goo blog サービス終了のお知らせ 

読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「覗くモーテル観察日記」

2020年03月17日 | 日記
 ゲイ・タリーズ(文藝春秋)

 一時、評判だった本。まずは作者が新しいタイプのノンフィクション作家として登場したことと、その内容がセンセーショナルだったことが、世界に衝撃を与えたのはまだ記憶にある人が多いでしょう。それは『汝が隣人の妻』だったかな。
 ともあれ、本書もタイトルでおどろかされるけど、内容は結構まともな社会的分析があって、一種の学術的な価値までありそう。でも凡人はそれを別な?意味で興味をもってしまうのは小市民としてはやむを得ない。(自己弁護だな)

 内容紹介は
『天井裏に自分だけの覗き部屋を作ったモーテル経営者、30年の奇妙な記録。
 1980年のはじめ、著者のもとに一人の男から奇妙な手紙が届く。
男の名はジェラルド・フース。コロラド州デンヴァーでモーテルを経営しており、複数の部屋の天井に自ら通風孔と見せかけた穴を開け、秘かに利用者たちの姿を観察して日記にまとめているという。
男を訪ねた著者が屋根裏へと案内され、光の洩れる穴から目撃したのは、全裸の魅力的なカップルがベッドでオーラルセックスにはげむ姿だった――。
ヴェトナム戦争で傷ついた兵士とその妻の行為から、不倫や同性愛、グループセックス、さらには麻薬取り引きの絡んだ殺人事件まで、三十年に及ぶ記録からはアメリカの世相、性意識の変化が見えてくる。

 書評の引用(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2017022800002.html
『寝室の幸せと不幸せ、そして…  中学生の時分、そんな気などまったくないのに、ある夜、隣家の若い女性の、見てはいけない姿が目に入ってしまったことがあった。あのときの気まずさ、うしろめたさと好奇心の刺激がないまぜになった感情は今でも鮮明に覚えている。映画では、ヒッチコックの『裏窓』をはじめ、「覗く」というモチーフが、様々に変奏されて描かれてきたことでもわかるとおり、この行為は危うさと、それゆえの磁力に満ちている。この快楽への依存症が昂じると「覗き魔」になるということだろうか。
『覗くモーテル 観察日誌』(ゲイ・タリーズ 著 白石朗 訳 文藝春秋)

 本書は、「ニューヨーク・タイムズ」の内幕を描いた『王国と権力――ニューヨーク・タイムズをつくった人々』やベストセラー『汝の隣人の妻』をものした「ニュージャーナリズムの旗手」による稀代の「覗き魔」のノンフィクションである。同時に、赤裸々な「人間観察」の記録でもある(ただし、女性の媚態を載せたカバー写真はどうも……。これじゃあフランス書院文庫か二見書房のマドンナメイト文庫だ)。

