スカーレット手帖

機嫌のいい観客

アイワズライト

2016-08-08 | 観劇ライブ記
あー舞台見たら「アイワズライト‐アイアムファン‐」
っていうタイトルにしてブログ書こうかな〜あはは、と観る前は思っていたんだけど、
観てみたらなんかそれどころじゃねえな。って感じでした。
ちょっとびっくりするぐらい涙がジョバジョバでした。
観劇中、目頭からも目尻からも飛び出し続ける汁。
漫画にすると「ビエーーーッ」てかんじでした。まじで。
アイワズライト feat.泣き女(私) の感想です。


盲目の若者「マシロ」、彼に寄り添う友人「ハイバ」、
そこにやってきた女「ワスレナ」は、マシロが紡ぎハイバが書きとめる物語を聞きながら
彼らの過去と秘められた真実に触れていく というめちゃくちゃざっくりいうとこんなかんじ。
(ざっくりすぎて何の説明も出来ていないが。)
全てが終わった「現在」と、ワスレナの回顧録として語られるマシロやハイバと出会った「5年前」、
マシロやハイバが中学生だった「15年前」、そして「マシロが語るネバーランド」と、
4つの世界が行き来しながら話は進む。なかなかに複雑。そしてどんどん重くなる話である。
そこを、演者のすばらしい切り替えと生演奏、ときにプロジェクションマッピングといった演出で
緊張感を切らさず、また、陳腐になりすぎずに物語にドライブさせられたな、というかんじ。
クライマックスに向かっての謎解きを一つの山にしながらも、
そこを取り巻く人々のそれぞれの「夢」と「無念」と「希望」が繊細に描かれる。
エムキチビートは初めてみました。元吉さん、ペダルやらカワイクやらの演出助手だったのね。村井くんと長い仲じゃん。


ネタバレ的なところでは、
結局、「マシロ」は本当は「ハイバ」という人物で、
本物の「マシロ」とは、ハイバ(現マシロ)が中学生の頃に、自殺を防げなかった同級生の女の子の名前だった。
自分と同じくいじめの対象になったマシロを助けられなかったハイバは、ショックで精神を病み、
精神病院に入れられ、親にも見捨てられ、そして遭遇した「震災」から助け出されたその日に「マシロ」として生き始めた。
そしていま「ハイバ」と呼ばれている人物は、マシロやハイバをいじめていた中にいた人物。
その過去を悔やみ、施設で職員として働き始め、「震災」でマシロ(元ハイバ)を助け出した時から「ハイバ」となった。

ということだったのだが、
マシロ(元々ハイバでマシロになった彼)のことはよくわかったよ。
でもハイバ(仮)の物語は終わっていないではないか。これは大いに疑問は残る。ハイバ(仮)は何者か。
彼がどのような心情でハイバになることを受けとめ、なりきったままマシロ(リアルハイバ)の物語に付き合い続けることにしたのか、
いじめグループの中でリアルマシロをどのようにいじめていたのか、
リアルハイバとどのような距離感だったのか、というところは詳しくは描かれず、
ごくわずかな独白だか、説明だかで物語は終わってしまう。これはなかなか潔い切り捨てだと思う。
脚本家はたぶんここの説明が足りていないことは分かっていると思うな。
しかしここを掘り下げるとこれ沼だよ。
ハイバ視点で物語が1本書けるぐらいだよな。あと1時間は要るよ。
というわけであまり描き込まれていないハイバなのだが、
それゆえに彼がここまで思い入れを持ってしまう理由は見ているほうに委ねられ、
また舞台上でのマシロとハイバの距離感が近いがゆえに、安易にBのL方面のセンサーも自分の中で立ち上がってきてしまうのだが、
やっぱそういうものでもないな、と思い返す。
この寄り添い方は償いで癒しで、相互依存なので、なんだか複雑な関係である。
ハイバ(仮)はマシロ(リアルハイバ)の物語につきあうことで救われている部分もあり、
砂の城を守り続けるとじた世界の住人だった。面白いな。自分が俳優だったらこっちを演じてみたいですね。

