

 確定的なことを言いきるにはまだ材料不足とは思いますけど。
 きょう一日(日曜日)だけのことだったのかもしれんですけど。

 でも、想像どおり節電だったとしたら、平和な町だからできるんでしょうね。
 大都市であれをやったら、そのうち間違いなく性犯罪が起こります。 

中露の攻勢の裏にアメリカ?

2010-11-21 17:20:00 | セイジ
 国民のなかにこれまでにない気分が生まれています。
 尖閣諸島で中国から攻勢をかけられ、北方四島でロシアから攻勢をかけられ、南北から挟撃(きょうげき)されているような気分です。
 中国がけしからん、ロシアがけしからん、と息まく人も出てきました。
 だからアメリカが大事なんだ、と声を高める人も出てきました。

 ですが、国際問題というのは、ちょっと広い目で見ないと本当の姿を見誤ります。

 想像されているように、これは中国とロシアが共同で、もしくは暗黙の目配せで仕掛けたことでしょうか。
 むしろ、中国とロシアだけで仕掛けたことでしょうか。

 むろんすべては推測です。

 ですが、この両国の攻勢で今いちばん得をしているのはどこかと考えますと、少し違う構図が見えてきます。
 中国とロシアはそれでも現実の行動に踏み出すことで、経済や政治の面で多少のリスクを担うことになりました。
 しかしまったくリスクを負わず、利益だけを得ている大国があるのです。
 アメリカです。

 前鳩山政権のもとで、沖縄の米軍基地の問題が流動化し始め、アメリカの対アジア戦略、ひいては世界戦略に不透明な要素が出始めていました。
 しかし、中露の攻勢によって、日本の反米感情は一気に冷めてきたのです。
 むしろ米軍基地の存在(プレゼンス)を再評価する風潮さえ出ています。
 アメリカの世界戦略はこれで当面ゆらぎは修復されそうです。

 さて、国際社会を見る上で重要な理論のひとつに、「ゲームの理論」というのがあります。
 もとはアメリカの学者ジョン・フォン・ノイマンが1940年代に言い出した理論で、当初は経済活動に応用が試みられました。
 要するに、どうしたらゲームに勝てるか、という設問から出発して、そこで得られる思いがけない「正解」を、現実の政治や軍事にも押し広げて優位に立とうというものです。

 では、そのゲームの理論とは?
 サイモン・シンさんのベストセラー「フェルマーの最終定理」のなかに格好の例題が書かれています。

 A,B、Cの三人の男が銃で決闘することになった。
 Aは銃の名手、Bは並みの腕、Cはまったくヘタ。
 それで、まずCが撃ち、次にBが、そして最後にAが撃つことになった(最後の一人になるまでそれを繰り返す約束である)。
 じゃあ、最初の撃ち手となったCは、だれを狙えばいいか? 
   
 答えはこうです。

 Cはだれにも弾が当たらないように空へ撃つ。

 すると次のBは当然いちばん怖いAを狙い、それが失敗すれば今度はAがBを狙うでしょうから、Cはそれだけ生き残る確率が高くなるというわけです。

 そこで最初の中国とロシアと日本とアメリカの関係に戻りましょう。

 つまり、アメリカは中国とロシアへごく控えめなメッセージをそれとなく送るだけで、みずからの戦略を実行できたということがわかるでしょう。
 中国とロシアへ、おたくたちが日本の南北の島に何かちょっかいを出したとしても、わたしんとこには動く気はないからね。
 まあ、公式的には、ひとまず正論を言うことになるかもしれませんけど。
 …と。
 しかもこれはもう、まさしくほんの目配せでいいのです。

 あくまで推測ではありますが。

 ただもう一点、アメリカの将軍たちのなかには、とりわけこの「ゲーム理論」の信奉者が多いということもついでに付け加えておきましょう。 

それでいいのだ、尖閣ビデオ

2010-11-13 20:03:00 | セイジ
 尖閣海域の事件の「機密」ビデオを神戸の海上保安官がインターネットに流しました。
 「国家機密」をもらしたという疑いで取り調べを受けています。
 けれど彼の地元のここ神戸では、圧倒的に彼の行動をほめる声が多いように思えます。
 少なくともぼくが会ったひとの中で彼を非難したひとはたったのひとりもいませんでした。
 
