読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「ダ・ヴィンチ絵画の謎」

2017年05月31日 | 日記
斎藤泰弘(中公新書)

カラー版で見やすい。お話もくだけていて一般受けします。
興味あるテーマだね。ルーブルに行くと人だかりがしていて世界的に有名。そんなに美女でもないけど謎めいたお話がくっついていて興味をそそる。

さて、内容紹介は
『誰もが知っている「モナリザ」。しかし、よくよく見てみればさまざまな謎に満ちている。モデルはだれか、なぜ微笑を湛えているのか。左右の背景はなぜつながっていないのか、そもそもなぜこんなに荒涼とした風景なのか……。鏡文字で書かれたダ・ヴィンチの手稿を研究し、彼の抱く世界観を知悉する著者が、「モナリザ」や「受胎告知」等、現存する主要な絵に秘められた謎について、ダヴィンチ自身のものの見方考え方に立って、俗説を退け、解読を試みる』

ついでに作者のインタビューがあったので長いけど引用しますね。(読みたくない方は飛ばして結構)
「誰もが知っている『モナリザ』。しかし、その微笑は謎に包まれています。新著『カラー版 ダ・ヴィンチ絵画の謎』で、レオナルド・ダ・ヴィンチの残した手稿から彼の思考に迫り、この謎を解いた斎藤泰弘さんにお話を伺いました。

