読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「64」

2020年03月31日 | 日記
 横山秀夫(文春文庫)

 上下2巻である。この分量でも読ませるのがこの著者で、濃密な心象風景が描かれるとこが良いね。
 最後など、まさに絵になる場面で、映画化されたのもうなずける。DVDで見られるかな?
 うまくミステリを織り交ぜて、最後になぜこのような展開で話を作ったのが分かるところが上手い。ちょっと?なのは、古い電話帳が「今でも」「有効」だったのか、トリックとしては面白いけど、14年後だよね。

 内容紹介は
『元刑事で一人娘が失踪中のD県警広報官・三上義信。記者クラブと交通事故の匿名問題で揉める中、昭和64年に起きたD県警史上最悪の翔子ちゃん誘拐殺人事件(ロクヨン)への警察庁長官視察が決定する。だが被害者遺族から長官の慰問を拒絶され、その理由を探ろうとする三上だが、刑事部から猛反発をくらう。長官視察をボイコットするという記者クラブ、刑事部と警務部の全面戦争、その狭間でD県警が抱える爆弾を突き止めた三上は、長官視察の本当の目的を知る。そして最大の危機に瀕するD県警をさらに揺るがす事件が−−。かつてない驚愕、怒涛の展開、感涙の結末。組織と個人の相克を息つまる緊張感で描いた著者渾身の長編ミステリ。 2013年国内ミステリベストテン2冠、2016年日本人初の英国推理作家協会(CWA)のインターナショナル・ダガー賞候補作。

警察職員二十六万人、それぞれに持ち場があります。刑事など一握り。大半は光の当たらない縁の下の仕事です。神の手は持っていない。それでも誇りは持っている。一人ひとりが日々矜持をもって職務を果たさねば、こんなにも巨大な組織が回っていくはずがない。D県警は最大の危機に瀕する。警察小説の真髄が、人生の本質が、ここにある。

著者略歴
横山/秀夫
1957年東京生まれ。国際商科大学(現・東京国際大学)卒業後、上毛新聞社に入社。12年間の記者生活を経てフリーライターとなる。91年『ルパンの消息』が第九回サントリーミステリー大賞佳作に選ばれる。98年『陰の季節』で第五回松本清張賞を受賞。2000年『動機』で第五十三回日本推理作家協会賞・短編部門を受賞する   』

・・・マスコミの横暴さと傍若無人ぶりは、”小型”のものを経験したことがあって、全く納得だ。言いたいことも言えない理不尽さに満ちているのだ。
・・・ちょっと?なのは、古い電話帳が「今でも」「有効」だったのか、トリックとしては面白いけど、14年後だよね。これを欠点としても、あまりあるストーリー展開とエンターテインメント性には脱帽というか納得感 がある。遅い読書だったけど、今でも大いにおすすめできる。
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「僕たちの離婚」

2020年03月24日 | 日記
 稲田 豊史(KADOKAWA)

 夫がわからだけの見方だが、一方の「真実」でもある。それにしても、確かにいろいろな夫婦がいていろいろな夫婦関係ができたのだろうが、それがまた壊れる。不思議なものだ。

 内容紹介は
『どの夫婦も、だれもが皆「地獄」を抱えている――。すべての離婚者たちへ。
いま、日本は3組に1組が離婚する時代。離婚経験のある“男性”にのみ、その経緯や顛末を聞く、今までになかったルポルタージュ。“人間の全部”が露になる、すべての離婚者に贈る「ぼくたちの物語」。

【目次】
まえがきに代えて/離婚は「人間の全部」

第1章 “家族”を背負えないぼくたち
Case #01 三浦隆司 夫になれない
Case #02 竹田康彦 人は壊れる
Case #03 橋本亮太 家族が得意じゃない
Case #04 田中元基 「かわいそう」だから結婚した
Case #05 吉村健一 父の条件
Case #06 花田啓司 ビルの気持ちがよくわかる

第2章 妻が浮気に走った理由
Case #07 木島慶 殿方たちのお気に召すまま
Case #08 森岡賢太郎 完璧なあなた、勝ち組のわたし

第3章 こわれた伴侶
Case #09 河村仁×Case #10 渋井悟 頑張ってもしょうがない
Case #11 北条耕平 おかしいのはどっちだ?

