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読書感想とロードバイク日記2

週末のお天気の日にロードで走っています。晴耕雨読ならぬ、晴れたらバイク、雨の日は読書の日々

「いけない」

2021年07月29日 | 日記
道尾秀介(文芸春秋)

技巧的なミステリーでじっくり気をつけて読み進めないと、うっかり本筋を外してしまうので、読み方が難しい。
だから「ミステリ」ではなく「ミスリード」させるという批判も出るのだろう。

これらを読めたら、これは面白いと言える。二度読みしないとわからん。

内容紹介は
『騙されては、いけない。けれど絶対、あなたも騙される。
『向日葵の咲かない夏』の原点に回帰しつつ、驚愕度・完成度を大幅更新する衝撃のミステリー!

第1章「弓投げの崖を見てはいけない」
自殺の名所付近のトンネルで起きた交通事故が、殺人の連鎖を招く。
第2章その話を聞かせてはいけない」
友達のいない少年が目撃した殺人現場は本物か? 偽物か?
第3章「絵の謎に気づいてはいけない」

宗教団体の幹部女性が死体で発見された。先輩刑事は後輩を導き捜査を進めるが。
どの章にも、最後の1ページを捲ると物語ががらりと変貌するトリックが……!
ラストページの後に再読すると物語に隠された〝本当の真相〟が浮かび上がる超絶技巧。
さらに終章「街の平和を信じてはいけない」を読み終えると、これまでの物語すべてがが絡み合い、さらなる〝真実〟に辿り着く大仕掛けが待ち受ける。

「ここ分かった!?」と読み終えたら感想戦したくなること必至の、体験型ミステリー小説。    』

(以下ネタバレ)
・・・最終章の竹梨のところがどうなって行くのか・・・提示せずに終わっていて少々不消化感がある。単純じゃないのが読み手を選ぶなぁ。

「愚か者死すべし」

2021年07月26日 | 日記
原 遼(早川書房)

神保町の古書店街を会合までの時間つぶしで散策中、某書店のセールで3冊500円の1冊。読みかけの本と以前に読んだものの下巻と本書。

内容紹介は
『デビュー作『そして夜は甦る』が第2回山本周五郎賞の候補となり、2作目の『私が殺した少女』で第102回直木賞を受賞した原リョウの沢崎シリーズ。待望の最新刊。

銃声が2発。1発は容疑者に、もう1発は彼を庇おうとした刑事に当たった。事務所を閉める大晦日に、沢崎が巻きこまれた新宿署地下駐車場での狙撃事件は思いがけぬ方向へ展開する。 

本書は沢崎シリーズの、第二期のスタートを告げる作品。大晦日、新宿署地下駐車場に轟いた二発の銃声とともに、沢崎の新たな活躍が始まる。

著者略歴
原 遼
1946年佐賀県鳥栖市生れ。九州大学文学部美学美術史科を卒業。70年代はおもにフリージャズのピアニストとして活躍。30歳ころから意識的に翻訳ミステリを乱読し、とくにレイモンド・チャンドラーに心酔した。88年、私立探偵・沢崎が初登場するハードボイルド長篇『そして夜は甦る』によって日本のミステリ界に颯爽とデビュー。日本の風土にハードボイルドを定着させた優秀作として高い評価を得た。89年に長篇第2作『私が殺した少女』を発表、第102回直木賞を受賞した     』

・・・どなたかも言っていたけど、「和製チャンドラー」です。このハードボイルドぶりが良いのだろうね。一癖ある台詞がカッコいい。
・・・お話の展開は少々ややこしいけど、この台詞と態度があれば許されてしまうファンも多そうだ。😎 




「北極点検隊の謎を追って」

2021年07月20日 | 日記
ベア・ウースマ(青土社)

なんと面白い話に引きつけられた筆者の謎解きに付き合った大著です。
色々な可能性も考えられる中、結局真相は分からずじまい?

内容紹介は
『人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか
1897年、アンドレー率いる探検隊は気球での北極横断を試みるが、失敗して氷上に不時着。陸地をめざして数百キロの距離を徒歩で移動し、2か月半後、ついに無人島に上陸した。だがその数日後、すべての記録が途絶える。そして33年後に遺体が発見された。彼らはなぜ、氷上で2か月半も生き延びたのに陸地にたどり着いたとたん死んでしまったのか? いまも答えの出ていないこの謎に、ひとりの女性が挑んだ。実際に現地を旅し、医師としての知識も駆使し、これまで見過ごされていた事実を突き止め、到達した新たなストーリーとは。15年以上にわたる調査研究の成果を豊富な図版とともにまとめた一冊。 