それでもカーテンコールの最後の最後、
ティンクの黒沢さんがノートパソコンを中央に置いてにこっと笑い、その後ふわっと消えたものだから、
その完璧さに私は無音で「ヒィッ」と叫びつつ、涙がとどめのように噴出しました。
誇張じゃねえぞ。本当に、一筋ツーッ、とかじゃなくて涙がジョビジョバだぞ。(傍迷惑)
ほんとのマシロとハイバも、いまのマシロとハイバもこのノートパソコンでつながってたんですよね。
そして現実から逃れて物語に入りこめる入り口もこのノートパソコン。いわゆるキーアイテムですね。
ベタな演出といえばそうなんですけれど、なんか打ちのめされて席から立てなくて、びっくりしました。

それにしても、
「飛べない」という言葉のもの悲しさはなんだろうなあ と今回の作品を見て改めて思った。
文字のまま、アイキャンノットフライの意味もあれば、
もうちょっと詩的に、「思い切れない」とか、あとは、
「成長できない」(鳥は育ったら飛ぶので)⇒「みんなが出来る当たり前のことが出来ない」
みたいなニュアンスもあるじゃないか。(卒業=飛び立つ だし。)
人間は飛べないはずなんだけど、飛びたくなる=どこか知らないところへ行ってみたくなる 気持ちもわかる。
皆が飛び立つ(比喩)中、飛び立っていけない(比喩)自分が取り残されるつらさ、というのもよくわかる。

ピーターパンという物語の演劇への活用され具合もすごいなと思った。
(少年社中のネバーランドも、空想組曲の遠ざかるネバーランドもそうですね)
今回は微妙にセットとかも含めて「遠ざかるネバーランド」の記憶を呼び起こされた。

まあなんせ、今回の作品は公演のタイミングが絶妙すぎたと思う。
震災の記憶とともに、相模原のあの事件や、ちょうどこの週末に改めて話題になった一橋の院生の出来事や、
といった今まさに現実の事件が一気に頭の中に押し寄せてきた。
お話としても苦しかったけど、決して戯曲の中の話とも限らないよな、と思うと、本当に逃げ場がないな、と思う。
いやまあ、悲劇ばかりとは限らないけれど。でも見ていて共感できるということは起こりうることということで。
浮世に起こりうるこういう人間の感情のことを、まじめに取り組んで、
しかも結構重い話なのに物語として構築して、世に打ちだそうとする制作部門の人々、
そしてそれに逃げずに取り組んで(って仕事ですけども)表象して、こちらの感情をガンガンに揺さぶってくる役者の人々、
本当に素晴らしいじゃない。これぞ理想の舞台との関係である。
圧巻の涙ジョビジョバでした。


俳優さんのこと書きます。

謎の不安定ボーイハイバ役の末原拓馬氏は初見でした。
また!細長いタイプの!!うす顔のイケテルお兄さん!!! 
なかなかに大柄なので、細身だけども舞台で映えますね。見たとこちょっと変わったタイプの人ですね。
これは濃いめのファンがついていそうなタイプの人ですよ。

山さんいいね〜 出てきた瞬間、あ、このキャラクター、空気の読めない馬鹿がデフォルメされたやつか・・・寒 と思って
ちょっとガッカリしかけたんですが、芝居が進むにつれてけっこう良識人に見えて来て、
こりゃ脚本演出だけでなく俳優本人の性質も反映されているな、と思いました。
押しの強さのなかにもいい「引き」見えました。
ちょっとアンガールズの山根に似てるね〜 待宮以外で役ついてるの初めてみたけどよかったよ。

黒沢ともよってえらいかわいいな、私てっきりまたハロプロだかAKB系列のアイドルだと思ってたら、声優だった。
しかも「響けユーフォニアム」の主役の久美子ちゃんの子じゃないの!!
あの優柔不断なキャラに合わせた揺らぎのある声に、わたし昨年は毎週泣かされまくっていた。なんとまあ。
今回もお上手だったと思います。声がかわいいしよく通る。

