しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

悪魔の正体―理趣経

2009-02-26 20:52:28 | 引用
 …釈尊は大地に手を触れて、大地の神に本当のことをいっているという誓いをたてます。
 インドでは、真実を語ることが悪魔を除く力があると古くから信じられてきました。
 ですから、釈尊のいっていることはみなウソであると悪魔がせめたて、悟りへの道を邪魔して自分たち悪魔を安泰にしようとするかけ引きがあります。
 「私のいっていることは本当だ」といっても「それなら証拠を見せろ」といって悟りを妨害します。
 そこで釈尊は大地に手を触れて大地の神に誓いをたてます。
 大地の神は絶対ですから悪魔は退散してしまう。
            (松長有慶著「理趣経」)

               *

 「理趣経」はとりわけ真言密教で重要視されている経典ですが、仏教の経典では珍しくセックスを宇宙の重要かつ清浄(しょうじょう)な営みと位置付けて、きわめて積極的に肯定しています。

想像力が踊ります―内田みき展

2009-02-19 19:47:15 | 美術
 内田みきさんの個展が神戸・ハンター坂のギャラリー島田で開かれました(2009年2月14日~19日)。
 新しい感覚の絵画です。

 アクリル絵の具の作品ですが、もともと平滑(水平)な画面が持ち味のそのアクリル絵の具で、なんと油絵のような厚いマチエールを作っていくのです。
 むろんアクリル独特の効果がくっきりと出て、とてもエッジの利いた鋭いマチエールが現れます。
 それも、すこぶる精緻(せいち)に作られていくのです。
 白を主体にした広く明るい空間の部分と、微細なマチエールで生まれた密度の高い形象の部分、そのふたつのバランスが絶妙です。

 それはサクラやフジの花の満開のようにも見え、海流のなかに浮かぶサンゴ礁の島のようにも見え、宇宙から見下ろす列島のようにも見え、つまり見るひとの想像力によって、いろんな物語がそこで展開するのです。
 自在に、伸び伸びと展開します。

 注目すべきは、まさしく素材(アクリル絵の具)が素材の姿のままそこに置かれて、そこに無限のビジョンが浮かび出てくる、素材と表現とのその“並行関係”です。
 静物や肖像や風景を描く具象画とは、むろん根本的に違います。
 けれど、心情や感情やあるいはなにかのイデーを表現する抽象画とも違います。
 具象画も抽象画も、絵の具(素材)を絵の具を超えるもの(表現)に仕えさせようとする点では、同じスタンスにあるのです。
 内田さんは、その従属関係をほどくのです。

 内田さんの作品は具象や抽象といった従来のジャンルでは、もう分類の不可能な作品だということです。
 それがこの画家の最も重要な特徴です。

 激動の続く美術界を象徴する作品ともいえるでしょう。
 少し時間をかけて、内田イズムの意味するものをちゃんと掘り下げてみたいと思っています(あらためて姉妹サイトのSplitterecho Web版に掲載するつもりです)。

 内田みきさんのサイトは http://miki-art.com/

スペインの大地を描く―徳永卓磨絵画展

2009-02-16 01:04:52 | 美術
 スペインの大地を40年にわたって描き続けてきた徳永卓磨さんが神戸・ハンター坂のギャラリー島田で個展を開いています。

 収穫の終わった広大な風景は、むしろ荒涼とした空気です。
 赤土が地平線まで広がっているのです。

 徳永さんの第一の故郷の神戸は、風化花崗(かこう)岩の上に出来た白い都市なのに対して、第二の故郷のスペインの町が、赤い農耕地帯というのも、ちょっと面白い対比です。

 今回は古い建物の重厚な扉の絵もたくさん並べられました。
 暮らしの深さが醸(かも)し出されています。
 
 2月18日まで。
 ギャラリー島田は http://www.gallery-shimada.com/

麻生さんは、われらが首相サマです

2009-02-08 10:20:17 | セイジ
 こんなに言うことがコロコロ変わる首相ではねえ。
 日本人でありながら、漢字もまともに読み書きできない首相ではねえ。
 マンガしか読まないで、それで社会がわかるとうそぶいている首相ではねえ(そういえば、マンガには難しい漢字がない)。
 新聞も読まない(読めない?)で、それを自慢げに言う首相ではねえ。
 結局、なんの政治哲学もなく、ただ権力の頂上に立ちたくて、それだけで官邸に入った、そんな、中身のない首相、では、ねえ。、

 100年に1度といわれる緊急時に100年に1人のアホウな首相が出来上がったのですから、歴史も皮肉ですねえ。

 でも、なんでもかんでも麻生さんひとりにおっかぶせるわけにはいかんでしょう。
 麻生さんのような人しか出せないような、そういういいかげんな自民党を政権の座に選んできたのは日本の国民なんですから。
 宇宙人の計略じゃあないんです。

 日本の国民が選んだ、その首相によって、国民が苦しんでいるのですから、これはジゴウジトクなんですよ。
 アホウな国民だから、アホウな人を首相に選んで、アホウな目にあうんです。

 エッ、あなたはあのとき選挙にいかなかった?
 しかし、行かなかったことで、あなたは自民党の勝利に加担したんです。

 自分たちがやったことで、自分たちがジタバタすることになってるんですから、なんの不思議もありゃあしません。

ドゥルーズ/ガタリ

2009-02-01 01:44:29 | 引用
 ホフマンスタールは自分自身に向けて、「ドイツ、ドイツ!」という指令語を放つ。再領土化の欲求であり、「憂鬱の鏡」にさえとらわれている。しかし、この指令語の背後に、彼はもう一つの指令語を聞く。あたかもドイツ的な古めかしい「形象」は単なる定数に過ぎなかったのであり、今や自然や生との、可変的であるからこそ、より深い関係を表そうとして消えてしまったようだ。
 (「千のプラトー」 宇野邦一ら訳による)
          *
 平易にいえば次のようになるでしょう。

 ホフマンスタール(ウィーン生まれの詩人、作家 1874―1929)は、ドイツよ! お前はほんとうは何者なのか? と問いかけます。そこにはドイツをなにか固定的な文化圏としてとらえたいという欲求が働いていて、鏡の中に憂鬱な自画像を覗くような趣(おもむき)さえあります。しかし、そこにはまた別の声の響きも聞こえるのです。これがドイツだと考えられている古くからのイメージは、実は表面的な固定観念でしかなくて、ほんとうのドイツは自然や生との流動的な関係の中にこそ生き生きと生き続けているのだ、と。

 ぼくらも、日本よ! お前はほんとうは何者なのか? と問うてみるときに至っているのではないでしょうか。
 アジアの東の端に浮かぶ数千年の島としてではなく、人類という数十万年の海流の中に浮かぶ島として。