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あれから25年。。。JAL123便墜落事故

2010-07-16 22:44:29 | 戯言

先週の日曜日、長引く夏風邪による体調不良と折からの荒天で、目的も無くネットサーフィンをやっていたところ、偶然“ボイスレコーダー ジャンボ機墜落20年目の真実”という動画(ドラマ)を見つけました。
そのショッキングな内容に思わず引き込まれ、一気に最後まで(約2時間)観てしまいました。
このドラマは、1985年8月12日に発生したJAL123便の墜落事故を取り扱ったノンフィクションで、2005年8月12日にTBSで放送されたものです。
http://www.youtube.com/watch?v=Gj_izP-UtJA&feature=PlayList&p=E54716737AED14E2&playnext_from=PL&playnext=1&index=17

 

お若い方の中には、この大惨事を御存じない方もおられるかも知れませんね。。。
1985年8月12日18:12に、大阪・伊丹空港を目指して羽田空港を飛び立った日本航空123便ボーイング747SRが、離陸から12分後の18:24にトラブル発生、32分にも及ぶ迷走飛行の末、18:56に群馬県多野郡上野村御巣鷹の尾根に墜落し、乗客、乗員521名が死亡した事故です。(生存者4名)
この事故は、単機の航空機事故としては世界最大の犠牲者を出した大惨事となりました。

当時、まめ八は大学4年生。夏休みで帰省していた実家のTVのニュース速報でこの事故を知りました。
翌日、TVに映し出された原型を留めぬほどにバラバラになったジャンボ機の姿と、無機質なアナウンサーの声で延々と読み上げられる犠牲者のお名前を聞きながら、涙を流しつつ底知れぬ恐ろしさを覚えた事を今でもはっきりと覚えています。

 

さて、ドラマの方は、墜落原因を圧力隔壁の修理ミスとした運輸省(現国土交通省)の航空機事故調査委員会の結論に疑問を持った一人のJALのパイロットが、地道な独自の調査によってその疑問を更に深めて行く中、焼却処分されようとしていた事故の調査記録やボイスレコーダーの音声を運輸省の内部告発で手に入れるまでの経過を描いています。
また、事故機の機長であった高濱雅己氏のご家族の苦悩や、マスゴミをはじめとする世間からの惨い仕打ちにも負けずに生きてきた姿も重要なテーマとして盛り込まれています。

 

犠牲となった521名の方々は、この事故にさえ逢わなければ1985年8月12日以降にもそれぞれ人生があり、そして、それぞれ大切な人たちと過ごす時間もまだまだたくさん残されていたはず・・・愛する人を失った遺族の深い悲しみ・・・
そして事故後の救助活動や遺体収容・確認作業にあたられた方々が経験した、忘れられないほどの極限状態・・・
そうした思いが一度にやってきて、ドラマを観終えた後、ひどく衝撃を受けて暫くはボ~ッとした状態でした。

この事故については、当時の報道や、事故後暫くして出版された本を読み、ある程度の知識はあったつもりだったのですが、そんなものは事件の上っ面に過ぎないことを思い知らされました。
絶望の中にあっても生きて帰りたいという乗客・乗員の願い。

愛する人たちとの再会を願いつつ遺書を書き綴った人たち。

死にたくない、怖いという恐怖。

この事故で亡くなった方々がその人生の最後に体験した余りにも壮絶な経験は想像もつきません。
そして、元気に“ただいまぁ~”と帰ってくるはずだった愛する人を突然奪われた遺族の方々の底知れぬ悲しみ。。。
少し思いを巡らせただけでも何とも表現し難い遣る瀬無い気持ちにさせられました。

 

また、操縦不能に陥った機体を何とかエンジン推力だけでコントロールしようと試みたクルー達のボイスレコーダーに残された声を聞きながら涙が出てきました。
“これはだめかもわからんね”呟いた高濱機長の気持ちは如何ばかりなものだったでしょうか?
それでも諦めることなく、トラブル発生から約30分にわたって操縦不能になった機体を操り羽田に戻ろうと頑張った姿を、残されたボイスレコーダーの声を聞きながら想像してしまいました。
しかし、クルー達の懸命な努力にも拘らず機体は墜落。。。墜落直前の高濱機長の“もうだめだ~”とも聞こえる最後の絶叫が耳から離れません。