 さて、1980年、筆者のもとに40代の男から手紙が届く。アメリカのコロラド州で60年代からモーテルを経営し、客の寝室を覗いてきたとの告白だ。
 モーテルの部屋21室のうち12室の天井に、通風孔に見せかけた覗き穴を開け(この時の悪戦苦闘ぶりが滑稽!)、これといった客がチェックインすると、天井裏に上がり、ひたすら観察して詳細な記録をつけたという。
 その理由は「人間への飽くことなきわが好奇心ゆえであり、決して変態の覗き魔としてやったことではありません」(このくだりを読んで、ものは言いようだと笑ったが、読み進むにつれ、かなり的確な自己分析だとわかってくる)。
 筆者のゲイ・タリーズは彼に直接会い、実際に天井裏から客室を覗いてカップルの性行為を目撃する。この覗き魔に関わることは「共犯」になってしまうと悩むのだが、結局、彼から膨大な記録を提供してもらうことになる。
 本書はこの「観察記録」と、覗き魔との交流を軸に進む。誰にも見られていないと思い込んでいる(当たり前だ)宿泊客の姿は、あまりにリアルだ。なにせ、ベッドの足側の真上、1.8~2.4メートルの高さから丸見えなのだから。
 男女のフツーの性行為はもちろん、同性愛、グループ行為、夫婦交換、コスプレ、性倒錯、近親相姦、一人客の自慰、はたまた室内で起きた殺人事件(これは覗いていた自分の身を守るために詳細を警察に通報できない)や、隣室から漏れる声を聞くべく壁に耳をそばだてる男も目撃する。ここで書くことは控えるが、気持ち悪くも抱腹絶倒のエピソードもある(なお、彼は詳細な記録魔でもあった。利用者の体位やオーガズムの回数まで集計し、「性的にかなり活発」だったか否かも調査して、カップルの4組に1組は「活発でなかった」と結論づけている)。
 もっとも、ポルノグラフィとしてみれば、その表現は凡庸だ。最近の本でいえば、蓮實重彦の傑作『伯爵夫人』(新潮社)のような芳醇な性描写とは比すべくもない。だがこの本の白眉は、そうした“幸福な”性行為と相反するシーンにある。下半身がままならないベトナム戦争の帰還兵とその妻の献身的な行為。男がコトを強引に進めるケースもあれば、妻の前では不能のため、彼女がバスルームにいる間に自慰にふける夫もいる。部屋や寝具の使い方のマナーが酷く――これまた書くのがはばかられるのだが――覗き魔が憤慨することもある。
 さらに、何もせず仕事のことしか話題がないカップル。金勘定でもめ、旅の行き先でもめ、何を食べるかで口論ばかりする客がいかに多いことか。テレビばかり見てほとんどコミュニケーションのないカップルも。覗き魔はこうした客たちの「時間の使い方の貧しさ」を嘆くようになる。戦場での残虐行為を誇らしげに語る男たちの話を聞いて激しく嫌悪もする。
 「観察実験室」からの凝視で性的好奇心を満たす一方で、どんどん人間が嫌いになる。そう、本作は単なる好色中年男の面白おかしい記録ではないのである。客のフロントで見せる人となりと、密室での違い。「基本的に人々は不誠実で不潔だ。人は騙し、噓をつき、自分の利益だけで動く」「人前で演じている顔と自分だけになったときの顔がまるっきり別人になる」。ペシミスティック過ぎる人間観かもしれないが、これを誰が否定できるだろう。
 著者のタリーズは覗き魔の行状に困惑し、記録の不正確さもあって、誇張や妄想の可能性を疑いつつも、彼を「同時代人の偽善や隠された欲望をあばこうとする批評家」とさえ呼ぶ。対面で人に接するしかないジャーナリストは、こうしたむき出しの「人間観察」を続けた彼に大いに嫉妬をしたのかもしれない。
 結局、この覗き魔は高齢もあってモーテルを閉めることになるが、町中に氾濫する監視カメラや、GPS、インターネットなどによる「監視社会」への反発を語る。「お前がそれを言うか」と著者ともども呆れたが、彼が覗きを始めた当初のくだりを読み直したら、「権力を手中におさめた感覚と歓喜を味わった」とある。もしかすると、ここが本書の核心ではないのか。この覗き魔は、おそらく監視することの権力性/暴力性を身をもって実感してきたに違いない。
 最近またジョージ・オーウェル『一九八四年』(ハヤカワepi文庫)が関心を集めている。監視カメラ、盗聴、盗撮、SNSなどでプライバシーの暴露が問題になるいま、本書のモーテルを現代社会の暗喩とみてはうがちすぎだろうか。  』

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
タリーズ,ゲイ
1932年、アメリカ・ニュージャージー州のオーシャンシティでイタリア移民の両親のもとに生まれる。アラバマ大学を卒業後、ニューヨーク・タイムズに雇われ、短い兵役を経た後、65年までニューヨーク・タイムズに勤め、その後はエスクァイア、ニューズウィークなど多くの雑誌で執筆。ニュージャーナリズムの旗手と言われた  』

・・・、確かにね。ポルノグラフィとしては、描写もそれほどではない。傑作とはいえないか・・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。