貝木の評価が登場を重ねるごとに自分の中で上がっていく件について。
(思えばファーストシーズンの当初から存在だけは会話に上ってたんじゃよな)
名前は出てませんでしたがね。
戦場ヶ原を騙した詐欺師(の一人)→撫子のあれこれの原因(判明するのはセカンドシーズンに入ってから)→偽物語の黒幕→神原を溺愛→恋物語の主役(!)
月火や火憐をいろいろ酷い目にあわせた原因だったり、かつて戦場ヶ原の家庭を崩壊させた原因だったり、撫子が呪いをかけられた遠因だったりが判明した頃は、そりゃもうとにかく(阿良々木さんにとっての)「天敵」ってイメージばかりだったわけですが。
『花物語』で神原相手に何か普通のおいちゃんみたいなことしてたりだとか、今回の冒頭で鼻眼鏡な戦場ヶ原に対抗してアロハにサングラス姿になってみたりだとか、その戦場ヶ原相手での内心が本気でただのツンデレみたいだとか、ていうかもうあれやこれが全部ツンデレゆえの露悪行為にしか見えなくなってきたというか……、
何より、騙す騙すと騙り続け、造作もなく騙せると断言し、こいつは馬鹿だと狂っていると散々こき下ろすようなことを言って(考えて)いた撫子のことを、結局は真正面からがっつりと見事に人間に戻してしまったというのがもうね。
あの貝木が、自分の保身とか知らねえよと言わんばかりに、ひたすら正面から神に“なってしまった”撫子相手に、普通の大人が言うようなことを言って聞かせて人間に戻す。この流れは熱かった。
「騙されたと思って~」の言だけで、貝木当人にとってはアレも騙したこととして処理されるんでしょうかね?
ツンデレなんだからー。
(戦場ヶ原のキャラクターというものは貝木の影響が強いらしいが、案外ツンデレもそのひとつなのかも知れんのぉ)
ガハラさんと貝木の会話というのもこう、なんていうか、いかにもツンデレ同士の会話って感じでしたね。
あいつら阿良々木さん居なかったら普通により戻しかねないんじゃねーの? レベルな。
まあ読者がそう感じるだけで、実際にはガハラさんはやっぱり貝木を憎んでるのかも知れないし、貝木もガハラさんをどう思ってるのかわかりませんけれど。
阿良々木さんもそうだけど、語り部としてのモノローグから本心が微妙に外れてたりするからなあ、あの人ら。
そういうとこ案外似たもの同士ですよね。
(明確に読者へ向けて“語って”いる形式の文体じゃからな。一種の叙述トリックみたいなもんじゃ)
撫子語り部のときが一番強烈だったんですけどね。その辺は。
一回撫子の内実を見せられてるから、貝木の(それまでの登場人物たちとはまるで違う)撫子評を読んでても、すっと納得できちゃうんですよね。
セカンドシーズンでは、ファーストシーズンおよびアニメ化によっておそらく上位の人気キャラとなったであろう千石撫子がこれでもかとひっくり返されたわけですが、自分個人的にはそれによって逆に撫子というキャラクターが好きになりました。
というかぶっちゃけるとファーストシーズンにおける撫子は普通に嫌いな類のキャラだったしなあ。
(どこか不自然ちゅーか、作中の登場人物としても時々違和感を覚える言動は見られたように感じとったわな)
『囮物語』における撫子視点、そして今回の貝木による撫子分析を経てその辺も納得に変わりましたけどね。
あの子自分で自分を人形にしようとしてしまってたのかもなー、っていうところ。
その果てになってしまったのが、偶像の究極とも言えるだろう神様っていうのが実に洒落てますよね。
(作中通して、周囲から徹底的にアイドル――偶像として扱われてきたキャラクターじゃったんじゃよな)