 ぼくもまた、彼のようなひとがいるのはいいことだと思っているうちのひとりです。
 「国家機密」がこういう形でもれてくるのは、今の日本がまだ健康な面を持っているそのあかしだと思うのです。

 でも、彼を支持する人々のおおかたの意見とは違うかもしれませんが、菅内閣がビデオを機密にしようとしたその判断も、そんなに悪いことだとはぼくは思っていないのです。
 菅内閣がビデオを事件の直後にストレートに出していたら、それは国民の憤激を最大限にあおることになったでしょう。
 日本の国民と中国の国民の対立は一気に沸騰点にまで高まって、両国民の間に抜き差しならない溝ができたのではないでしょうか。

 日中の全般的な関係のなかにあって、尖閣はあくまでもその一部だということを忘れてはなりません。
 両国の経済(貿易、投資、金融)、政治、防衛、外交のすべてをその一点に巻き込んでしまうような、そんな全般的な問題ではないのです。
 ひとまず事件を機密扱いにすることで、国民がそのことに思いをいたす冷却期間をかせげたこと、それは確かなことでしょう。
 そしてそれは、中国の政府に対しても、日本の政府がこの問題を慎重に扱おうとしているというメッセージとなって伝わったはずなのです。

 菅内閣の対処法はあまりカッコよくはありませんでしたが、まあ、のらりくらり、よたよたと、最善の策をとったと、そうぼくは考えているのです。

 そして、ビデオをインターネットに流した海上保安官もまた、彼の立場で最善の策をとったといえるでしょう。
 彼が事前におこなっていた読売テレビへの説明では、海上保安の巡視船艇が現場でどんなに厳しい任務にあたっているか、それを国民に知ってもらいたい、という強い思いがあったようです。
 海の男たちの強いきずなを考えれば(ちなみにぼくの父親も商船の乗組員だったものですから、よくその気持ちがわかるのです)、仲間が命がけで遂行した仕事を、そのときどきの政治の都合で闇に葬られてはたまらない、とそう思ったのも当然のことでしょう。

 そしてそれは、事実を知りたいという国民の欲求(知る権利)とピタリと一致したのです。

 結局、政府は政府としてやるべきことをし、保安官は保安官としてやるべきことをした、というふうにぼくには考えられるのです。
 圧倒的多数の国民であるぼくたちは、ただそばから見ているだけで、大きな見えない果実を得たというわけです。
 今の日本の社会にまだ健全な要素があると、そうぼくが言いたいのはそのようなわけからです。

 要するに、ソレデイイノダとぼくは言いたいということです(バカボンのパパの著作権侵害?)。

 ただ、滑稽だったのは、一部の国会議員がその「国家機密」なるビデオのほんの一部(時間にして六分あまり)を見せられて、なにか、こう、さも重大なものを見てきた顔をしていたときに、何百万という国民がインターネットでほぼ全貌(四十分)を見知っていた、とそういうことがわかったときの、議員さんたちの呆然とした表情でしたが、それは、まあ、一幅の戯画として…。

縄張りにこだわるユメ様

2010-11-07 20:25:00 | 猫の町
 わが家のねこ様のユメはおかしいんです。
 部屋と部屋を仕切るドアを閉めるとうるさいんです。
 にゃあにゃあとしきりになくんです。
 ねこ語で「開けろ、開けろ」と訴えているんです。

 家のなか全体がじぶんの縄張りと思いこんでいるらしくて、それが分断されると不安になるか怒りをおぼえるかなんですね。
 以前に飼っていた黒ねこのチャチャマルなんか、息子が休暇で家に帰ってきて子供のころから使っていたベッドで寝ると、そこにわざとおシッコをしてました。
 いつもよりくさいおシッコをするんです。
 ふだんはそこでじぶんが寝ているものですから、ここはおれの場所だ、って主張するんですね、そんなふうに。

 でもねこのことだといって、笑ってばかりおれませんね。
 人間がホモ・サピエンスに進化して、長い長い歴史をつくって、この21世紀の文明を築いていても、まだ縄張り意識はねこと同じように消えませんものね。
 領土問題ってのは、要するに、二つとか三つとか四つとかの民族の縄張り争いなんでしょう?
 資源の問題とか、政治の問題とか、制空権の問題とか、制海権の問題とか、いろんなことをむずかしい論理を組み立てていいますが、結局のところ、底にあるのは。
 ねこ並みですね。

 ちゃいます?