目次
アンドレー探検隊とわたし―ひとつのラブストーリー
陸地―氷の海のはずれ、フルカラーの海岸
空中―極北の叢氷のただ中へ
氷上―影の落ちない未踏の地
消息不明―なにもわからず残された人々
発見―偶然見つかった探検隊、わたしの探索は新たな段階へ
言葉の奥へ―ぼろぼろの日誌に残されたメッセージ
体の中へ―知られざる記録
痕跡―分析できそうな断片を探す
回り道―やらなくてもよかったかもしれない
最期の日々―パズルを解く
氷の島―ついにたどりついた場所
いっしょに行けない―ラブストーリーの悲しい結末

著者等紹介
ウースマ,ベア[ウースマ,ベア] [Uusma,Bea]
1966年生まれ。イラストレーターとして活躍し、その後医学を修め、カロリンスカ医科大学病院に医師として勤務したのち、現在は同大学にて研究に従事。1990年代半ばより、アンドレー探検隊について独自に調査を始める。『北極探検隊の謎を追って―人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか』で、2013年にスウェーデンの権威ある文学賞アウグスト賞のノンフィクション部門受賞

ヘレンハルメ美穂[ヘレンハルメミホ]
翻訳家。スウェーデン在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。  』

・・・しかし、19世紀の北欧の人達の冒険心は、時代が違うとは言え、ここまでの危険をおかしても挑戦しようという夢に驚かされた。バイキングの子孫なんでしょう。
・・・その失敗の奇跡を膨大な資料と時間をかけて解き明かそうという根性もすごい。それに圧倒させられる。😤 

「令和元年のテロリズム」

2021年07月20日 | 日記
磯部涼(新潮社)

確かに令和元年にはこんな事件があったなぁとは思うが、つい最近なのだね。
それにしても、これらを”テロリズム”とくくるのは違和感があるのだが、どうだろう。

内容紹介は
『まったく素顔が見えない川崎の無差別殺人犯・岩崎隆一。元農水事務次官の長男・熊澤英一郎は父親に殺されるべきだったのか? 戦後で最も多くの死者が出た京都アニメーションの放火事件犯・青葉真司が抱える深い闇。令和の幕開けに起こった新時代の前途多難を予感させる大事件から浮かび上がってくる現代日本の「風景」とは?
目次

まえがき
第1章 川崎殺傷事件
第2章 元農林水産省事務次官長男殺害事件
第3章 京都アニメーション放火殺傷事件
第4章 元農林水産省事務次官長男殺害事件裁判
終章 令和元年のテロリズム
あとがき

著者紹介
1978(昭和53)年生れ。音楽ライター。著書に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』、『音楽が終わって、人生が始まる』、『遊びつかれた朝に』(九龍ジョーとの共著)、『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之、吉田雅史との共著)、『ルポ川崎』、『令和元年のテロリズム』、編著などに『踊ってはいけない国、日本』、『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』、『新しい音楽とことば』がある。 

