読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「バブル経済事件の深層」

2020年01月29日 | 日記
 村山治、奥山俊宏(岩波新書)

 我々世代はまさにこの『バブル』を見聞きした同時代世代なので、非常に興味深い。
 身近な事件ともいえる。
 このように記録されるのは大事なことだと思う。

 内容紹介は
『バブル崩壊がきっかけとなって発生した数々の経済事件.それらはやがて,日本の金融・行政システムをも揺るがし,長年にわたって日本経済を苦しめることになった.「平成」が終わろうとする今,そこから何を未来への教訓とすべきか.新証言や新資料を発掘し,新たな視点から重要な事件を再検証.背後にある深い闇の奥へとわけ入る.

序 章――まえがきに代えて
第一章 尾上縫と日本興業銀行――産業金融の雄はなぜ大阪の女将に入れ込んだのか
第二章 高橋治則 VS.特捜検察,日本長期信用銀行――公的資金による金融破綻処理第1号に選ばれた男の逆襲
第三章 大和銀行ニューヨーク支店事件――「大蔵省護送船団」統治システムの失墜
第四章 大蔵省と日本債券信用銀行の合作に検察の矛先――国策の変遷で逮捕された大蔵官僚・窪田弘の悲劇
終 章 護送船団を支えた2つの権力の蜜月と衝突
あとがき

村山治(むらやま おさむ)
1950年,徳島県生まれ.1973年,早稲田大学政経学部卒業後,毎日新聞社入社.91年,朝日新聞社入社.2017年から,フリージャーナリスト.金丸脱税事件(93年),ゼネコン事件(93,94年),大蔵汚職事件(98年)などバブル崩壊以降の政界事件,大型経済事件の報道にかかわった.著書に,『市場検察』(文藝春秋),『小沢一郎 vs.特捜検察20年戦争』(朝日新聞出版),『検察――破綻した捜査モデル』(新潮新書)など.

奥山俊宏(おくやま としひろ)
朝日新聞編集委員.1966年,岡山県生まれ.1989年,東京大学工学部卒,朝日新聞社入社.福島支局,東京社会部,大阪社会部などを経て特別報道部.『秘密解除ロッキード事件――田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店)で司馬遼太郎賞(2017年度)受賞.福島第一原発事故やパナマ文書の報道も含めた業績で日本記者クラブ賞(2018年度)受賞.その他の著書に,『内部告発の力』(現代人文社),『ルポ 東京電力 原発危機1カ月』(朝日新書)など.   』

・・・大蔵省と検察の関係者などちょっと知っている人の名前があった。おすすめです。社会的事件が関心があるかたに、ですけど。

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「(あまり)病気をしない暮らし」

2020年01月22日 | 日記
 仲野徹(晶文社)

 ご存じ?阪大の仲野先生。再登場!
 タイトルに( )をつけて「あまり」としたところが慎ましやかなのか、「病気をしない」と威張っているところは、厚かましいのかわからんところ。
でも一流のユーモアで書いていて楽しく読める。

 内容紹介は
『病気にならない生き方ありますか?
読んで笑って医者いらず!
『こわいもの知らずの病理学講義』で人気爆発、
ナニワの病理学教授が書いた、これが究極の健康本!

誰だって病気になって医者の世話にはなりたくはない。でも病気にならずに
一生を過ごすなんて、よほどの幸運に恵まれないかぎり不可能なお話。
それでも「できるだけ病気にならないライフスタイル」を教わりたい、
という世間様の要望に応えて、ナニワの病理学教授が書いた
「(あまり)病気をしない暮らし」の本。
病気とはなんだろう、といった素朴な疑問から、呼吸、食事、ダイエット、
お酒、ゲノムと遺伝子、がん、感染症、そして医学や研究についての雑談まで、
肩の凝らない語り口で解説。
『こわいもの知らずの病理学講義』で人気爆発、ナカノ先生による究極の健康本。

ただし、飽食しかり深酒しかり、体に悪いと言われるようなことに限って
したくなるのが人情であるゆえ、病気にならないライフスタイルの実践が、
本人にとって幸せかどうかは不明ですので、その点ご容赦のほど。

【目次】
長いまえがき 病気ってなに?
第1章 生きるということ
第2章 ダイエット「入門」の達人
第3章 遺伝+環境=わたし
第4章 酒は呑んでも呑まれるな
第5章 (できるだけ)がんにならない暮らし
第6章 病原体との闘い
第7章 番外編

誰だって病気になって医者の世話にはなりたくはない。でも病気にならずに一生を過ごすなんて、よほどの幸運に恵まれないかぎり不可能なお話。それでも「できるだけ病気にならないライフスタイル」を教わりたい、という世間様の要望に応えて、ナニワの病理学教授が書いた「(あまり)病気をしない暮らし」の本。病気とはなんだろう、といった素朴な疑問から、呼吸、食事、ダイエット、お酒、ゲノムと遺伝子、がん、感染症、そして医学や研究についての雑談まで、肩の凝らない語り口で解説。『こわいもの知らずの病理学講義』で人気爆発、ナカノ先生による究極の健康本。