さらに悲劇はそれだけでは終わりませんでした。クルー達のこれだけの英雄的な行為に対して、航空機に対する知識を殆ど持ち合わせていなかった一部のマスゴミが無責任な操縦ミス説を報道したのです。
その結果、2000年になってボイスレコーダーの音声が出回り、絶望的な状況の下で墜落の瞬間まで必死に頑張っていたクルー達の様子が明らかになるまで、15年間に渡って高濱機長の遺族は執拗な嫌がらせ、謝罪の強要、そしてマスゴミによる心無い取材を受け続けることになるのです。
しかし、現在に至るまでマスゴミからの正式な謝罪が為されたという話は全く耳にしませんね。(いつもの事ですが。。。)

 

あの壮絶な事故から今年で25年もの月日が経ってしまったのですね。
今年もまた8月12日がやってくると、遺族の方々はあの夏の日を思い出されることでしょう。
ただ、ドラマの中でも指摘されていましたが、この事故の原因については未だに究明されていない謎の部分がたくさんあるそうです。(例えば、圧力隔壁が破壊されているにも拘らず急激な気圧と気温の低下が全く生じていないことや、墜落現場を早期に知っておきながら動かなかった自衛隊、垂直尾翼等の機体破片が沈んでいるはずの相模湾の海底探索を事故調査委員間が早々に切り上げた事、等々)
この事故は、521名の尊い人生を奪い取ってしまいました。遺族の方々は、愛する人の命が何故奪われなければならなかったのかという正確な原因を知る権利があるはずです。
また、この事故で亡くなった方々の尊い犠牲を無駄にしないためにも、そして二度と再びこのような惨劇が繰返されないためにも、もう一度事故原因について再調査をすべきだと思います。

 

最後になりましたが、521名の犠牲者の皆様、並びに事故後の対応に苦しみ、自らの命を絶たれた日航職員の方の御冥福を心からお祈り申し上げます。


 

 

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

s-ryo [2010年7月16日 23:16]
こんばんは。

日航機墜落事故。私も鮮明に覚えています。
たまたまですが、事故に遭われた方たちの「遺書」の記録サイトを見て涙が止まりませんでした。
家族や大切な人に宛てた手紙。どんな気持ちで書いたかを思うと・・
あぁ、「たまたま」というか思い出しました。
以前、御巣鷹の慰霊の地が「心なきバカ者」によって荒らされているというニュースを見て、ネット検索で見つけたのでした。
何が面白くて、こういうことをするのか?
因果応報。悪行は必ず自分の身に降りかかってくる。
そういう事も判らない「バカ者」なのでしょうが・・
もうすぐ8月12日。犠牲者の方々のご冥福をお祈り致します。

まめ八 [2010年7月17日 22:30]
s-ryoさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

大雨の方は如何でしたか?
随分怖い目に逢われた事と思います。
謹んでお見舞い申し上げます。
ところで、御巣鷹の峰の慰霊碑に供えてあった千羽鶴や慰霊碑への悪戯は私もニュースで知っています。
恐らくこの事故の事をリアルタイムで知らない若い人の仕業だと思います。
こんなに悲惨な事故でも、時が経てば人々の記憶から消え去り、そして事故自体を知らない世代が増えてくる事はとても残念なことです。
遺族の方もそれが一番寂しい事ではないでしょうか?不本意な形で自分の人生を半ばにして奪われてしまった被害者の方々にとってもこの事故が風化し忘れ去られていく事は無念だと思います。
こういった大惨事が再び起こることの無いように、この事件が後々の時代まで語り継いで行くことが残された私達の使命ではないかと思います。
W650 [2010年7月17日 23:48]
こんばんわ!
あれから25年も経つのですね。
当時、私は小学生でしたが、幼ながら鮮明に覚えています。 どのチャンネルもこのニュースばかりで、搭乗者の名前が画面下に掲載されていましたね。
その後には愛知県の小牧空港(名古屋空港)で、中華航空機が着陸失敗で大惨事になったりもしましたね。 その時は無線で傍受していました。
その後も、大惨事こそありませんが、車輪が出なかったりするトラブルがありますね。
本当に、このような惨劇の無いように願うばかりです。
妻や妻のお母さんは国に帰る時、飛行機を利用するので、このような事故が起きないようにと願うばかりで、空港に着くまでいつも心配です。


