何だか大変なことになっています。大相撲。
あす以降になると、名古屋場所をどうするか、などが決定してしまいますので、その前に、私見を述べておきます。
<私に発言権があったら。>
①名古屋場所は、休場とする。
②賭博に関わった力士はきちんと警察の取り調べに応じる。もちろん、親方も。
一定金額以上、一定の地位(関取り)以上のものは名前を挙げる。しかし、具体的な金額は不問とする。
③テレビなどでの記者会見においての謝罪は放映するべきだが、秋場所など、土俵上では理事長などの初日あいさつでの謝罪にとどめる。
④国民は、そこまでにおいて今回の件に関する責任は果たしたものとし、以後不問とする、後々までいたぶらない。
双葉山ほどの大横綱、偉人でも、戦後宗教に一時期はまり、多くの人と警察に迷惑をかける事件を起こしています。
しかし「覚めた」あと謝罪し、立派に相撲界に尽くし、改革もし、理事長となり、栃若全盛期を作りだした偉業もなしています。
私たちは、不正に目をつぶってはならないが、罪の責任を果たしたものをいつまでもいたぶってはならない。
土俵をけがした力士には、土俵を盛り上げることによって、償ってほしいと願うのです。
この長い年月、外国人力士に上位が席巻されて盛り上がりに欠けていた大相撲。もしもその原因の一端に、こういう賭博、暴力団とのつるみなどで心が相撲に集中できない現状があったとしたならば、きっちりと、よい相撲で償ってほしいものです。
さて、だからといって、「もう大相撲なんてやめちゃったら?」などと軽々しく言えるほど、国民は大相撲の歴史を学んではいないと思います。
ただし、朝青龍を引退に追い込んだ世論の流れは、間違っていたと思います。今回の騒ぎで、「朝青龍のやったことなんて、小さいことだったんだな」と、皆さん気付き始めていると思います。
大相撲は、スポーツという一面と、神事、古典芸能、興行という側面の両方を兼ね備えているということが、かなり忘れ去られているようです。
歌舞伎などと同じような世界ということです。
こういう世界が、裏稼業、いわゆるやくざといわれる世界とつながるのは、当然です。
ただ、それぞれの世界には、不文律のしきたりがあって、かたぎの皆さんの迷惑、不快になるようなことは、決してしないという掟の下、バランスが保たれてきたのだと思います。
それが、崩れた。
300万もの借金を抱え、億もの金額を恐喝するとは、いくら大きなお金が動く大相撲の世界とはいえ、度が過ぎています。
かたぎの私たちから見れば、賭博そのものが犯罪行為ですが、今まではきっと、「まあそういう世界だから」と大目にみられる程度のやんちゃとして、目をつぶっていてもらえたのだと思います。で、だからこそ、力士にとってはちょうどよい息抜きになって、精神のバランスも保たれていたのではないかと察するところがあるのです。
「テレビに出て、子どもにも夢を持たせるような存在なのだから、責任はある。ルール違反をするものは、社会から抹殺されなければならない」
…まあ、そうなのかもしれませんが、人間、そう教科書通りに生きていられるものではありません。先ほど双葉山の例をあげましたが、かつてのライバル玉錦(この方も大横綱)など、ひどかったといいます。あまりにもひどくて、成績優秀でもしばらく横綱がもらえなかったというぐらい。でも大人気で、それこそ一般の皆さんへのサービスは満点だったといいます。まるで朝青龍です。
度を過ぎたことを放置してはならない。しかし、「そういう世界なのだ」ということを、私たちは素人なりに、知っておかなければならないと思います。
奥にあるものを知らずして、簡単に正義の鉄槌を下すようなことばかりするのは、大きな目で見て、間違い、ということもあると思うのです。
私は、大相撲が好きです。でも、確かに最近の大相撲界は、つまらないと思っている一人でもあります。
大相撲が、より楽しく見られる時代に、早く戻ってほしいものです。