著者について
仲野徹(なかの・とおる) 1957年、「主婦の店ダイエー」と同じ年に同じ街(大阪市旭区千林)に生まれる。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『幹細胞とクローン』(羊土社)、『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』(学研メディカル秀潤社)、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)など。趣味は、ノンフィクション読書、僻地旅行、義太夫語り。   』

・・・著者紹介でみたら、まあた多彩なこと。趣味が。
・・・相変わらずの”仲野ぶし”が楽しめます。気楽におたのしみくださいね。
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「大事なことはすべて立川談志(ししょう)に教わった」

2020年01月20日 | 日記
 立川男慶(ベストセラーズ)

 気難しく相当厳しそうな毒舌の談志の弟子なんてどうして希望するのかわからないが、その一端が垣間見えるいい話だ。
 筆者の経歴が愉快?失礼
 一度、落語を聞いたことがあって、談志の言葉として紹介された「朝日新聞で正しいのは日付だけだ」はよく覚えているのだ。文中にもあったけど。

 内容紹介は
『長野県上田市で生まれ、慶應大学卒の初の真打、立川談慶!
一流メーカーワコールでの安定したサラリーマン生活を投げ打ち、立川談志に入門。
師匠からからの無茶ぶりに、文字通りに振り回された前座時代から
二つ目、真打へと昇進、そして談志師匠との別れ。
抱腹絶倒のエピソード数々に、時にホロリとするいい話満載の初エッセイ!
第一章 殺しませんからの談志のひと言
(前座修行に比べれば、サラリーマンは甘い)
第二章 俺を喜ばせろ
(師匠の「無茶ぶり」どうする、どうする?)
第三章 潜伏期間があるのは病気だけじゃない
(二つ目への処世術は、サラリーマンの出世術
第四章 努力ははバカに与えた夢
(真打への挑戦、想定外を想定内にする知恵
第五章 売れれば売れるほど孤独になる
(落語家流処世術とサラリーマン人生を楽しむ方法

著者について
1965年長野市上田生まれ。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、(株)ワコールに入社。3年間のサラリーマン体験を経て、
91年立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」
2000年に二つ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」と命名される。
05年、真打昇進。慶応大学卒業の初めての真打となる  』

・・・サラリーマンに「助言」があって、そのあたりを狙ったのかも知れないが、ちょっとくどい。なくても十二分に面白かった。立川談志って天才だったのかなぁ。気楽の笑える。おすすめです。
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「住友銀行秘史」

2020年01月17日 | 日記
 國重 惇史(講談社)

 最初はかなり冗長な印象。手帳のメモから書き起こした?のか、全体を読み終わったらまあ、それなりの時系列で物事の進行具合がわかって時間の重みと緊張感がtるたわる。
 イトマン事件ってあったよなぁ、の印象だったけどこうして読むと歴史だね。

 内容紹介は
『戦後最大の不正経理
こんなヤツらにカネを預けて大丈夫なのか? 読みながらつくづく思った。
國重惇史の『住友銀行秘史』は、イトマン事件について当時の住友銀行内から観察したノンフィクションである。戦後最大の不正経理といわれる同事件は、たんに不正をやってバレて首謀者がお縄になった、というような単純なものではない。イトマン(伊藤萬)、そして同社に多額の融資をしていた住友銀行内の、派閥抗争・人事抗争も含むドロドロしたなかで起きたことだった。不正を諫めようとする者、それに乗じてひと儲けたくらむ者、人間の欲と感情がもつれ合う。
事件の渦中、著者は内部告発文書を何度も発信し、ときには新聞記者らと手を組みながら、行内の膿を絞り出そうと奮闘した。本書は著者が手帳に克明に記録していた文章を元に事件を再現するものだ。ほとんどの人物が実名で登場し、悪態も含めて著者が抱いた感情がストレートに記されている。ジャーナリストが書いたものにはない迫力を感じる。
バブルを象徴する事件だったのだとあらためて思う。繊維をメインにしていた老舗商社が総合商社になって、より拡大していこうとしてマネーゲームにはまりこんでいく。土地を使った錬金術や詐欺同然の美術品取引など、まるで小説のよう。
呆れてしまうのは、住友銀行会長の磯田一郎や住銀役員から伊藤萬社長になった河村良彦らの公私混同ぶりだ。老いても地位にしがみつき、身内に甘い汁を吸わせようと画策する。腐った幹部の取り巻きもまた腐っている。
でも、腐っていたのは住銀だけだろうか?
評者:永江朗
(週刊朝日 掲載)