さんじ18 [2010年7月18日 2:45]
この事故は覚えてます。
ニュース番組を見る限りでは、機長などクルーは悪くないようなコメントが多かったと記憶しているが、マスコミも無責任な発言と読み通りの展開をしようとするから事実を曲げてしまう。

この事故で坂本九さんも無くなり 北海道で放送していた「サンデー九」の番組が打ち切りになりました。
(障害を持つ人達の番組で この番組を見て障害者を理解するようになった)
にーなな [2010年7月18日 10:08]
おはようございます。
25年が経ったのですね。。
当時は学生でしたが、今でも報道が流れたときのことは鮮明に記憶されています。
時を経て、私も何回か飛行機を利用するケースに遭遇しましたが、快適で迅速な交通手段として有効なものです。常に安全な乗り物であってほしいと願っています。


きなこ [2010年7月18日 10:10]
おはようございます。
犠牲者の方の数が多くて衝撃の事件でしたよね、
でもまだ当時私は小学生だったのであんまり記憶がないですね。
それにしてもマスコミっていうのは本当にどうしようもないですね。
影響が大きいのにこんなに無責任なことはありませんよね。


まめ八 [2010年7月18日 21:45]
W650さん、こんばんわ。
コメントを頂きまして有難うございます。
W650さんは小学生だったのですねぇ。(なぜかちょっとショック。。。)
あれから25年も経ってしまった事をこのドラマを観て気が付いてしまいました。
あれだけ多くの犠牲者を出しながら、事故が風化して行くことはちょっと怖い気がします。
この事故以来、国内で発生した交通機関の大事故としてはご指摘の中華航空機事故と尼崎で発生したJRの脱線事故がありますよね。
こうした事故で亡くなった方々の犠牲を無駄にしないためにも、事故を風化させてしまうのではなく、徹底した原因究明と事故対策を常に忘れてはならないと思います。
ところで、無線傍受ってW650さんはアマ無線もされるのでしょうか?
まめ八 [2010年7月18日 22:01]
さんじ18さん、こんばんわ。
コメントを頂きまして有難うございます。

このJAL123便墜落事故では、坂本九さんもお亡くなりになってますね。伝え聞く所によると、坂本九さんはJALは事故が多いからということで、いつもはANAに乗られていたそうです。この日は友人の選挙応援で大阪に行かなければならなくなり、いつものようにANAを予約しようとしたのだそうですが、お盆前と言う事でたまたまこの飛行機に乗って遭難されたそうです。
その反対に、いつもはJAL123便を利用していた明石家さんまさんは、この日はたまたま番組収録が早く終わり、一つ前の飛行機に乗って助かったのだそうです。
人間の運命って本当にわからないものですね。
坂本九さんの歌声は、今でも時々耳にするととても優しく、聞いていて勇気を与えてくれます。
本当に惜しい人を亡くしました。
謹んで御冥福をお祈り致します。

まめ八 [2010年7月18日 22:09]
にーななさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

この事故が起こった時、私は大学生4年生の夏休みで帰省していました。その2週間後、よりによってJALの事故機と同型機で大学に戻らねばならなかった時の恐怖心は今でも鮮明に覚えています。
あれから25年。。。時は移ってJALも会社更生法の適用を受けるほどになってしまいました。
JALの経営不振も、この事故の影響が少なからずあるのかも知れません。
無事故・安全という公共交通機関として当然のセオリーを守れなかった企業としての結末なのかもしれません。

yut666 [2010年7月18日 22:20]
こんばんわ。
日航機墜落事故、私はこの事故によって私の勤める会社の社長を失いました。なのでこの事故は本当に他人事ではありません。
他にも私が好きだった坂本九さんが亡くなりました。今でも「見上げてごらん夜の星を」を聞くと涙がこぼれてきます。
それから、阪神球団社長も亡くなりましたが、その年阪神は怒涛の勢いで勝ち続け優勝を勝ち取りました。

もともと飛行機嫌いだった私ですが、この事故で更に嫌いになりました。でも今週末、日航機で北海道に帰省します。(・_・;)
まめ八 [2010年7月18日 22:26]
きなこさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