川村ゆきえがいい女優だった。この人何気にいいね。(失礼)
前に戦国バサラですごいキャラっぽい芝居をしているのを見て「うっ」と思った記憶があるが、
今回は役もある意味等身大でよかったのかも。母性っぽいよね。
舞台で輝くグラビア出身というと小池栄子路線だが、彼女レベルまでいくにはもっとグリグリした鍛練が要るかもしれないが、
今舞台業界にばらまかれている女優陣の中では、結構素質があるのかもしれないなあ。

そして名前がよくわかっていないアンサンブルの方々も、みんなイキイキしていた。
フック船長がほぼ「最後のダンス」を歌うシーンは笑ってしまった。メロディライン似過ぎててうっかり本家を歌ってしまいそう。
タイガーリリーもよかった。ええ声です。


あとは、もうねえ、、、

ちゃん村井は本当にスゲエ。
(そろそろ村井先生って呼び飽きたので佐藤貴史にいさんに倣ってちゃん村井呼び)

ちゃん村井が出る舞台を初めて見てからもうすぐ丸5年ですけれど、この人は基本的にずっと安定している。
危なげないところを見たことがない。
たしかに技術面はこう、日々の鍛練で磨いている部分もあるんだろうし、
いろいろ演目見てると徐々に芝居の迫力も大きくなっているような気もするんだけど、
基本のスタンスが昔からあまりぶれていないと思う。印象がいい意味で変わってない。
非常に誠実に毎回役を作ってくるし、ミスしない。だからこちらも安心して芝居に没頭できる。
しかも不思議に「癖がない」。時々のセリフ回しに変わらず「村井節」を感じるところもあるんだけど、それくらいかな。
存在自体がプレーンなんだよな。
舞台の上では、「村井」はどこかにしまわれている気がする。だからいつも役の人、として彼を見てしまう。
村井の器に盛り付けられているから必ず味はついてるはずなんだけど、その村井味がいつも絶妙。
「味」までいかないんだ、「風味」なんだよな。
だからパッと見はふつうの人なんだけど、口にいれた途端味わいの奥行きが深すぎて、泣いちゃう。
うううジョバ〜〜(涙)

今回の「マシロ」は、盲目の青年の役でした。白杖の扱いが難しそう。
(でも結局マシロはハイバだったので、盲目だったのも精神的に思い込んでいたのかな?) 
そして空想の中ではピーターパンでもある。切り替えが難しそうな2役だ。
「なんで飛べないんだ」と叫ぶシーンは本当に涙腺が大決壊しました。
久々に村井くんの全力の芝居を浴びて、そう、本当に「浴びたー」という感じで、ぐわっと持っていかれました。
なんでもできるからハッピーエンターテイナーな村井くんもいいけど、暗い男・溜め込んだ人が似合うと思うよ。

書いてなかったですけど、ちゃん村井の6月の「キム・ジョンウク探し」ももちろん見てましたよ。
2人のベテランにまじって、1人若手 という3人芝居の座組みなんだけど、
最近のちゃん村井はむしろ若手の舞台にいるときのほうが存在感的に違和感を感じるほどの落ち着きだったので、
本当にまったく負けずに溶け込み、ど真ん中で輝いていた。かつての憧れのイケメンと、ちょっと頼りない今時男子の2役を好演。
てか、ちゃん村井、リアルに年上の人と結婚しそうな雰囲気あるよ昔から。お似合いでしたよゆみこさんと。
ちなみに駒田一はマジリスペクトで破竹の24役やってて本当におつかれさまですという感じ。面白おじさん。

次作の真田十勇士は、またもや大作ですね。
「なぜあの作品内容で再演なのか」「日テレの予算スゲエ」「真田特需万歳」
「痛恨の火垂ちゃんキャス変(リアルカレピッピもキャス変…)」
「とはいえ番手の上がる村井くん応援し隊」
という自分会議が引き続き行われており、いまだチケットは未入手の様子見ですが、
まあ〜多分1回ぐらいは行くだろうなあ。KAATにしようかな。


ということで、なんかもう終わらないけども
とにかく、心臓を持っていかれるレベルの演目であった。
暗いから手放しに万人にはオススメできないけど、
ちょっと仲良くなった演劇好きな人にはグイグイおすすめしたい作品といえよう。
千秋楽おめでとうございました!