songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

鈍感力(勘違い)が人を成長させる

2007-05-13 04:07:25 | Weblog
一転して最近の質疑から。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2853714.html
で、偶然私は、昨年あたりから話題に上がった「鈍感力」という言葉を、半ば思いつきで使いました。すると、質問者の方が、この言葉に反応してくださいました。

その後、私は改めて自分が使った言葉のことを考えてみました。残念ながら、不勉強で、まだその本は読んでいません。

上に挙げた質疑のことを含め、ああ、確かに今、俗に言う「鈍感力」は、大事なのではないのかなあ、と、切実に思うようになってきました。
主に二つの側面からです。

一つ目は、私自身の記憶です。
私は、今でこそ子どもたちに歌の手本を示したり、録音して記録したりしていますが、客観的に考えて、自分が子どもだったころは、お世辞にも上手だったとは言えないレベルでした。
ただ、歌っていると気分がよかったし、何より私は、「自分は歌がうまい」と勝手に勘違いしていました。
元気に歌っていると、それなりに先生たちは励ましてくれるので、うれしくて、もっと歌います。私の場合はさらに「恥知らず」がひどく、学校帰りの道などで、誰も一緒に歩いていないときは、大きな声で好きな歌を歌って歩いていました。沿道のご家庭には、さぞご迷惑だったことと思います。「大都会」ぐらいのシャウト系を、無伴奏で高校1年ぐらいまで歌っていましたので。

ただ、そうしているうちに、だんだん自分の声の音感の悪さなどに気づいてきて、直すようになってきます。そして、今まで目いっぱい声を出していた分、声は鍛えられてきます。

もしもあの頃、自分を客観的に見ることをしていたら、絶対に人前で歌うような人生は歩んでいなかったでしょうし、音楽の楽しみを体得することも、絶対なかったでしょう。自分なりに音楽の力を伸ばすことができたのは、「自分は音楽が得意である」と勘違いしたこと、誰もその私に水をさすようなことをしなかったため、実際の姿に気づくことなくやってこられたことによるのです。

もうひとつは、これに矛盾するような、今の自分の仕事についてです。

私だけでなく、おそらく日本の教師のほぼ全ての人がやっている、道徳教育、仲間と関わって生きる教育。「自分の姿をふり返ろう」「今日の自分はどうだったかな?」「仲間から見て、どのような姿だろう」

社会性をはぐくむ上で、重要な活動であることは、疑う余地もないのですが…最近、本当にこれでよいのだろうかと思うことしきりです。

子どもたちに元気がない。

ある学年を見たのですが、お互いがお互いの顔色を伺ってばかり。陰ではひどい悪口を言い合い、すぐ仲間はずれを作りたがる。歌わせても大きな口も開けない。毎日が、仲間の中でどのように振舞おう、の考えで占められてしまっている。

あまり小さい頃から、自分を客観視しすぎるのもどうか、と考えているところです。


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