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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私は神の中にあり、神は私の中にある

2025-07-10 05:58:48 | 
私は長い間、人間には肉体だけで成っているのでなく、その奥に霊体というものがあり、その又奥に神体があって、本来神と一つのものなんだ、という色々な宗教的な本に書かれていたことを固定観念のように信じていたのでした。
しかし、それでそういうことを本当に実感したことは一度も無いのです。
それがいつの間にか、霊体、神体という実体的なものはやはり分からないですが(否定している訳では無い)、何か神的なものが私の中に息づいているのがヒシヒシと感じられるようになりました。それは、このブログをやるようになってからと言っていいでしょう。
これは、“私は神の中にある“、という実感が始めにあって、そこから相即的に感じられるようになったということなのです。
“私は神の中にあり、神は私の中にある“...私は、ベルジャーエフがこういうことを言っていたのを始めに知りましたが、エックハルト、聖テレジアなどの多くの神秘思想家も説いていることです。
これは、神の超越性と内在性を言い表しているもので、それは正に神の臨在にある状態に他なりません。その臨在感がより深められるにつれ、私の内なるものを満たすようになったのです。
だから人間は、本来神と一つのものということを教えのように信じる必要が無いのです。感じられないものを信じる必要は無い...
とにかく、“私は神の中にあるから神は中に生きているんだ!“、ということ...微妙な言い方ですが、この順序というか秩序というものは、私にはどうしても外すことは出来ません。
これは、神は私の思いを超えている、超えたものにあって、そのことが示されるということなんです。そのことを抜きにして、考える私からそういうことを信じようとしても、直感することが出来ないのは、けだし当たり前のことではないでしょうか?
そうであるから、私はここに在る!...これは全く私の実存の問題と切り離されるものではありません。私の実存は、超越者無しには開かれないのです。
“神は私の思いを超えている、私は神と共にある“...このことは幾ら強調しても足りないくらいです。
考える私しか無い、思いの堂々巡り、がんじがらめ地獄!...そこに超えられる場所が開かれた。これは、救いでなくて何であろう!...しかも愛、安らぎに与ることが出来る!...これは、福音でなくて何であろう!
“私は神の中にあり、神は私の中にある“...少なくとも、これは私にはアリアリとした現実です。と言って、信じられなけれは信じなくて結構です。私は教えを垂れるつもりは毛頭ありません。否、もうそういう信仰ごと、観念ごとにして欲しくありません!
それで、この我々の見える現実はどうともなりゃしないじゃありませんか!
いつも言うように、神という言葉、概念に囚われる必要はありません。しかし呼び名は何であれ、思い、為す自分を超えたものを頂かなくては、我々は、予言めいた天災を待たなくとも生きづまるだけではありませんか?
だから、私は神への信仰でなくて、神の実在を証せずにおれないのです!...


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