第4章 業と因果と応報と
Case #12 滝田浩次 欲しいものだけ欲しい
Case #13 片山孝介 離婚してよかった

あとがき

著者について
●稲田 豊史:1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「サイゾー」「SPA!」などで執筆。   』

・・・第三章の『こわれた伴侶』が怖い話だ。多分病気ではないか。
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「うつくしが丘の不幸の家」

2020年03月19日 | 日記
 町だそのこ(東京創元社)

 構成が見事。家を中心に据えて、各章ごとに時代が遡る。それぞれに家族が変わっていくが、変わらないのは隣家と庭のびわの木。
 家族って単純なものではない。全て違って当たり前を気づかせてくれる。

内容紹介は
『わたしのしあわせは、だれかが決めるものではない。
この家で送る、かなしみとよろこびの日々。
注目の新鋭が五つの家族をふっくらと描く、傑作連作小説。
「R-18文学賞」大賞受賞のストーリーテーラー、本領発揮。

築21年の三階建て一軒家を購入し、一階部分を店舗用に改築。美容師の美保理にとって、これから夫の譲と暮らすこの家は、夢としあわせの象徴だった。朝、店先を通りかかった女性に「ここが『不幸の家』だって呼ばれているのを知っていて買われたの」?と言われるまでは――。わたしが不幸かどうかを決めるのは、他人ではない。『不幸の家』で自らのしあわせについて考えることになった五つの家族をふっくらと描く、傑作連作小説。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
町田/そのこ
1980年福岡県生まれ。2016年、短編「カメルーンの青い魚」で第十五回「女による女のためのR‐18文学賞」大賞を受賞。翌年、受賞作を収録した作品集『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』で本格的なデビューを飾る    』

・・・順に読んでください。最後のところで、不覚にも「涙」がこぼれた。心がほっとした秀作ですね。おすすめです。
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「覗くモーテル観察日記」

2020年03月17日 | 日記
 ゲイ・タリーズ(文藝春秋)

 一時、評判だった本。まずは作者が新しいタイプのノンフィクション作家として登場したことと、その内容がセンセーショナルだったことが、世界に衝撃を与えたのはまだ記憶にある人が多いでしょう。それは『汝が隣人の妻』だったかな。
 ともあれ、本書もタイトルでおどろかされるけど、内容は結構まともな社会的分析があって、一種の学術的な価値までありそう。でも凡人はそれを別な?意味で興味をもってしまうのは小市民としてはやむを得ない。(自己弁護だな)

 内容紹介は
『天井裏に自分だけの覗き部屋を作ったモーテル経営者、30年の奇妙な記録。
 1980年のはじめ、著者のもとに一人の男から奇妙な手紙が届く。
男の名はジェラルド・フース。コロラド州デンヴァーでモーテルを経営しており、複数の部屋の天井に自ら通風孔と見せかけた穴を開け、秘かに利用者たちの姿を観察して日記にまとめているという。
男を訪ねた著者が屋根裏へと案内され、光の洩れる穴から目撃したのは、全裸の魅力的なカップルがベッドでオーラルセックスにはげむ姿だった――。
ヴェトナム戦争で傷ついた兵士とその妻の行為から、不倫や同性愛、グループセックス、さらには麻薬取り引きの絡んだ殺人事件まで、三十年に及ぶ記録からはアメリカの世相、性意識の変化が見えてくる。

 書評の引用(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2017022800002.html
『寝室の幸せと不幸せ、そして…  中学生の時分、そんな気などまったくないのに、ある夜、隣家の若い女性の、見てはいけない姿が目に入ってしまったことがあった。あのときの気まずさ、うしろめたさと好奇心の刺激がないまぜになった感情は今でも鮮明に覚えている。映画では、ヒッチコックの『裏窓』をはじめ、「覗く」というモチーフが、様々に変奏されて描かれてきたことでもわかるとおり、この行為は危うさと、それゆえの磁力に満ちている。この快楽への依存症が昂じると「覗き魔」になるということだろうか。
『覗くモーテル 観察日誌』(ゲイ・タリーズ 著 白石朗 訳 文藝春秋)