——はじめに斎藤先生がレオナルド・ダ・ヴィンチについて研究するようになったいきさつをお教えください。
斎藤:もともとイタリア美術に興味がありましたので、大学の卒論でなにをしようかなと考えていたときに、さっと頭に浮かんだのは、芸術と文学の二刀流の人をテーマにしてみよう(そうすれば両方楽しめる!)ということでした。
そこで、両刀使いの芸術家と言ったら、有名なのはミケランジェロとダ・ヴィンチの2人で、前者は韻文で後者は散文。ダ・ヴィンチの方は、あまり人がやっていないようなので(実はミケランジェロの方もそうなのですが……)、まずそっちの方をやってみようと思ったのがきっかけです。どうも志の低い動機で申し訳ありません。
——それではダ・ヴィンチのなかでもとくに手稿について研究するようになったのはなぜでしょうか。
斎藤:ダ・ヴィンチについては、偉い哲学者や文学者(ヤスパースや下村寅太郎さん、それにポール・ヴァレリーなど)が実に高邁なダ・ヴィンチ論を展開していて、これじゃあ一生かかっても彼らに追いつくどころか、その足元にも及ばない。
かくなる上は、彼らの眺める高雅な山の姿の側からではなく、(おそらくは美しくない面もかなりあるはずの)裏側ルートから――要するに彼の書き残した手稿からです――じかに登ってみようと思い立ったのです。
——手稿を研究するうえでの苦労はなんだったでしょうか。
斎藤:手稿は鏡文字というややこしい秘密めいた文字で書かれています。でも、その鏡文字を目で追って理解するだけでなく、実際に書き写して読みこなしていると、「石の上にも3年」で、本当に3年くらいで誰でもスラスラ読んだり書いたりできるようになります(日本人には書道の心得がありますので、西洋人よりも深く《文字》とその《姿》に慣れ親しむことができるようです)。ですからわたしは、ダ・ヴィンチの手稿を頭で理解するのでなく、(間違って)それを体で覚えて味わってしまったわけです。そうすると、彼が書いている時の気分の違いや、彼が書いている時にふと現われる無意識の欲動なども感じ取れるようになりました。
具体的に話をすると、西洋の名だたる研究者がみな誤読している箇所をたくさん見つけたのです。すると自分は彼らよりもずっと深く理解できているんだという密かな自信が付いて来て、それからは苦労よりも楽しみの方がはるかに多くなりました(そもそも研究は苦労するためにするものでなく、楽しむためにするものですが……)。
——ところで本書では『モナリザ』や『受胎告知』はじめ、さまざまなレオナルドの絵画について説明されていますが、とくに思い出のある絵画についてお聞かせください。
斎藤:本当に数多くの思い出がありますが、人に笑われるような恥ずかしい思い出をひとつだけしましょうか。
本書にも掲載した『岩窟の聖母』は、ロンドンのナショナル・ギャラリーと、パリのルーヴル美術館に2点所蔵されています。わたしはその両者をハシゴで見てやろうとしたことがあって、まずロンドンに行きました。ここの絵は全体に青っぽい色調ですが、その質の高さには感嘆しました。これは絶対に協力者(アンブロージョ・デ・プレディス)の描いた作品などじゃない。顔などの大事な部分には、間違いなく師匠の手が入っている、と感じました。
その足で今度はルーヴルに。実はこの美術館の『岩窟の聖母』については、画集でその細部がいかに美しいかをよく知っておりました。そこで恐る恐る……憧れのご本人に……面会。
ところが思わずあっ! と叫んでしまった(本当にです)。予想と違って画面全体が暗い! 美しいはずの細部がよく見えない! さまざまな色がくすんで、微妙な色調が飛んでしまっている! 焦って金属の手すりから身を乗り出して、もっとよく眺めようとしたら、「おい、おい、君、手すりから離れて!」と、守衛のオッサンが威張って注意する。もうダメだ……。
わたしはこのショックを受けてから、本気で「なぜ同じ主題の絵が2点あるのか?」「どっちが先でどっちが後に制作されたのか?」について研究しようと決心したのです(この問題については、紙幅の関係で、本書では触れることができませんでした。どうか悪しからず)。
——本書ではこれまでの「天才」ダ・ヴィンチとは異なるレオナルド像が描かれていますが、斎藤先生にとって、レオナルドとはいったいどんな人物だったのでしょうか。
斎藤:レオナルドがどんな人物だったのか……実はわたしにもよく分らないところがあります。
というのは、人間が他の人間を理解するというのは、自分も相手も同じ人間であるから、同じような経験をして同じような感情を抱くはずだという前提から、相手に感情移入(エンパシー)して、相手の気持ちを《忖度(そんたく)》して同感することです。でも、レオナルドには、われわれ《正常》な(「通常の」という意味ですが……)人間とまったく違った《異常》なところがあります。生まれてすぐに母親と引き離されたり、異端の鏡文字でばかり書いたり、異性にまったく関心を示さず、同性の子ばかり可愛がったり(あっ、これは《正常》人の中にもいるかも……)、しかし残念ながら、わたしにはそのような経験も好みもないからです。
しかし、彼だってやはり同じ人間。このような場合、どのようにしたら理解できるのでしょうか? そのためには、彼という謎の人物を取り巻く外側の社会環境から攻めていくしかありません。
当時の芸術家は身分の低い職人階級でした(彼も絵画職人です)。工房の親方は、自分の職業上の秘密を記した《雑記帳(ジバルドーネ)》を持っていました(彼の手稿も同じ類いのものです)。同時代の支配階級である貴族や聖職者や知識人たちは皆、彼の慇懃で高貴な物腰を口をきわめて称賛しています(ところが、彼の手稿を読むと、社会的名声への渇望が強く表われていて、高慢な物言いも結構あります。何となく二重人格的ですね)。
さらに、語るに落ちる話ですが、当時のフィレンツェでは同性愛というより《少年愛(ペデラスティー)》が流行していました(ミケラジェロにもその気(け)がありました)、等々。
このようにして城の外堀を埋めながら、少しずつ彼という人物の謎に迫っていくしかないのです。
しかし、ここで注意しなければならないことがあります。それは、たとえわれわれが相手の首根っこを押さえたと思っても、それ以上首を絞めてはならないということです。この人はわれわれには未知の体験を秘めて生きている人ですから、もしそこでやめないなら相手を死なせてしまうことになります。われわれ文系の研究というのは人体解剖ではなくて、生体観察だからです。
——今後のご関心、研究テーマについてお教えください。
斎藤:ダ・ヴィンチについては、もっと話したいことがたくさん残っています。
これまで彼については、「トンデモ本」を含めて、本当にさまざまな「謎解き本」が、本屋さんの店先を賑わわせています。確かにそれらは新たな情報や知識を与えてくれますが、謎を解くよりも、謎を膨らませてより複雑な謎にするだけで終わっているように見えます。つまり、読者を《物知り》にしてはくれますが、本当に《理解》するようにはしてくれないのです。
本当の《理解》というのは、単純で、明快で、力があって、読めば素直にストンと腑に落ちるものです(複雑なものは《物知り》という消化不良の原因にしかなりません)。
おっと、質問から逸れてしまいました。今後はもう少しまともなダ・ヴィンチ像を紹介して、質の悪いゾッキ本を駆逐するように努めたいと願っています」