書評が出版社の紹介記事に掲載されていたので引用します。
グレイト・プリテンダーたちの闇の奥
青山真治
「同時代」と「同世代」は峻別すべきだが、そもそも何かが「同じ」であることを根拠に発生し言い寄ってくる同族意識を受容することはまずなく、ともあれ疑ってかかるきっかけは地下鉄サリン事件というか当時世間を賑わせたオウム真理教をはじめとする新興宗教ブーム、さらにそれと近接してあったオタク文化だった。今世紀の初めに公開された拙作「EUREKA」は、それなりにその時代の気分を反映した映画だったが、完成後、カンヌ出品の直前である前年の五月、物語の発端と類似したバスジャック事件が、舞台も同じ九州で起こった。これがトラウマとなり、以来同族意識への嫌悪に拍車がかかったのはもちろん、そのようなスキャンダラスな社会性に関わることじたいを極力忌避してきた。
 それから十九年が過ぎ、年号が変わり、本書で最初に扱われる「川崎殺傷事件」は起きた。当日朝からの報道で事件の詳細と犯人像が朧げに知らされ、ピンと来た。これは自分からそれほど遠くない存在が起こした、と。私と齢が三つ違いの加害者に関しては別の場所にも書いたのでここで繰り返さない。ただ、本書にとっても重要なファクターである、かれの二十年の引きこもりの絶望的な重さは、それまで世間を賑わせて来た様々な事件には感じられなかった。それらは畢竟犯人の過剰な「承認欲求」という用語で説明がつくことは本書も触れる通りだが、この事件は根本的にそこが違っている。著者は「彼がいた暗闇」を「深い、底が見えない穴」と書いたが、携帯電話もパソコンもなく過ごした二十年の想像不能の絶望には「承認欲求」などなかった。「本当に実在したのか」と怪しまれるほどだ。
 何かが「同じ」だと直感したからかもしれない。だが、いまだに何が「同じ」かは説明できず、ただ著者がテロリズムについて定義する時に使った「社会全体で考えるべき」という批評家・東浩紀のフレーズは少なくともこのわからなさをフォローしてくれるかとも思われる。情報を求めてテレビを追ううち不意に出くわした「死ぬならひとりで死ね」という言葉への強烈な違和・嫌悪も、瞬間的に自分が間違っているのかと怪しむほどこの「同じ」という言葉の曖昧な両義性に晒されるがゆえに発したものだったろう。いわばこうだ。
 私は「同じ」ではないのに「同じ」だ。
 この反復の居心地の悪さに耐えて立つことを、本書は読者にあえて求める。なぜか。もはや「先延ばし」にはできないからだ。社会学者・小熊英二が使った、社会が諸問題に対して取ってきた客観的な態度を示すこの「先延ばし」というタームにも違和が滲む。「先延ばし」ではなく「置き去り」ではないか。感傷的すぎるだろうか。だが、緊急事態宣言解除の報に解放された「ふり」をして路上で飲酒してみせる市民のように、「先延ばし」の客観性も「置き去り」が醸す感傷も、ともに「ふりをする」(pretend)として大差ないならば、一般化に向かう「先延ばし」ではなく個人に留まる「置き去り」の方が感覚として確かではないか。というのも、どうやら問題は「家族」であり、とっくに解体されたはずのこの概念にいまだ絶大な呪縛の力を与え続けるものが何かを暴くためには、各々個人において問い直すしかないからだ。
 本書後半で次々と明るみに出される「自殺」は令和二年の社会を騒然とさせた最大のイシューとして記憶に新しいが、その決して明かしえない原因を考察する不毛において確実にセットで語られるのも「家族」だった。しかもその半分は「80/50」問題、つまり早晩意識も定かでなくなる後期高齢者の親たちとして、人生を引きこもりで失った子供たちを前に言葉なく佇んでいる。No Country for Old People。「自殺」の影濃い高級官僚の長男殺しや京アニ放火事件にある「家族」の「ふり」をした「闇」の名を我々は未だ知らない。
 本書81頁の木の写真。金網の向うに並び建つ二棟の家の間に生え、または植えられ、長い年月をかけて人知れず肥大化し金網をも越えて此方に溢れ出たであろう過剰な異形は、往年の恐怖映画「マタンゴ」のキノコ人間を彷彿とさせる。だが本書を読んだ我々は、これら「置き去り」にされた人間たち、手を汚した者のみならず、自殺者、失踪者、「深い、底が見えない穴」の住人たち全員の影を、その「ふり」をするこの写真に見るだろう。
 あとがきで「日本で生きる人間のひとりとして自分も罪を背負う」と口走る著者に、私はつい「同じ」だと呟かずにはいられなかった。
(あおやま・しんじ 映画作家)
波 2021年5月号より
単行本刊行時掲載   』

・・・元農林水産省事務次官の事件は心が痛む。娘さんが、この長男のせいで結婚できないと思って、自死し、奥様も具合が悪く、その上長男を殺傷せざるを得ないという経緯には暗澹とする。
・・・実は誰でもどの家庭でも起こりうる悲劇だ。辛い話です。😱 





「十三階段」

2021年07月14日 | 日記
高野和明(講談社)

ミステリーはストーリーを書くのは難しい。ともかく、江戸川乱歩賞をもらった作品だ。最後の方がめまぐるしい展開になって話のついていくのが大変。
仕掛けが意外に大きすぎて、少々現実的ではないが、勢いで読まされる。

内容紹介は
『犯行時刻の記憶を失った死刑囚。その冤罪を晴らすべく、刑務官・南郷は、前科を背負った青年・三上と共に調査を始める。だが手掛かりは、死刑囚の脳裏に甦った「階段」の記憶のみ。処刑までに残された時間はわずかしかない。二人は、無実の男の命を救うことができるのか。江戸川乱歩賞史上に燦然と輝く傑作長編。

著者略歴
高野/和明
1964年東京都生まれ。’85年より、映画、TV、Vシネマの撮影現場で経験を積み、岡本喜八氏の門下に入る。’89年渡米し、ロサンゼルス・シティカレッジで映画演出、撮影、編集を学ぶ。’91年に同校を中退。’01年に『13階段』で第47回江戸川乱歩賞を受賞    』

・・・どんでん返し的な最後の真相は驚かされるが、登場人物の「変化」が
この作品の特徴的なところかも知れない。
・・・テーマに死刑制度がありそうだし、刑務官の仕事が結構詳しく描かれ、大変な仕事と実感した。😥