 本書は、「ニューヨーク・タイムズ」の内幕を描いた『王国と権力――ニューヨーク・タイムズをつくった人々』やベストセラー『汝の隣人の妻』をものした「ニュージャーナリズムの旗手」による稀代の「覗き魔」のノンフィクションである。同時に、赤裸々な「人間観察」の記録でもある(ただし、女性の媚態を載せたカバー写真はどうも……。これじゃあフランス書院文庫か二見書房のマドンナメイト文庫だ)。

 さて、1980年、筆者のもとに40代の男から手紙が届く。アメリカのコロラド州で60年代からモーテルを経営し、客の寝室を覗いてきたとの告白だ。
 モーテルの部屋21室のうち12室の天井に、通風孔に見せかけた覗き穴を開け(この時の悪戦苦闘ぶりが滑稽!)、これといった客がチェックインすると、天井裏に上がり、ひたすら観察して詳細な記録をつけたという。
 その理由は「人間への飽くことなきわが好奇心ゆえであり、決して変態の覗き魔としてやったことではありません」(このくだりを読んで、ものは言いようだと笑ったが、読み進むにつれ、かなり的確な自己分析だとわかってくる)。
 筆者のゲイ・タリーズは彼に直接会い、実際に天井裏から客室を覗いてカップルの性行為を目撃する。この覗き魔に関わることは「共犯」になってしまうと悩むのだが、結局、彼から膨大な記録を提供してもらうことになる。
 本書はこの「観察記録」と、覗き魔との交流を軸に進む。誰にも見られていないと思い込んでいる(当たり前だ)宿泊客の姿は、あまりにリアルだ。なにせ、ベッドの足側の真上、1.8~2.4メートルの高さから丸見えなのだから。
 男女のフツーの性行為はもちろん、同性愛、グループ行為、夫婦交換、コスプレ、性倒錯、近親相姦、一人客の自慰、はたまた室内で起きた殺人事件(これは覗いていた自分の身を守るために詳細を警察に通報できない)や、隣室から漏れる声を聞くべく壁に耳をそばだてる男も目撃する。ここで書くことは控えるが、気持ち悪くも抱腹絶倒のエピソードもある(なお、彼は詳細な記録魔でもあった。利用者の体位やオーガズムの回数まで集計し、「性的にかなり活発」だったか否かも調査して、カップルの4組に1組は「活発でなかった」と結論づけている)。
 もっとも、ポルノグラフィとしてみれば、その表現は凡庸だ。最近の本でいえば、蓮實重彦の傑作『伯爵夫人』(新潮社)のような芳醇な性描写とは比すべくもない。だがこの本の白眉は、そうした“幸福な”性行為と相反するシーンにある。下半身がままならないベトナム戦争の帰還兵とその妻の献身的な行為。男がコトを強引に進めるケースもあれば、妻の前では不能のため、彼女がバスルームにいる間に自慰にふける夫もいる。部屋や寝具の使い方のマナーが酷く――これまた書くのがはばかられるのだが――覗き魔が憤慨することもある。
 さらに、何もせず仕事のことしか話題がないカップル。金勘定でもめ、旅の行き先でもめ、何を食べるかで口論ばかりする客がいかに多いことか。テレビばかり見てほとんどコミュニケーションのないカップルも。覗き魔はこうした客たちの「時間の使い方の貧しさ」を嘆くようになる。戦場での残虐行為を誇らしげに語る男たちの話を聞いて激しく嫌悪もする。
 「観察実験室」からの凝視で性的好奇心を満たす一方で、どんどん人間が嫌いになる。そう、本作は単なる好色中年男の面白おかしい記録ではないのである。客のフロントで見せる人となりと、密室での違い。「基本的に人々は不誠実で不潔だ。人は騙し、噓をつき、自分の利益だけで動く」「人前で演じている顔と自分だけになったときの顔がまるっきり別人になる」。ペシミスティック過ぎる人間観かもしれないが、これを誰が否定できるだろう。
 著者のタリーズは覗き魔の行状に困惑し、記録の不正確さもあって、誇張や妄想の可能性を疑いつつも、彼を「同時代人の偽善や隠された欲望をあばこうとする批評家」とさえ呼ぶ。対面で人に接するしかないジャーナリストは、こうしたむき出しの「人間観察」を続けた彼に大いに嫉妬をしたのかもしれない。
 結局、この覗き魔は高齢もあってモーテルを閉めることになるが、町中に氾濫する監視カメラや、GPS、インターネットなどによる「監視社会」への反発を語る。「お前がそれを言うか」と著者ともども呆れたが、彼が覗きを始めた当初のくだりを読み直したら、「権力を手中におさめた感覚と歓喜を味わった」とある。もしかすると、ここが本書の核心ではないのか。この覗き魔は、おそらく監視することの権力性/暴力性を身をもって実感してきたに違いない。
 最近またジョージ・オーウェル『一九八四年』(ハヤカワepi文庫)が関心を集めている。監視カメラ、盗聴、盗撮、SNSなどでプライバシーの暴露が問題になるいま、本書のモーテルを現代社会の暗喩とみてはうがちすぎだろうか。  』