記事には書きませんでしたが、墜落事故が発生した直後に現場に入ったカメラマンの中には、散乱したご遺体を無神経にも写真に撮りまくった挙句、その写真を写真週刊誌にそのまま掲載して発売しているのですよ!しかも、救助された女の子の病院に担送される姿を強引に割り込んで写真まで撮っています。(馬鹿げた事にそのカメラマンは特ダネ写真を撮ったということで伝説になっているそうです)
松本サリン事件では被害者である河野さんを犯人扱いにして報道していますよね。
JR福知山線の事故の時にも現場上空を取材ヘリが飛び回り、生存者の確認に大きな支障になったばかりか、周辺住民は取材による騒音で夜も寝られなかったと聞きます。
まだまだ挙げればキリが無いほどマスゴミによる人権無視はありますが、いつだって謝罪は一切無し。。。
“表現の自由”と“国民の知る権利の代弁者”を振りかざし、強大な権力を持つに至ったマスゴミは何らかの法的な規制が必要だと思います。
まめ八 [2010年7月19日 9:26]
yut666さん、おはようございます。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

この事故でyut666さんの会社の社長さんがお亡くなりになられていたとは。。。25年前の事ではありますがお悔やみ申し上げます。
実は、私の高校の先輩もフライトアテンダントとしてこの機に乗っていて殉職されています。
521名もの死亡者を出した事故ですから、身の回りには縁故者がいても不思議ではないのですが、改めてその犠牲者の多さに背筋が寒くなってきますよね。
坂本九さんは、NHKの人形劇“里見八犬伝”のナレーターで私達の世代には知られていました。
享年42歳だったそうで、これからの益々の活躍が期待されていただけに惜しい方をなくされたと思います。
この事故以来、日本の航空会社で大きな事故は起こっていません。521名の方々の尊い犠牲の賜物と言って良いのではないでしょうか?
yut666の快適な空の旅をお祈り申し上げます。
EP82-SW20 [2010年7月21日 23:19]
こんばんは。
このドラマ、20周年特番だったと思いますから、多分私は見ています。
2000年まで非難されていたような表現があったかは記憶にありませんが、少なくとも機長の奥さんが「おてんとう様をまともに見ることができない」ような辛い状態を長い年月過ごされていた事は、そのドラマで初めて知りました。
「整備ミスによる圧力隔壁の破壊」(本当は「設計ミス」だったけど「整備ミス」と言う事にされた、と言うようなドラマも有った気がします)であり、「シミュレーターで再現飛行をしたところ、挑戦した全パイロットが墜落してしまった。」という事実が早い段階で公表されていた気がしましたから。
この事故以来、飛行機に乗る事が嫌になりました(^^;)。

ちなみに、私自身は関係者ではありませんが、一度慰霊に訪れています。(名前クリックでその記事に飛べます。)


まめ八 [2010年7月22日 20:40]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

過去記事、読ませていただきました。
EP82-SW20さんがこの事故について、それ程関心を持たれていたとは知りませんでした。
本当に気が合いますよね~。
私も関東地方に住んでいたならきっと慰霊碑に一度は花を手向けに行ったと思います。
この事故は、たくさんの方がお亡くなりになったにも拘らず、事故原因の究明についてはどこか後味の悪いものがあります。
高濱機長の操縦ミス説は、トラブル発生の直後、羽田に戻るためのルートとして、なぜ遠回りになる右旋回を指示したのか?という事、右旋回せずに左旋回の指示を出しておけば海上に出たはずだから山に激突しなくて済んだという事、そして、ボイスレコーダーに残された高濱機長の“どーんといこうや!”という言葉の意味を曲解した事等から一部マスゴミ関係者が唱えたものです。
(続きます)
まめ八 [2010年7月22日 20:41]
続きです。。。

今は、これら操縦ミス説の全てが素人の浅知恵である事が解り、クルーの判断と対応がその置かれた状況下で最善の選択であったことが解っていますが、それが完全に否定されるまでは機長責任論がささやかれ続けたそうです。
自分達以外の人権侵害については、事件をでっちあげてまで煩く報道するのに、自分達の人権侵害には頬被りを決め込む日本のマスゴミはやはり屑でしかないと思います。


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