あす以降になると、名古屋場所をどうするか、などが決定してしまいますので、その前に、私見を述べておきます。
<私に発言権があったら。>
①名古屋場所は、休場とする。
②賭博に関わった力士はきちんと警察の取り調べに応じる。もちろん、親方も。
一定金額以上、一定の地位(関取り)以上のものは名前を挙げる。しかし、具体的な金額は不問とする。
③テレビなどでの記者会見においての謝罪は放映するべきだが、秋場所など、土俵上では理事長などの初日あいさつでの謝罪にとどめる。
④国民は、そこまでにおいて今回の件に関する責任は果たしたものとし、以後不問とする、後々までいたぶらない。
双葉山ほどの大横綱、偉人でも、戦後宗教に一時期はまり、多くの人と警察に迷惑をかける事件を起こしています。
しかし「覚めた」あと謝罪し、立派に相撲界に尽くし、改革もし、理事長となり、栃若全盛期を作りだした偉業もなしています。
私たちは、不正に目をつぶってはならないが、罪の責任を果たしたものをいつまでもいたぶってはならない。
土俵をけがした力士には、土俵を盛り上げることによって、償ってほしいと願うのです。
この長い年月、外国人力士に上位が席巻されて盛り上がりに欠けていた大相撲。もしもその原因の一端に、こういう賭博、暴力団とのつるみなどで心が相撲に集中できない現状があったとしたならば、きっちりと、よい相撲で償ってほしいものです。
さて、だからといって、「もう大相撲なんてやめちゃったら?」などと軽々しく言えるほど、国民は大相撲の歴史を学んではいないと思います。
ただし、朝青龍を引退に追い込んだ世論の流れは、間違っていたと思います。今回の騒ぎで、「朝青龍のやったことなんて、小さいことだったんだな」と、皆さん気付き始めていると思います。
大相撲は、スポーツという一面と、神事、古典芸能、興行という側面の両方を兼ね備えているということが、かなり忘れ去られているようです。
歌舞伎などと同じような世界ということです。
こういう世界が、裏稼業、いわゆるやくざといわれる世界とつながるのは、当然です。
ただ、それぞれの世界には、不文律のしきたりがあって、かたぎの皆さんの迷惑、不快になるようなことは、決してしないという掟の下、バランスが保たれてきたのだと思います。
それが、崩れた。
300万もの借金を抱え、億もの金額を恐喝するとは、いくら大きなお金が動く大相撲の世界とはいえ、度が過ぎています。
かたぎの私たちから見れば、賭博そのものが犯罪行為ですが、今まではきっと、「まあそういう世界だから」と大目にみられる程度のやんちゃとして、目をつぶっていてもらえたのだと思います。で、だからこそ、力士にとってはちょうどよい息抜きになって、精神のバランスも保たれていたのではないかと察するところがあるのです。
「テレビに出て、子どもにも夢を持たせるような存在なのだから、責任はある。ルール違反をするものは、社会から抹殺されなければならない」
…まあ、そうなのかもしれませんが、人間、そう教科書通りに生きていられるものではありません。先ほど双葉山の例をあげましたが、かつてのライバル玉錦(この方も大横綱)など、ひどかったといいます。あまりにもひどくて、成績優秀でもしばらく横綱がもらえなかったというぐらい。でも大人気で、それこそ一般の皆さんへのサービスは満点だったといいます。まるで朝青龍です。
度を過ぎたことを放置してはならない。しかし、「そういう世界なのだ」ということを、私たちは素人なりに、知っておかなければならないと思います。
奥にあるものを知らずして、簡単に正義の鉄槌を下すようなことばかりするのは、大きな目で見て、間違い、ということもあると思うのです。
私は、大相撲が好きです。でも、確かに最近の大相撲界は、つまらないと思っている一人でもあります。
大相撲が、より楽しく見られる時代に、早く戻ってほしいものです。
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