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
タリーズ,ゲイ
1932年、アメリカ・ニュージャージー州のオーシャンシティでイタリア移民の両親のもとに生まれる。アラバマ大学を卒業後、ニューヨーク・タイムズに雇われ、短い兵役を経た後、65年までニューヨーク・タイムズに勤め、その後はエスクァイア、ニューズウィークなど多くの雑誌で執筆。ニュージャーナリズムの旗手と言われた  』

・・・、確かにね。ポルノグラフィとしては、描写もそれほどではない。傑作とはいえないか・・・・
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「危機に立つ東大」

2020年03月16日 | 日記
 石井洋二郎(ちくま新書)

 タイトルに東大とあるけど、大学全体に関わる話です。もっとも、東大の内部での検討や推移などが書かれているので、そのつもりで読んだ方が良いかな?
 最近の話題の、高等教育のお話で、「文系学部廃止問題」など、含蓄が深いので参考になりました。著者が仏文の先生だからでしょうね。

 内容紹介は
『大学という場が危機に直面している。日本のリーディング大学である東大においても、秋季入学への移行、英語民間試験の活用といった問題をめぐって目的と手段の逆転した議論が進行し、本来あるべき思考の筋道が見失われている。制度改革をめぐる混乱がここまで尾を曳いたのは、日本社会を透明な霧のように包む「諦念」や「忖度」の空気が、大学という学問の府にまで浸透してしまったせいではないだろうか。本書では、教育・入試制度改革の 末と問題に至った経緯を見直し、大学のあるべき姿を提示する。
目次
序章 諦念の時代
第1章 秋入学問題
第2章 文系学部廃止問題
第3章 英語民間試験問題
第4章 国語記述式問題
終章 大学の使命

著者について
1951年生まれ。中部大学教授・東京大学名誉教授。専門はフランス文学、フランス思想。15年から19年春まで東京大学理事・副学長をつとめる。91年、ブルデュー『ディスタンクシオン』(藤原書店)の翻訳により渋沢・クローデル賞、01年『ロートレアモン全集』(筑摩書房)で日本翻訳出版文化賞・日仏翻訳文学賞、09年『ロートレアモン 越境と創造』(筑摩書房)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に『フランス的思考』(中公新書)、『時代を「写した」男ナダール 1820-1910』(藤原書店)、共著に『大人になるためのリベラルアーツ(正・続)』(東京大学出版会)などがある。    』

・・・日本の大学は、西洋文明を取り込む窓口として機能してきたから、まさに『役に立つ』学問だったし、明治時代のエリート養成機関としての役割もあったので、当時の社会的要請もあったと思う。今はもう”学術の中心”としての存在で、独自に活動できるまさに「独立」法人だものね。しかし政府の補助金がらみの押しつけ政策がまかり通ると、安西先生じゃあないけど、国立大学ではなく、”国策”大学になってくるね(文脈は全然ちがう。言葉だけお借りした)。おバカなな時代になったものだ。大学関係者にお勧めです。
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