だからこそ、撫子をそうしたアイドル的なフィルターを一切通さず、ただの騙すべき個人として接し徹した貝木△となるわけですね。
これまで徹底的に描写しないことで完璧な伏線としていた“漫画家になりたい”という夢に触れられて激昂した撫子。
自身のキャラクター性の象徴ともいえる前髪を失ったとき、阿良々木さんに自分のしてきたことを知られてしまったとき、今までも自分という“偶像”のイメージが損なわれそう(損なわれた)ときに何度か激昂を見せてきた撫子なわけですが……、
つまるところ拒絶反応みたいなそれにさらされながら、それこそ次の瞬間殺されてもおかしくない(阿良々木さんは普通に殺されかけましたし)状況においても、ただ撫子という個人に淡々と、あるいは熱意をこめて正論だけをぶつけた貝木。不覚にもかっこいいと思ってしまうわけですよ。
そしてこれまで読者にすら完全に隠してきた秘密を暴露されて、錯乱とも言える状態になって貝木を殴りつける撫子は正直可愛いと思った。このシリーズを通して読んできて、ひょっとしたら初めて撫子を可愛いと感じた。
だって普通なんだもの。普通の反応だったんだもの。
(偶像的なそれでもなく、狂人としてのそれでもない。常人が常人としてとるような態度ではあったな)
『恋物語』の表紙イラストは戦場ヶ原であり、タイトルは『ひたぎエンド』であり、そしてひょっとするとこの話は戦場ヶ原と貝木というキャラクターの間にある、これまで続いてきた関係性にひとつの区切りをつける、決着をつけるという話だったのかも知れません。
けれども、それより何より今回の話を読んで自分の中で一番大きかったのは、貝木泥舟と千石撫子という、これまでどちらかというとシリーズ内においては感情移入の度合いが小さかったキャラクターたちが大躍進を遂げたという感想です。
まさかまさかのファイナルシーズンもあるということで、扇くんの謎、阿良々木さんの活躍、阿良々木ハーレムの行方、八九寺はあのまま退場なのか、『恋物語』ラストのラストで衝撃展開を迎えた貝木はどうなったのか、忍野メメはまた出てきてくれるのか、諸々を非常に楽しみにしながら続刊を待ちたいと思います。
(思えばファーストシーズンの当初から存在だけは会話に上ってたんじゃよな)
名前は出てませんでしたがね。
戦場ヶ原を騙した詐欺師(の一人)→撫子のあれこれの原因(判明するのはセカンドシーズンに入ってから)→偽物語の黒幕→神原を溺愛→恋物語の主役(!)
月火や火憐をいろいろ酷い目にあわせた原因だったり、かつて戦場ヶ原の家庭を崩壊させた原因だったり、撫子が呪いをかけられた遠因だったりが判明した頃は、そりゃもうとにかく(阿良々木さんにとっての)「天敵」ってイメージばかりだったわけですが。
『花物語』で神原相手に何か普通のおいちゃんみたいなことしてたりだとか、今回の冒頭で鼻眼鏡な戦場ヶ原に対抗してアロハにサングラス姿になってみたりだとか、その戦場ヶ原相手での内心が本気でただのツンデレみたいだとか、ていうかもうあれやこれが全部ツンデレゆえの露悪行為にしか見えなくなってきたというか……、
何より、騙す騙すと騙り続け、造作もなく騙せると断言し、こいつは馬鹿だと狂っていると散々こき下ろすようなことを言って(考えて)いた撫子のことを、結局は真正面からがっつりと見事に人間に戻してしまったというのがもうね。
あの貝木が、自分の保身とか知らねえよと言わんばかりに、ひたすら正面から神に“なってしまった”撫子相手に、普通の大人が言うようなことを言って聞かせて人間に戻す。この流れは熱かった。
「騙されたと思って~」の言だけで、貝木当人にとってはアレも騙したこととして処理されるんでしょうかね?