・・・鏡文字を書いてみたけど、確かに左手で書いたら書きやすい。面白いね。
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「貧困の発明」

2017年05月26日 | 日記
タンクレード・ヴォワチュリエ (早川書房)

 書評のうたい文句につられて予約、借りて読んだ(途中まで)ところ。
 さて、もっと続けて読むか?と思ったが、根性が続かない。要は、おバカな国連の経済政策の話を舞台にした経済学者の個人的なセックス生活のお話になっていて(途中に怪しげなデッサン画が入っていて、それほど好きじゃない・・・)フィクションなんだよなー、である。

 もともとほとんどすべての国連プログラムは、国連職員のためのでっちあげ計画ばかりではないか?と思っているけど。本書の眼目は、国連のプロジェクト「貧困撲滅事業や国家的経済プロジェクト」がいかにぐだぐだで、嘘と欲望にまみれ適当に運営されているのか、というところなのである。そして、この主人公の経済学者のセックスライフを交えたブラック・ユーモアに満ちた風刺小説になっているのだ。

内容紹介は
『トマ・ピケティが絶賛! 「これまでに読んだいちばん可笑しな小説」
貧困撲滅事業を進めるエリートたちの肥えた下腹をこれでもかと晒す、フランスの経済学者の問題作。国連事務総長の特別顧問をつとめる経済学者のロドニーは、結婚式を前に浮かれきっていた。途上国の開発援助に打ちこんでいた彼を恋の虜にしたのは、ベトナム人の若い女性ヴィッキー。誰もが見惚れる彼女を理想の妻に仕立て上げる一方、事務総長の要望どおり儲かる貧困撲滅事業を計画するロドニーは、人生の頂点に立とうとしていた。だが、この結婚が彼の足元を崩していく――。
野望、金、女性への欲望に飲みこまれていくエリートを黒い笑いで描き尽くす、トマ・ピケティ絶賛の長篇小説』

著者紹介
タンクレード・ヴォワチュリエ Tancrède Voituriez
1968年、フランス海外領土ニューカレドニアのヌメア生まれ。経済学者・小説家。2005年よりパリのIDDRI(持続可能開発および国際協力研究所)においてグローバル・ガバナンス・プログラムを指揮。パリ政治学院の講師として教壇にも立っている。本書が4作目の長篇小説となる。
ついでに、訳者略歴
山本知子(やまもと・ともこ)
フランス語翻訳家。早稲田大学政治経済学部卒、東京大学新聞研究所研究課程修了。訳書にトマ・ピケティ『格差と再配分』(共訳、早川書房刊)、ブリザール&ダスキエ『ぬりつぶされた真実』、レヴィ『誰がダニエル・パールを殺したか?』、ヴェルベール『星々の蝶』など多数。

・・・一番分かりやすかったのが、訳者のあとがき?
とほほの読書継続の根性であった。


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「現代アート10講」

2017年05月19日 | 日記
田中正之編(武蔵野美術大学出版局)

 現代アートの教科書なんですね。結構真面目で面白い。教科書だもんね。従来型の日本画だとか彫刻や陶器の世界とは違う展開が現代アート。一般にはよく分からないことも少なくないけど、解説してもらうとその意味や歴史、作者の意図などが見えるし美術史のなかでの位置づけもわかるのだな。