内容紹介
大蔵省とマスコミに「内部告発状」を送ったのは私だ。
実力会長を退陣に追い込み、上層部を動かし、
わが住友銀行は生き延びた。
そのなかで、行内の人間関係が露になり、
誰が本物のバンカーなのかもわかってきた。
いま明らかになる「イトマン事件」の真実、闇社会の勢力との闘い、銀行内の激しい人事抗争ーー。
四半世紀の時を経て、すべてを綴った手帳を初公開する。

著者について
國重惇史(くにしげ・あつし)
1945年、山口県生まれ。68年、東京大学経済学部を卒業。同年、住友銀行(現三井住友銀行)に入行。渋谷東口支店長、業務渉外部部付部長、本店営業第一部長、丸の内支店長を歴任。94年に同期トップで取締役就任。日本橋支店長、本店支配人東京駐在を経て、97年、住友キャピタル証券副社長。銀行員時代はMOF担を10年務めた。
その後、99年にDLJディレクトSFG証券社長になり、同社を楽天が買収したことから、2005年に楽天副社長に。楽天証券会長、イーバンク銀行(現楽天銀行)社長、同行会長を経て、14年に楽天副会長就任。同年、辞任。現在はリミックスポイント会長兼社長。    』

・・・不思議に思ったのは、取締役などの役員や著者の立場のみなさんが、どうしてこんな行動をとれていたのか、時間と金は会社のものなのでしょうがよくありましたね。役員や準役員の方々は自由な活動と交際費が使い放題だったのか? 著者はいわゆるMOF担だったそうだが、この人脈は有効活用されてるね。
・・・大きな組織で暇な人材がウヨウヨしてたら、当然ながら人事抗争みたいな話が出てきますよね。どこの組織にもありがちだ。つくづく「すまじきものは宮仕え」(これは
菅原道真の息子の代わりに我が子の首を差し出したお話(歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」)に出てくる)です。組織人のやるせなさでもあるな。いろいろ考えさせられました。

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「流されて円楽に 流れつくか圓生に」

2020年01月14日 | 日記
 楽太郎から六代目円楽を襲名した落語家のお話。
 笑点などで見ていると皆若そうだけど、六代目も今年で”古希”だそうで、こっちも年を実感。順調に落語家として成長し、現代の落語ブームを牽引している一人なんでしょうね。直接書いてはいないのだろうけど、面白い語り口がそのままで楽しい読み物になっている。最近の入院は知らなかったのでびっくりした。

内容紹介は
『放送作家志望の青年が、五代目圓楽から願われるままに弟子となり、二つ目にして『笑点』出演、十年前には“円楽”の名跡の生前贈与など、常に落語界の潮流の上げ潮に乗っている六代目三遊亭円楽。
 本書は、その落語エリート的なイメージとは裏腹に、実は下町の貧乏な生い立ちの苦労人であることや、“腹黒キャラ”も番組で作ったイメージであり、実は『落語協会分裂騒動』での師匠たちの意地を実直に支え、同期の我儘な落語家から信頼され続けてきた真実の姿を書き下ろします。
 前座時代から大御所の噺家にも臆することなく接したため、先代圓楽、談志、志ん朝、柳朝といった落語四天王に可愛がられた面白エピソードも豊富。
 昨年の歌丸師の没後、自分が遂に落語界の現役トップランナーの一人であることと、落語界全体を牽引する役割であることを自覚した円楽が、これからの落語界のあるべき姿と、己との関わりを綴った初の自伝です。
 最新エピソードである脳腫瘍手術と最大の理解者・母親の逝去後の心境は、円楽ファン必読!

著者紹介
六代目 三遊亭/円楽
本名:会泰通(あいやすみち)。昭和25年(1950)2月8日実は横浜生まれ。東京・両国育ち。昭和45年(1970)4月青山学院大学在学中五代目三遊亭円楽に入門。昭和54年(1979)放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。昭和56年(1981)1月「にっかん飛切落語会」若手落語家努力賞受賞。3月真打昇進。平成19年(2007)11月から毎年博多・天神落語まつりをプロデュース。平成22年(2010)3月六代目三遊亭円楽を襲名

十郎ザエモン
昭和27年(1952)東京生まれ。昭和43年(1968)都立日本橋高校にて落語研究会所属。昭和51年(1976)獨協大学卒業、レコード会社に入社。平成12年(2000)日本コロムビアにて落語CDを制作開始。平成16年(2004)ゴーラック合同会社設立。落語CDのプロデュースを専門に現在に至る。   』

・・・落語のプロデュースという仕掛けを作ったひとりなのでしょうね。運に恵まれ、人に好かれ人生順調に来たのだろう。今は手術などで少し試練の時なのかな?
・・・面白かったですよ。書くのは時間がかかるけど、口述という方法はいいなぁ。誰か手伝ってくれません?

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