ツンデレなんだからー。
(戦場ヶ原のキャラクターというものは貝木の影響が強いらしいが、案外ツンデレもそのひとつなのかも知れんのぉ)
ガハラさんと貝木の会話というのもこう、なんていうか、いかにもツンデレ同士の会話って感じでしたね。
あいつら阿良々木さん居なかったら普通により戻しかねないんじゃねーの? レベルな。
まあ読者がそう感じるだけで、実際にはガハラさんはやっぱり貝木を憎んでるのかも知れないし、貝木もガハラさんをどう思ってるのかわかりませんけれど。
阿良々木さんもそうだけど、語り部としてのモノローグから本心が微妙に外れてたりするからなあ、あの人ら。
そういうとこ案外似たもの同士ですよね。
(明確に読者へ向けて“語って”いる形式の文体じゃからな。一種の叙述トリックみたいなもんじゃ)
撫子語り部のときが一番強烈だったんですけどね。その辺は。
一回撫子の内実を見せられてるから、貝木の(それまでの登場人物たちとはまるで違う)撫子評を読んでても、すっと納得できちゃうんですよね。
セカンドシーズンでは、ファーストシーズンおよびアニメ化によっておそらく上位の人気キャラとなったであろう千石撫子がこれでもかとひっくり返されたわけですが、自分個人的にはそれによって逆に撫子というキャラクターが好きになりました。
というかぶっちゃけるとファーストシーズンにおける撫子は普通に嫌いな類のキャラだったしなあ。
(どこか不自然ちゅーか、作中の登場人物としても時々違和感を覚える言動は見られたように感じとったわな)
『囮物語』における撫子視点、そして今回の貝木による撫子分析を経てその辺も納得に変わりましたけどね。
あの子自分で自分を人形にしようとしてしまってたのかもなー、っていうところ。
その果てになってしまったのが、偶像の究極とも言えるだろう神様っていうのが実に洒落てますよね。
(作中通して、周囲から徹底的にアイドル――偶像として扱われてきたキャラクターじゃったんじゃよな)
だからこそ、撫子をそうしたアイドル的なフィルターを一切通さず、ただの騙すべき個人として接し徹した貝木△となるわけですね。
これまで徹底的に描写しないことで完璧な伏線としていた“漫画家になりたい”という夢に触れられて激昂した撫子。
自身のキャラクター性の象徴ともいえる前髪を失ったとき、阿良々木さんに自分のしてきたことを知られてしまったとき、今までも自分という“偶像”のイメージが損なわれそう(損なわれた)ときに何度か激昂を見せてきた撫子なわけですが……、
つまるところ拒絶反応みたいなそれにさらされながら、それこそ次の瞬間殺されてもおかしくない(阿良々木さんは普通に殺されかけましたし)状況においても、ただ撫子という個人に淡々と、あるいは熱意をこめて正論だけをぶつけた貝木。不覚にもかっこいいと思ってしまうわけですよ。
そしてこれまで読者にすら完全に隠してきた秘密を暴露されて、錯乱とも言える状態になって貝木を殴りつける撫子は正直可愛いと思った。このシリーズを通して読んできて、ひょっとしたら初めて撫子を可愛いと感じた。
だって普通なんだもの。普通の反応だったんだもの。
(偶像的なそれでもなく、狂人としてのそれでもない。常人が常人としてとるような態度ではあったな)
『恋物語』の表紙イラストは戦場ヶ原であり、タイトルは『ひたぎエンド』であり、そしてひょっとするとこの話は戦場ヶ原と貝木というキャラクターの間にある、これまで続いてきた関係性にひとつの区切りをつける、決着をつけるという話だったのかも知れません。
けれども、それより何より今回の話を読んで自分の中で一番大きかったのは、貝木泥舟と千石撫子という、これまでどちらかというとシリーズ内においては感情移入の度合いが小さかったキャラクターたちが大躍進を遂げたという感想です。
まさかまさかのファイナルシーズンもあるということで、扇くんの謎、阿良々木さんの活躍、阿良々木ハーレムの行方、八九寺はあのまま退場なのか、『恋物語』ラストのラストで衝撃展開を迎えた貝木はどうなったのか、忍野メメはまた出てきてくれるのか、諸々を非常に楽しみにしながら続刊を待ちたいと思います。