内容紹介は
『現代アートの入門書。ポップアート、抽象表現主義、ミニマリズム、コンセプチュアル・アートから、フェミニズム・アート、メディア・アート、写真、建築、工芸を包括し、ポスト3.11の美術まで、なぜそれが出現したのかを真剣に考えることによって、私たちの社会が抱える問題の本質がえぐり出される。いつの時代にも「現代アート」は存在する。アートは常に私たちの価値観を攪乱し、制度に揺さぶりをかけ、視座の見直しをせまるのだ。
 デュシャンにはじまり3.11以降の日本の美術まで、10のアプローチによる現代アートの新たな読み解き』

・・・真面目な本だ。堅苦しいかも。

表紙
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「スープの国のお姫様」

2017年05月15日 | 日記
樋口直哉(小学館)

 表紙がね、ちょっと中高校生向けになっていて、書店ではおじさんが手を出しにくい。図書館で借りたから問題ないけど・・・

 だから一瞬、子ども向けかと思ったが、内容は結構専門的なスープのレシピがあったり、謎解きがあって引っ張られる。スープは作ってみたくなりますよ。

 小学館の説明(以下)
〈 書籍の内容 〉謎たっぷりの、美味しいスープを召し上がれ
 元料理人の僕は、別れた恋人から奇妙な仕事を紹介される。それは、湘南に建つ古い屋敷で、一人暮らしの高齢のマダムのために、毎晩一杯のスープを作ること。報酬は破格だった。
 屋敷で、僕はマダムの孫娘である風変わりな美少女・千和に出会う。両親を事故で失くした千和は心を閉ざしていたが、母の遺した料理本を愛読し、古今東西の料理について膨大な知識を持っていた。幼い頃に母と離れ離れになった僕は、千和に自分と似たなにかを感じ、二人は少しずつ心を通わせていく。終戦後に食べた想い出のポタージュ・ボンファム、ビールのスープ、画家ロートレックが愛したスープ、偽ウミガメのスープ、せかい1おいしいスープ……。僕と千和は力を合わせて、無理難題のようなリクエストのなかに隠された"謎"を解いていく。
 そしてついに僕は、ずっと探し続けてきた「母と最後に食べた想い出のスープ」の手がかりを見つけるが――。哀しみから再生し、明日を向いて歩む力をくれる6皿のスープの物語。
〈 編集者からのおすすめ情報 〉2014年4月映画公開の青春小説『大人ドロップ』でも注目を集めている著者は、現役の料理人。謎解き×料理の蘊蓄で二度おいしい食ミステリーです。たかがスープ、と侮るなかれ。スープという料理の奥深さも再発見できます。

・・・表紙がね。気になる。かわいいけど、ロリコン的だよね。悩ましい。ミステリファンにお勧めです。
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「コンビニ・ララバイ」

2017年05月09日 | 日記
池永陽(集英社)

 もう文庫になっているみたいだ。
 最初はちょっととっつきにくいヘンな話だよなぁ・・・という印象だが、ありえないでしょ!とおもうけど惹きつけられる登場人物たち。セックスの話が多くて18歳未満には? かつ、危険かも。
 描写がストレートな上に、高校生の売春まである。

内容紹介は
『小さな町の小さなコンビニ、ミユキマート。オーナーの幹郎は妻子を事故で亡くし、幸せにできなかったことを悔やんでいた。店には、同じように悩みや悲しみを抱えた人が集まってくる。堅気の女性に惚れてしまったヤクザ、声を失った女優の卵、恋人に命じられ売春をする女子高生…。彼らは、そこで泣き、迷い、やがて、それぞれの答えを見つけていく―。温かさが心にしみる連作短編集』

著者略歴
池永/陽
1950年愛知県生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。98年、『走るジイサン』で第十一回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー

・・・それでも読むか?という人向けだね。
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